――水曜日のクリスマスには100の謎がある。
◇99番目の謎は、この物語を支配するルールとはなんだ、だ。 ※8/21 ユーザーアクションに対する公開/19-7
※【19-7】シロクロサーガ攻略本19-7が削除されていた事実が発覚。例外的措置として復元されたページ。

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それはなんの変哲もない、ただのノートPCにみえた。
以前、この部屋を八千代と捜索したときにも置かれていたものだ。
オレはその前に腰をおろし、モニターを眺めていた。ノイマンが横から身を乗り出すようにして、PCを操作する。
「このアイコンをダブルクリックしなさい」
とノイマンは言う。
「そうしたら、どうなるです?」
「ゲームが始まるわよ、もちろん」
「オレがドラゴンの前に立っているわけですか?」
「そうなるわね」
あれは、ゲームなんてものにはみえなかった。
「いったい、どうなってるんです」
「プレゼントは頭で理解できるものではないわ。私が作ったゲームは、特定のプレイヤーが起動した場合のみ、その世界の中に入れる。そしてこのゲームは貴方のために用意された。それだけよ」
「どうして?」
「依頼があったのよ」
「誰から?」
「それは秘密。でも、いくつかの意図が絡まり合っている」
ノイマンは笑う。
「貴方、昔、クリスマスプレゼントにゲームを欲しがったことがあったでしょ?」
そりゃ、あったとは思うが。
「いきなりドラゴンに食われるようなゲームの世界には入りたくないな」
もっと平和的なものはなかったのだろうか。
ノイマンは笑う。
「意外と愚痴が多いわね。貴方、それでもヒーローなの?」
ヒーローなんてものになったつもりはない。それでも確かに愚痴っぽいのはよくない。
あの、アドレスに「これで完璧」と書かれているサイトには、アクセスできるようになっていた。
そこにはゲームの、詳細な攻略情報があった。あまりに丁寧で驚いた。
内容は繰り返し読み込んでいる。
「じゃあ、行きます」
オレは、モニター上のアイコンをダブルクリックした。
※
なんとなく強い重力がかかるような、不快な感覚を覚悟していたけれど、そんなことはなかった。
何事もないように、静かに、ただ周囲の光景が切り替わる。石造りの、幅の広い通路。
オレはいつの間にか立ち上がっている。先ほどまで座っていたせいで、バランスを崩しそうになる。なんとか踏みとどまり、立ち上がってから起動させればよかったなと公開した。
周囲は暗い。
でも目の前に、巨大な何かがいることはわかる。
あのドラゴンだ。確認するまでもなかった。行動は頭に入っている。
振り返って、駆け出す。空気はひんやりと冷たい。カビ臭いにおいが鼻をついた。足音が無暗に大きく反響する。
不思議と、恐怖はあまりなかった。
もちろん自分の何倍もあるような生き物がすぐ後ろに迫っている状況が怖くないわけがないけれど、別の感情の方が強い。
気分は高揚していた。
小学生のころの、運動会の徒競走を思い出した。
走るときはいつだって、無我夢中になる。頭は使わない。
腕を振って、足を動かす。シンプルに。
鎧も、腰の剣も、走るのには向かない。そのひとつひとつの抵抗を振り払うように、オレは走る。
背後でドラゴンが、空気の塊みたいな叫び声をあげる。
耳が痛い。音に背を押されて、少しバランスを崩す。でも倒れない。
目の前に目的の扉が迫っていた。
オレは腰の剣をつかむ。本物の剣なんてものに触れるのはこれが初めてだった。少し手間取って引き抜く。意外に軽い。刀身はもう何年も前に海辺に打ち捨てられたようにぼろぼろになっている。
物が斬れるとは思えなかった。それでも、信じるしかない。オレは扉に向かって、思い切り剣を振る。
頼りない重みが、手の中からなくなった。刀身はぼろぼろに砕けている。でも扉は下半分がまっすぐに切り取られている。不思議な感覚だ。どう剣を振るのか、はじめから規定されていたようだった。
オレは情けなく這いつくばって、その穴をくぐる。
――大丈夫。
とオレは自分に言いきかせる。
すべてはソルたちによって、完全に攻略されている。
オレはそれを再現すればいいだけだ。
■久瀬太一/8月22日/18時45分
そのウェブページ――「攻略本」には、ソルからのメッセージが、順序よく並んでいた。
オレは合間で、それを読んで心を落ち着かせた。
――ノイマンからソルについて知ってることを聞いて!いざとなったらこっちのこと少しは伝えてもいいから。
とりあえず戻ったら訊いてみよう。思えばソルについて、多少なりとも理解している風だったのは、あのきぐるみくらいだ。
――ノイマンが「(久瀬君と)目的が合致しただけ」と表現したのが気になる。センセイが何らかの目的で我々ソルをプレイヤーに据えたのなら、センセイが最後に生み出した「ベルの物語」を護ることと我々の目的は一致するのが自然だ。もしかすると、みさきの救出と「我々ソルが目指すべきところ」は完全には一致していないのかもしれない。君はどう思う?
