――水曜日のクリスマスには100の謎がある。
◇61番目の謎は、なぜ彼女は悪魔なのか、だ。 ※8/24 ストーリー進行による公開
◇62番目の謎は、彼女に殺意を向けていたのは誰か、だ。 ※8/24 ストーリー進行による公開
◇63番目の謎は、なぜ彼と彼女は出会ってはならなかったのか、だ。 ※8/24 ストーリー進行による公開
【再】21番目の謎は、彼らはどこにいるのか、だ。
★久瀬へ:みさきと星を見た公園とはどこか ※8/24
【再】91番目の謎は、ソルはなにを書き換えられるのか、だ。
★久瀬へ:場所がわかれば そちらに向かってバッジをその公園に届けようと動いています 走って伝えてくださいませんか? ※8/24
【再】【制作者からのメール】送信されたメールは、「100番目の謎」のトリガーとなる情報が含まれているため、
彼には届かない。100番目の謎のみは、まだ公開される予定はない。
★久瀬へ:キーホルダーを渡したときの願いをぼかさず恥ずかしがらず正直に答えてほしい
それがハッピーエンドへの道筋を形作るものになる可能性がある ※8/24
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結局、私は景浦愛花よりもずっと弱かったのだ。
※
小学生のころ、景浦愛花はクラス内で絶対的な権力を握っていた。
景浦は綺麗で、成績がよくて、高価なブランド品やアクセサリーの類もたくさん持っていた。そして大人びた知識をひけらかすのが好きな子だった。
彼女はこののどかな松山の片隅を、自分の居場所だとは思っていないようだった。今すぐにでも飛行機に飛び乗って、大都会に移り住みたいと考えていた。そして現状を受け入れている私たちクラスメイト全員を、あからさまに見下していた。
私は景浦愛花が苦手だった。彼女がひたむきな努力家だということはすぐにわかったけれど、それでも相容れないものはどうしようもなかった。
だから私は、できる限り彼女に関わらないように過ごしていた。景浦にとっての私はつまらないクラスメイトのひとりでしかなく、彼女の方からこちらに近づいてくることもなかった。
そうも言っていられなくなったのは、小学3年生の、ゴールデンウィークが開けたころだった。
※
「ねえ、知ってる? 口紅ってルージュっていうでしょ。あれ、フランス語で赤っていう意味なのよ」
ある昼休みに、景浦の声が聞こえてきた。
「赤は本来、大人の色なの。ルージュみたいに。でも、あなたのそれはなに? 子供っぽくて、すごください」
相手を見下すことに全身全霊をかけているような、とげとげしい口調だった。
私は思わず、そちらに視線を向けた。ふたつ隣がマコという女の子の席で、どうやら景浦はマコと話をしているようだった。――いや、正確には、景浦が一方的にマコを非難していた。
「あなたもう3年生でしょ。いつまでそんなの持ってるのよ」
お前も3年生だろう、と私は内心で思う。
景浦はどうやら、マコの缶ペンケースが気に入らないようだった。まっ赤な缶ペンケースで、大きく舌を出した女の子のイラストがプリントされている。有名なお菓子のキャラクターだけど、私からみてもちょっと子供っぽいなと確かに思う。
マコはじっとうつむいていた。マコは気の弱い女の子で、景浦に反論なんてできるはずもなかった。だからいつも八つ当たりの相手に選ばれるのだ。
今日の景浦は、ずいぶん機嫌が悪いようだった。
「私が捨ててあげる」
そういうと景浦は、ペンケースをひっくり返して中身をざらざらと机の上にぶちまけ、そのまま窓辺に歩み寄った。
「いや」
と小さな声でマコが言ったのを、私は聞いていた。
でも景浦は足をとめなかった。ためらいのない動作で、彼女は思い切り、窓の外に缶ペンケースを放り投げた。
彼女は振り返り、満足そうに笑う。
「ほら、どうしたの?」
人を馬鹿にした笑みだ。マコが泣き出すのを期待しているようでもあった。
「優しくされたら、お礼をいわないとだめでしょう?」
――聞かなければよかった。
あまりの言葉に、血が頭に上って、視界がぐにゃりと歪むのを感じた。