その辺りは事情が複雑そうだ。
ノイマンの推測では、センセイは「何か」と戦っているようだ。でもセンセイでは勝てなかったから、ソルを頼った。
だとすれば――少なくともオレには――あまりに全体像の説明がないように思える。ソルがどこまで事態を正確に理解しているのかはわからないけれど、共闘するなら情報を伏せる必要は、通常ないはずだ。
その辺りの理由がわかれば、センセイが戦っている「何か」の正体もみえてくるように思うけれど、今のところ手がかりがない。
少なくともオレにとっては、センセイの都合なんて知ったことではない。
オレにとって正しいと思うように動くだけだ。
――この先で出会う人物たちには、余裕があるなら話しかけて出来るだけ情報を引き出して欲しい。
――ファーブルによると聖夜教会内に「誰も知らないプレゼント」の噂が2つあるらしい。一方は「名前のないプレゼント」と呼ばれるもの。もう一方は、「センセイがいなくなる時に作った」といわれるものだ。君が持っていたオーナメントは「名前のないプレゼント」かもしれない。そして、それは強硬派が持っていったらしい。
――キャンディの女の子はドイルのプレゼントを12年前に送った女の子だ。アイというらしい。
なるほど、わかった。
この情報が、方々に広がっていく感覚が、心地良く感じるようになってきた。
なにか巨大で不確かな、でも大きな塊に含まれている気分になる。→
:【検閲後】
――ノイマンの連絡先は入手してほしい
可能ならそうしよう。
もちろん、相手次第だけれど。
――発明教室の先生について、外見、発言、趣味、性格など、覚えていることをすべて教えて欲しい。
もうあまり覚えていない。
眼鏡をかけた女性で、優しい人だった。そこそこ高齢だったように思う。
趣味については知らない。発言も、目だった口癖みたいなものはなかったけれど、いつも楽しそうに、尊敬の念を込めて、偉人たちの話をしてくれた。
――聖夜協会のセンセイは「謎かけ」が好きな人だったようだ。失踪のタイミングはドイルは「10年前の春ごろ」といっていた。今のところ佐倉みさきの祖父と情報が合致する。
なるほど。
でもセンセイがみさきの祖父だったとして、どうしてみさきを「悪魔」なんて呼ぶ集団を作るのだろう?
いや、みさきが「悪魔」と呼ばれるようになったのは、センセイがいなくなった以降のことか?
なんにせよセンセイが本当にみさきの祖父なら、さっさと姿を現して、彼女を助けて欲しいものだ。
――佐倉祖父=センセイの可能性を前提に考えると、君のお父さんが「プレゼント」に一切言及しないのは非常に不可解だと思わないかい?彼は何かを隠しているのではないだろうか?
たしかにそうかもしれない。
父は、少なくとも悪人ではない。
でも一方で、不器用なところがあるから、ひとりでこそこそと何か考え込んでいても仕方がない。
8月24日を乗り切ったら、一度父に会ってみた方がよいかもしれない。
――いつものバス停を思い出して欲しい。久瀬くんがそこにいるとき、季節は夏だったか?冬だったか?
あのバス停には、あまり季節感というものがない。
暑くも、寒くもない。
だから、申し訳ないけれど、よくわからない。→
:【検閲後】
――クリスマスパーティーのとき、キャンディを配る女の子に会ったのなら、そのとき八千代もいたはずだ。覚えていないか?
もうずいぶん古い話なので、残念ながらはっきりとは覚えていない。
高校生くらいの男なら、何人かいたとは思う。
そのうちのひとりが八千代でも、不思議はない。
――12年前のクリスマスに生み出されたプレゼントが「ドイルの書き置き」らしい。その年のクリスマスは例外的にもう一つのプレゼントが生み出されたという。「名前のないプレゼント」がそれだ。おそらく、この「名前のないプレゼント」は12年前の事件と関わっているだろう。ファーブルはこのプレゼントと「ベルの物語」は噂に過ぎず、誰も知らないと言っていた。ノイマンは教会内でも極めて例外的に情報を持っていることになる。可能な限り聞き出して欲しい。
その辺りの事情の理解には、「ヨフカシ」が関わっているように感じる。
彼女は、「ヨフカシか?」という質問に、不思議な答え方をした。
どんな意図でヨフカシという言葉を使っているのかによる。
あの夜に眠らなかった子供という意味では、私ではない。
ではいったい、どんな意図でなら、ヨフカシに含まれるのだろう?
もっと追究すればよかったな、と後悔する。
――何かがあったのは12年前。にもかかわらず、事件は今起きている。何故今なのか心当たりはないか?
心当たりはなかった。
そのずれは、ずっと気になっていた。
事件があったのは12年前。センセイが消えたのは10年前。
いったいどうして、今さらになって、と思う。
ただの偶然なのか、なにか明確なきっかけがあるのか。
その判断はまだつかない。→
:【検閲後】
■久瀬太一/8月22日/19時00分
オレはやがて、萎れた植物の生い茂る部屋に到達した。
攻略本では「地下菜園」となっている部屋だ。
ここに、「サクラ」と名乗る少女がいることを、オレは知っている。
佐倉みさきのようでも、佐倉ちえりのようでもある少女。
実物をみても、その呼吸を間近で感じても、そうだ。
やっぱり彼女が「どちら」なのか、判断できない。
オレは少女の傍らに膝をつく。
ふたつ手前の部屋で手に入れた小瓶のふたを開き、彼女の唇にそっとそえる。
その液体を流し込むと、彼女は眉をひそめて苦しげに咳き込み、言った。
「あなたは、クゼさん」
彼女に、どう声をかけてよいものか、少し悩んだ。
この先に進むためには、サクラの協力が必要なはずだ。どこまで展開を変えていいのかがわからない。たとえばオレはもう、彼女がこの国の王女だということを知っている。でもそれを指摘してよいのだろうか?
「貴方が助けてくださったのですね。ありがとうございます」
少女は微笑む。
まるで作り物みたいに、綺麗に。
「君は?」
「私は、サクラといいます」
「下の名前を、教えてくれるかな?」
サクラは笑って、口を開いた。
「ミサキ、です」
――みさき?
なぜだか、反射的に、「嘘だ」と思った。
「本当に?」
彼女は首を傾げる。
「はい。どうかしましたか?」
「いや――」
オレは首を振る。
でも、どうしてもこの少女が佐倉みさきだとは、思えなかった。
■久瀬太一/8月22日/20時00分
窓からみえたオレが、サクラに対してどことなくそっけなかった理由がわかった。
彼女には常に、言葉にし難い違和感があった。みさきに似ているから、それが際立った。言動のひとつひとつに、どこか作り物めいた嘘っぽさがあった。
オレはソルからのメッセージを読みながら、城の中を進む。
※
――自分の名前の由来を知っている?
あまりはっきりとは聞いたことがない。
以前、酔っぱらった父が、「北極星みたいなもんだよ」と言っていた気がするけれど、よくわからない。どうして北極星が太一になるんだ。
――美味しいキャンディの食べ方聞いたことない?
残念だが、知らない。
キャンディの食べ方なんて、とけるまで口に放り込んでおくか、噛み砕くかの2通りしかないように思う。
――「名前のないプレゼント」と「ベルの物語」がどんなプレゼントなのか、ノイマンを含め、知っていそうな人物に聞いて欲しい。
それは気になっている。
ノイマンには尋ねてみたけれど、はぐらかすような言葉ばかりで、まともな解答は得られなかった。
――現金を贈らないことにしているのはどうして?
なにかきっかけがあったような気もするが、よく覚えていない。
我が家の習慣みたいなものだと思う。→
:【検閲後】
――久瀬くんが毎年参加していたクリスマス会のメンバーの中に、ニールのプレゼントのような特殊な力を持っていた人はいなかった?何かそこで不思議な体験をしたことは?
まったくない。
何度か舞台でみた手品が、実は魔法だった、なんてことがなければ、だけれど。明らかに不思議な体験をしたのは、先月のバスが最初だ。
――サクラに「悪魔のプレゼント」とは何か聞いてみて欲しい。
サクラはすぐ隣にいる。彼女はスマートフォンに夢中なオレの後ろを、少しつまらなそうについてくる。「悪魔のプレゼントって知ってるか?」と尋ねてみた。
だが彼女は首を振る。
「いえ、きいたことがありません」
嘘をついているのかどうかも判断できない。
それからしばらく、オレは彼女と、悪魔についての話をした。この世界の外側には広大な異世界が広がっていて、その中には魔界もあり――という話だった。
――スーツ姿に軍手をした男に覚えはないだろうか?