小さな声で、マコが「ありがとうございます」と言った。
※
そのあとで私は、マコと少しだけ話をした。
「あのペンケース、気に入っていたの?」
「そんなことないよ」
「でも、泣きそうだったよ」
「べつに」
彼女はじっとうつむいたまま、ぼそりと言った。
「でも、お姉ちゃんがくれたから」
私には景浦愛花が許せなかった。
「盗られたものは、取り返さないといけないよ」
「盗られたわけじゃないと思うけど」
「おんなじようなものでしょ」
マコはうなだれているだけだった。
私はペンケースを捜すために教室を出た。
景浦がなんだというんだ。どうしてあんな奴の言いなりにならないといけないんだ。
そのとき私にあったのは、景浦への苛立ちだけで、先のことなんてなんにも考えていなかった。
※
ペンケースの捜索には、それほど時間がかからなかった。
でも時計の確認もせずに教室を飛び出したせいだろう、グラウンドの片隅に転がっているペンケースを発見したのは、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴ったころだった。
ペンケースには、少しだけひっかき傷がついていたけれど、どこも壊れていなかった。
私は安心して教室に駆け戻り、次の国語の授業が終わったあとで、マコの席に行った。
「これ、あったよ」
そう言ってペンケースを差し出すと、マコは珍しく明るい表情で笑った。
「ありがとう」
彼女の表情をみて、私もなんだか気が晴れた。景浦は苛立たしいけれど、どうこうしようという気もなくなっていた。内心では私も、少しだけ景浦が怖かったのだ。
その時だった。
「どうしたの? それ」
景浦の声が聞こえた。彼女はあからさまに苛立っているようだった。
表情をこわばらせたマコに、景浦が詰め寄る。
「教えてくれる? 私がせっかく捨ててあげたのに、どうしてまだそんなださいペンケースを持っているの?」
景浦への文句なら無数にあった。
でも、私は口を開けなかった。いくらでもあるはずの言葉がみんななくなってしまった。なぜだろう、彼女は奇妙に怖ろしい。
震えた、小さな声で、マコが言う。
「私は、いらないっていったんだけど」
彼女の指先が私を指した。
「山本さんが、勝手に拾ってきたの」
「へぇ。だめじゃない。人が嫌がることをしたら」
景浦はこちらをみて笑う。
「私、あなたみたいなださい子、大嫌いなの」
目の前がまっくらになるのを感じた。
※
それからの私の学校生活は、簡単にいってしまえば悲惨なものだった。
クラスメイト、とくに女子たちに徹底的に無視された。マコも私とは口をきかなくなって、なんだかとても不条理に感じた。物がなくなっていたり、給食にゴミが入っていたりということが増えて、そんなことでずいぶん傷ついた。なによりもそのたびに、周りから小さな笑い声が聞こえるのがつらかった。おかげで私は、よく本を読むようになった。休み時間なんかは誰ともかかわりたくなくて、ずっと物語に逃げ込んでいた。
夏休みも、ほとんど家にこもって過ごした。
私を気にかけてくれたのは、ふたりの幼馴染みだけだったけれど、それで事態が好転することもなかった。私は景浦に逆らったことを後悔していた。それから、あの女の子のイラストがついたお菓子のことが嫌いになった。もうあの笑顔をみたくもなかった。
すべてが変わったのは、2学期になって、うちのクラスにひとりの転校生が現れたときだ。
久瀬くん。
彼は、クラスメイトの誰とも違っていた。
■白石隆の視点/ボツ原稿の公開
オレと、美優と、それから幸弘ってやつは、幼稚園に入る前からの友達だ。ちょっと前までは3人で、よく幸弘の山で遊んだ。幸弘の山ってのは、幸弘の父さんが持っている山のことだ。あそこで一緒にバーベキューもしたし、段ボールを持ち込んで秘密基地を作ったり、虫取りをしたり、いろんな楽しいことがあった。だけど最近は、なんだか一緒に遊ぶことも少なくなっていた。
「好みが違ってきたんだよ。仕方がない」
と幸弘は言った。
そんなものだろうか。よくわからない。オレはいまでもあいつらとサッカーをしたり、ゲームで対戦したりしていたかった。ただ他にも一緒に遊びたい奴らがいて、ちょっと時間がなかっただけだ。
※
よく注意力がないと叱られるオレでも、美優の様子がおかしいことには、さすがに気づいた。
美優は笑わなくなったし、クラスでもひとりきりでいることが多くなった。遠くからみていてもそれがわかった。
学校からの帰り道に、オレは幸弘とふたりきりになったから、あいつにきいてみた。
「最近、美優がへんじゃないか?」
幸弘は呆れたようにこちらをみて、それから答えた。
「いまさらかよ。もう2週間も前から、あいつ景浦に目をつけられてるぜ」
「景浦? どういうことだよ」
「知るか。本人に聞け」
「目をつけられるってなんだよ」
「そっからかよ。つまり、嫌われてるってことだ。いじめってやつだ」
「まじか。そんなのうちの学校にあるのかよ」
「どこにだってあるんだろ、たぶん。普通のことだよ」
「だって、それ、たいへんじゃねぇのか?」
「だから本人にきけよ。僕は知らない。関係ない」
「関係ないって、美優のことだぞ?」
「助けてって言われたわけでもないんだ。こういうのは、周りが中途半端に手を出すと、余計に面倒なことになるんだよ」
「お前、なんか冷たいよな」
「現実的なだけだ」
最近は幸弘とも話が合わないことが増えてきた。こいつのいう通り、好みが変わってきたのだろうか。
なんにせよオレは、美優を放っておくつもりはなかった。
※
次の日に、オレは美優と話をした。
「おまえ、いじめられてるの?」
そうきいてみたら、なんだか美優は、寂しそうに笑った。
「そんなことないよ」
「でも、幸弘がそう言ってたぜ?」
「大丈夫。たまたま、ちょっとケンカしてるだけだから」
「なにがあったんだよ?」
美優はなかなか事情を話してくれなかった。
でもやがて、ゆっくりとペンケースのことを教えてくれた。マコって女の子のペンケースを景浦が窓から捨てて、美優がそれを取り戻した話。美優はなにも悪くない。逆恨みって奴だ。ひどい話だと思った。
「よし。じゃあオレが景浦をぶったおしてやるよ」
簡単な話だ。
景浦はいつも教室でわけがわからないことを言っている女子だ。あんなやつに負けるわけない。
美優は「やめて。大丈夫だから」と言ったけれど、オレはこいつを助けてやるんだって決めていた。
※
「美優に謝れよ」
オレがそういうと、景浦は一瞬、驚いたような顔をして、それから笑った。
「いったい、なにを謝らないといけないの?」
「あいつにひどいことしたんだろ?」
「してないわよ。私はなんにも。被害妄想じゃないの」
「なんだよ、被害妄想って」
「自分で調べなさい。だからガキは嫌いなのよ」
景浦は取り巻きたちと、なにか小さな声で話をして、くすくすと笑った。
「話をそらすなよ。お前が悪いことはわかってるんだ」
「うるさいわね。唾を飛ばさないで。汚い」
「汚いのはお前だろ。じめじめしたことやってんじゃねぇよ」
「私はなにもしていないって言ってるでしょ。あの子が嫌われてるだけじゃないの」
「どうして美優が嫌われないといけないんだよ」
「さぁね。でもバカな男子に泣きついて庇ってもらうような子、最低よ」
「あいつは泣いてねぇよ。オレが勝手にやってるんだ」
「ふーん。あの子が好きなの?」
「なんでそんな話になるんだよ」
「そうよね。ガキには恋愛なんてわかんないわよね」
「今は美優の話をしてんだよ。わかってんのか?」
「知らないわよ。興味ないもの」
そうこうしているあいだに、教室に先生が入ってきた。どうやら景浦の取り巻きのひとりが呼んできたようだ。
景浦は妙に小さな声で、ささやくように、先生に「助けてください。白石くんが急に怒りだして」と言った。
好都合だ。景浦とはまともな話にならない。
先生に叱ってもらおうと思って、オレはペンケースの話をした。マコのペンケースを、景浦が窓から投げ捨てて、それを美優が取り返した話だ。
「本当なのか?」
と先生が言った。
景浦は首を振る。
「そんなこと、するはずありません。マコちゃんと私は友達だから。ね?」
そういうと、近くにいたマコも頷いた。
――どうしてだよ?
とオレは思う。
――景浦が敵なのはいいけど、どうしてマコもそっち側なんだよ?
そんなの、おかしい。
「白石くんは悪くありません。きっと山本さんが嘘をついたんだと思います」
と景浦は言った。
※
なにが起こっているのか、よくわからなかった。
美優は間違っていなくて、オレは正しいことをしたはずで、なのに美優が先生に呼び出されて、景浦に謝ることになった。それきり美優まで、オレを避けるようになった。
「納得できねぇよ」
とオレは言った。
学校からの帰り道で、隣には幸弘がいた。
あいかわらず、冷たい口調で幸弘が応える。
「お前が悪いんだろ。無鉄砲に動き回るから、美優にも迷惑がかかるんだ」
「オレは、あいつを助けてやろうと思って」
「失敗したら同じだよ。まだなんにもしない方がましだ」
「放っておけるはずないだろ」
「勝手な正義感で迷惑をかけるのは、最低だ」
なんだかやるせなくて、いらいらしていて、だからオレは久しぶりに幸弘とケンカをした。それっきりあいつとも話をしなくなった。
納得できなかった。でも、なにをすればいいのか、わからなかった。
いらいらして、オレは、ちょっと美優や幸弘のことさえ嫌いになった。がんばって嫌な思いをするくらいなら、別の友達とゲームをしている方がよかった。
すべてが変わったのは、2学期になって、うちのクラスにひとりの転校生が現れたときだ。
久瀬太一。
あいつは、なんだか特別だった。
■越智幸弘の視点/ボツ原稿の公開
「謝れよ」
と僕は言った。
本当はあれこれと口出しをするつもりなんてなかった。知ったことじゃない。僕には関係ない。そう思っていたけれど、美優も隆もあまりに不用心で、みていられなかった。
「美優が悪くないことはわかってるよ。でも、さっさと謝って、みんな終わりにしちまえよ。今の人間関係なんて小学校のあいだだけだ。もう何年か先には、景浦のことなんてどうでもよくなってるよ」
美優は正義感が強い。だから多少の反発はあるだろうと思っていた。
でも彼女は固い表情のまま、頷いただけだった。ずいぶん参っていたのだろう。
それで、少しだけ悲しくなった。
※
美優が景浦に降伏したことで、クラスにはとりあえずの平穏が訪れた。
かつての美優の友達は彼女から離れたままだったし、たまに些細な嫌がらせはあったようだけれど、でもそれがなんだっていうんだ。隆はクラスで居心地が悪そうにしていたし、僕は彼とケンカしたままだったけれど、それがなんだっていうんだ。僕たちはもう友達ではないかもしれないけれど、それがなんだっていうんだ。みんな苦しみながら生きているんだ。多少のことは仕方がない。
やがて1学期が終わり、夏休みが訪れた。僕はその夏、はじめて父が持っている山にいかなかった。なにをしていたのかよく思い出せない。知らないあいだに夏休みが終わった。時間の流れ方が平坦だと思った。
すべてが変わったのは、2学期になって、うちのクラスにひとりの転校生が現れたときだ。
※
彼は久瀬太一と名乗った。
東京から転校してきたとのことで、景浦がずいぶん彼に興味をしめしていた。でも久瀬の態度はそっけなくて、そのことが意外ではあった。景浦は外見だけは悪くないから、本性を知るまではたいてい、誰だって彼女に好意的なのに。
景浦は大人びていると、よく言われる。日曜にたまたまみかけたときなんかは、かなり濃く化粧をしていたりして、他のクラスメイトとは違うなと確かに感じる。
でも僕は、彼女を大人っぽいというのはなにか違うような気がしていた。それよりも久瀬という転校生の方が、なんだか大人びてみえた。彼はみんなと同じようにふざけたり、サッカーで遊んだりしているあいだはそれほど目立たないけれど、たまに妙に鋭いことがあった。
ある日の帰り道だった。
「あの山本って子、なんで嫌われてんの?」
と久瀬は言った。
彼とは家の方向が違う。わざわざその話をするために、僕を追いかけてきたようだった。
僕には疑問がふたつあった。
「どうして、そう思ったんだ?」
「みてりゃわかるよ。みんなあいつを避けてるだろ」
「じゃあ、どうして僕にそんな話をするんだ?」
「お前と、あとは白石ってやつ。よく山本をみている」
「君は探偵かなにかか?」
久瀬は妙に人懐っこい、明るい笑顔で笑う。
「そんなわけないだろ。麻酔銃も蝶ネクタイも持ってねぇよ」
「なんだか気持ち悪いな」
「うわ、ひでぇ。転校が多いからな。これでも、そこそこ苦労してるんだよ」
久瀬には奇妙な魅力があった。簡単にこちらの心の中に踏み込んでくるような、その反面で、彼の心の中は決してのぞかせないような。
普段の僕では考えられないことだけど、なんとなく、彼にペンケースのことを話してしまった。
久瀬はとてもストレートに怒りの表情を浮かべた。目の前にいた僕は、殴られるんじないかとひやひやしたくらいだった。
「なんだよそれ。ふざけんなよ」
と久瀬は言った。
僕はペンケースの話をしたことを、少し後悔した。
「余計なことはするなよ。もう終わったことだ」
「どこが終わってんだよ。お前ら、居心地悪そうじゃん」
「お前ら?」
「お前と、白石ってやつと、山本って子だよ」
僕は別に、苦痛は感じていない。
「苦しいのは美優だけだよ。それも、長くても小学校を卒業するまでだ」
「まだ3年以上もあるじゃねぇか」
「たった3年だよ。たぶん」
「で、中学校になって同じようなことがあったらどうするんだよ? また3年我慢するのか? 高校でも? 大学は4年だ。その先はどんだけ長いかわからない」
「そんな先のことは知らないよ」
「そうだよ。だから、今なんとかしないといけないんだろうが」
久瀬は険しい表情で、眉間に皴を寄せていた。
「とにかくお前、明日の放課後、教室に残ってろ」
「どうして?」
「決まってんだろ」
久瀬は妙に力強く笑う。
「その景浦ってやつ、むかつくな。オレがいじめてやるよ」
※
なぜだか、久瀬の言葉に逆らえなかった。
翌日の放課後、彼にいわれた通りに、僕は教室に残っていた。
教室には美優と隆もいた。僕と同じように、久瀬に残るようにいわれたのだろう。
景浦は取り巻きの女子たちに囲まれて、いつものようになにかつまらない話をしていた。芸能人がどうとか、ファッションモデルがどうとかいった話だ。東京では、アメリカでは、フランスでは、イタリアでは――そんな単語ばかりが聞こえてくる。
久瀬は平然と、彼女たちに歩み寄る。
「なあ、景浦」
と彼は声をかけた。
景浦は嬉しげに振り返る。
「どうしたの、久瀬くん」
「はじめてみたときから思ってたんだけどさ」
久瀬は頭を掻いて、人を小馬鹿にしたような笑顔を浮かべる。
「お前、だせえよな。もうちょっとファッションセンス磨いたら?」
瞬間、教室の空気が凍った。
これまで景浦に正面からそんなことを言う奴なんて、ひとりもいなかった。
冷たい視線にさらされながら、久瀬は平然と机の上を指す。
「たとえばさ、なんだよそのポーチ」
景浦はひきつった笑みを浮かべる。多少、余裕を取り戻したようでもあった。
「それはヴィトンよ。あなたも、名前くらいは聞いたことがあるでしょう?」
「もちろん知ってるさ。ルイ・ヴィトン。元々は世界初の旅行鞄専門店としてパリに登場した。当時は船旅ばかりだったから、ヴィトンは防水性にすぐれていて、水に浮く鞄を作った。あのタイタニック号の沈没のとき、ヴィトンの鞄につかまって生き延びた人がいるって逸話もある。質実剛健でいいブランドだよ」
おそらく予想外の反応に、景浦が気圧されたのがわかった。
「じゃあ、なにがいけないっていうのよ?」
「ランドセルにヴィトンとか馬鹿じゃねぇの? ファッションは組み合わせなんだよ。まだ給食袋の方がましだ。お前、だせえな」
久瀬は景浦の頭を指す。
「そのヘアピンだって。悪目立ちし過ぎなんだよ。だせえ」
「これがいくらすると思ってるのよ?」
「値段でファッションを語るのは田舎者だけだよ。だせえ」
「いいものは高いに決まってるじゃない」
「安くていいものもあるさ。高いものがみんないいわけでもない。本当にいいものだって、組み合わせで最悪にもなる。まさか、お前にブライトリングが似合うとも思わないだろ?」
景浦が言葉を詰まらせる。
久瀬は、はっ、と声を出して笑った。
「もしかして知らないの? ブライトリング」
「知ってるわよ、指環でしょ」
「へぇ。じゃあアグスタは?」
「……ママが、財布を持ってるわ」
「アグスタはイタリアの飛行機メーカーだよ。しったかぶりとか馬鹿の証拠だよな。あとだせえ」
教室の雰囲気が、異様に歪んでいた。
取り巻きたちも、景浦自身も、久瀬には勝てないと察していたのだろう。
それでも景浦はなおかみついた。
「ちょっとぐらい色々知ってるからってなんなのよ? 知識をひけらかすとか、そっちの方がださいわ」
「知識は愛であり光であり、未来を見通す力なのだ」
「なによ、それ?」
「アン・サリバン。知識を馬鹿にするのはなんにもみえてない馬鹿だけだって言ってんだよ。ずっと目を閉じてるよりもひどい」
「そんな人知らないわよ」
「へぇ。お前って常識的な知識もないんだな」
「どこが常識なのよ」
「誰だって知ってるぜ」
ふいに、久瀬が振り向いた。
「なあ、山本。アン・サリバン。知ってるよな?」
どきりとした。僕はアン・サリバンなんて知らなかったし、美優に僕よりも知識があるとは思えなかったからだ。
でも、美優は頷いて、答えた。
「ヘレン・ケラーの家庭教師だね。サリバン先生」
どうして簡単に答えられたのだろう?
その疑問は、次の瞬間に氷解した。
「見ることは知ることだ。これは誰だかわかるか?」
景浦は答えない。でも、僕は知っていた。
ひとなつっこい笑顔で、久瀬が笑う。
「教えてやれよ、越智」
やっぱりだ。どうしてだろう? 彼は僕たちそれぞれが興味を持っている分野を把握しているようだった。
「ファーブルだよ。昆虫記の」
と答える。僕は昆虫が好きだ。
頷いて、久瀬は言った。
「ところで、さっき言ったブライトリング。あれ、指環じゃないぜ」
なあ、と久瀬は隆に振る。
「ああ。スイスの時計だぜ」
装飾品の類の知識でまさか隆に負けるとは思っていなかったのだろう。景浦の顔から血の気がひいていた。僕は内心で笑う。クラスメイトに興味のない景浦は知らないだろうけれど、隆の家は時計屋だ。あいつも幼いころから、時計にだけは興味を持っていた。
「ほら、こいつらの方がお前よりもずっと、いろんなことを知ってるぜ」
久瀬は景浦を指さした。
「オレはさ、お前が無知で、このクラスでいちばん馬鹿で、センスが悪くてだせえやつだって教えてやってんだよ。もし勘違いしてたらいけないからな。ほら、優しくされたらお礼をいわないとだめだろう?」
景浦は小刻みに震えながら、妙に甲高い、半ば泣き声のような声で言った。
「じゃあ、あんたにセンスがあるっていうの?」
簡単に久瀬は頷く。
「ああ。少なくとも、お前よりはずっとな」
「どこがよ。アクセサリーも持ってないし、ランドセルもなんか汚れてるし。あんたこそセンスゼロじゃない」
「お洒落ってのは、ワンポイントでいいんだよ」
久瀬は彼の席まで戻り、ランドセルをごそごそとやった。
そして、満面の笑顔で、缶ペンケースを取り出す。赤い、舌を出した女の子のイラストがついた、あの缶ペンケースだ。
「ほら、センス抜群だろ」
沈黙のあとで、景浦が笑い出した。ひきつった、なんだか苦しげな笑い声だった。
「それのどこにセンスがあるっていうのよ」
「それがわからないから、お前はセンスねぇんだよ」
久瀬は大切そうに、ペンケースをなでる。
「たしかにこの絵は子供っぽい。でも子供っぽいものを馬鹿にするのはガキだけだ。高校生くらいになったら良さがわかるよ。お前は本当にガキだな」
それから久瀬は、妙に大人びた動作でため息をついて、「あとださい」とつけ足した。
その日、久しぶりに僕は、隆と、美優と一緒に下校した。途中までは久瀬も一緒だった。
「ねぇ、どうして私がサリバン先生を知ってることがわかったの?」
と美優が言った。
久瀬はさらりと答える。
「3日くらい前、学校でヘレン・ケラーを読んでただろ」
景浦に目をつけられてから、美優が教室でよく本を読むようになったことは、僕も気づいていた。でもそのタイトルまではみていなかった。
久瀬はなんでもなさそうに笑ってる。
「オレも自伝とか好きだからな。なんとなく印象に残ってたんだよ」
「お前、すげえいろんなこと知ってんだな」
と隆が言った。
久瀬は困った風に頭を掻く。
「そんなことないよ。実は昨日の夜、一夜漬けで詰め込んだんだ」
本当はオレはガキだからな、と言ったときの久瀬が、いちばん大人びていた。
※
後日談、というほどでもないけれど、それからのことだ。
景浦はやっぱりクラスの権力者で、久瀬は除け者にされてしまった。とはいえなにも変わらなかったのかというと、そんなこともない。
僕たち4人は、一緒につるむことが多くなった。4人ともまとめて、景浦に敵視されていたけれど、それでも学校に居心地の悪さは感じなかった。久瀬は本当は、景浦をどうこうしたかったわけじゃなくて、たぶん僕たちに仲直りさせたかったのだろう。
僕たちが一緒にいたのは、小学3年生の2学期の、たった4か月間だけだ。
でも僕たちは今も、あいつを親友だと思っている。
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【3D小説『bell』運営より】
こんにちは、運営を任されている秘書です。
本日21時から、以下の生放送を開始いたします。ふるってご視聴ください。
なお、前回の未使用問題を送っていただいても問題ございません!
【おまけ生放送】運営と遊ぼう!/謎解き対決再び:http://live.nicovideo.jp/gate/lv190947141
【アカテからのメール】



【ご報告】
本作3D小説『bell』ですが、現在、書籍化の準備を進めております!
みなさまと一緒に作った物語をより多くの方に知っていただくことを目的としております。
そこで、みなさまにお願いがあります。
これまでみなさまがハッシュタグ「#3D小説」でツイートされたコメントの一部を、
書籍に掲載させていただきたいと考えております。
そのご許可をいただけませんでしょうか?
【リツイートで書籍掲載許可!】
株式会社KADOKAWAから刊行予定の書籍に、
ハッシュタグ「#3D小説」のツイート内容の掲載をご承諾いただける方は、
このツイートをリツイートしていただければと存じます!
どうかよろしくお願い申し上げます!
https://twitter.com/superoresama/status/504271762259845120
ツイートをリツイートいただけましたら、
後日、書籍への掲載に関する簡単なアンケートのメッセージを送信させていただきます!
掲載時のお名前なども、そこでご記入いただく形になっております。
加えまして、みなさまのツイッターアカウントに、個別にご連絡やお知らせをさせていただく可能性がございます。
ですので、当企画に参加されたアカウントを消さずに、しばらく維持していただけますと、大変ありがたいです。
ご協力、なにとぞよろしくお願いいたします!
【10/1】
みなさん、お久しぶりです。運営の秘書です。少年ロケットからのメッセージが届いたのでご紹介いたします。
「よう! 仲間ががんばって、ゲームにおまけを追加してくれたぜ! さがしてね?」
以上です。
シロクロサーガをアップデートして、クリア直前のセーブデータで町を探索すると、なにかみつかるようですよ?
それでは皆さん、またお会いしましょう!
シロクロサーガ【ver2.2】
少年に「ご飯を食べに」と告げてキャンディを入手。
誕生日の男にキャンディを渡し、ビラ配りの女性からアルバイトのチラシを入手。
チラシをウェイトレスに渡して野菜を盗み、クーポンを入手。
クーポンを使って食事中にアタッシェケースを入手。
銀行にてアタッシェケースの鍵を入手。
街の人から小さなネジを受け取りオルゴールを入手。
少年にオルゴールを渡し、劇場のチケットを入手。
蝶を捕獲、逃がして花の種を入手。
少女に花の種を渡し、秘密の鍵を入手。
劇場にて右上の扉から舞台裏へ。
右上の箱に「ヒイラギ」と入力すると応募フォームが開く。
「たのしかった?次は真冬に飛び出すぜ!あと、応募してくれたら、いつか誰かになんか当たるかも?」
【11/30】
告知資料公開作成会/帰ってきた「運営と遊ぼう!」:http://live.nicovideo.jp/gate/lv201754352
【第1部】8月24日(日) / 8月24日(日)11:00~20:00 ← 【概要】 → 【第2部】メリーからの贈り物【いい子調査】
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最終更新日 : 2015-01-14