残念だが、思い当らない。
不思議な組み合わせだな、と思う。
ちょっと職業を想像できない。
――八千代との発信機はまだあるか? 持っていたなら戻った時に活用できるかもしれない。
そういえば、忘れていた。
オレが借りていた発信機は、荷物と一緒にホテルに置きっぱなしだろうと思う。八千代の方はわからない。スマートフォンで居場所がわかる設定だったから、試してみてもいいかもしれない。――あいつが処分してないはずがないようにも思うが。
――久瀬くん、ドッペルゲンガーの部屋とピエロの部屋はもしかしたら、バスの中で見た方の久瀬くんが捜した以上のものは見つからないかもしれない。もしかしたらそれ以外のものも見つかるかもしれない。こちらでは判断がつかないので、久瀬くんの意思にまかせたいと思っている。どうか気をつけて。
なるほど。
攻略本で、なんとなく事情はわかっていた。
あの部屋はソルたちには探索できなかったようだ。
ならオレが調べることで、なにかわかるかもしれない。
――もしまたバスに乗ったときに、リュミエールかグーテンベルクが乗っていたら、「ヨフカシは誰か?」「センセイはどこにいる?」「悪魔のプレゼントとは?」「12年前のクリスマスに何があった?」など、疑問に思っていることを聞いてみて。
なにかのルールがあるようで、あのふたりは基本的に、質問には答えてくれない。「権限がない」という言い回しだったように記憶している。
でもまぁ、試すだけは試してみよう、と思う。
――この攻略本を編集している時点では、我々ソルはノイマンがみさきちゃんを引き渡した人物もみさきちゃんの居場所を特定出来ていない。
不安だ。
8月24日は、もう明後日だ。
ノイマンのいう、「より詳しく事情を知っている人物」というのに期待するしかない。→
:【検閲後】
――君にとって約束って何?
簡単にいうと、守らなければならないもの、だ。
オレの感覚を素直に表現すると、自分で自分の胸に刺す棘みたいなものだけれど、あまり伝わる自信がない。
――この後、君は吟遊詩人に会う事になるのだが、その吟遊詩人の歌の内容が君の小学生時代の長期休暇の思い出では無いかと疑っている。これを聴いて何か思い出す事は無いだろうか。
わかった。意識しておこう、と思う。
――7月23日の君はどうしてた?
ひと月前のことだが、あまりはっきりとは覚えていない。
あのころはまだ普通に暮らしていたはずだ。
宮野さんに会う前日だから、たぶん、友人と遊んでいた。
――もしちえりに聞けそうだったら『みさきが行方不明になる前にみさきと、何処で、どんなことでケンカしたのか』と聞いてほしい。
ケンカ。そういえば、ちえりがそんなことを言っていたように思う。
プライベートなことは、踏み込みづらいけれど、次に会話する機会があれば訊いてみよう。
――クリスマス会で久瀬くんは何か「特別な役割」を持っていた?(毎年プレゼントを配る、とか)もしくは久瀬くん以外に「特別な役割」を持った人はいた?
オレはただ、パーティ会場をぶらついて、飯を食っていただけだ。
特別な役割、というのがよくわからないけれど、とくに思い当らない。舞台に上ってピアノを弾くのが特別な役割なら、13年前のみさきには特別な役割があったということになる。
――クリスマス会の参加証として久瀬君が毎年飾っていた白い星のオーナメントってひょっとしてトップオブスターだったりする?それともトップオブスターは毎年別の人が飾ってた?
いや。そういえばあのツリーの頂点には、星はなかった。
オレが受け取っていた星も、通常のオーナメントのひとつだ。写真のものと同じだと思う。
――ツリーの一番上の星、トップオブスターは「良い子」が飾るのが一般的な風習らしい。久瀬君が飾ったことがあるなら、もしかするとその年のプレゼントは君が贈ったものについて発生しているかも知れない。トップオブスターを飾ったことがあるなら、そのときの贈り物に関するエピソードを教えて欲しい。
気になる情報ではある。
でもオレは、ツリーの頂点に星を飾ったことはない。
――このページの右上の画像は、我々がドイルを語って参加した食事会のときのものである。君の持っていたオーナメントと同じものか違うかを教えて欲しい。![]()
同じものだ。
その写真のもので間違いない。→
:【検閲後】
――「名前のないプレゼント」に名前をつけるとしたら、メリー曰く「悪魔のプレゼント」らしい。聖夜経典の記述を借りるなら悪魔が英雄にかけた呪いがプレゼントになったものだと思われる。
なるほど、わかった。
これまでの情報と合わせると、センセイが良い子を選び、その良い子がプレゼントとして、英雄への呪いを贈った、ということになるのか?
良い子の定義がよくわからない話だ。
――君にはみさきちゃんを助け出した後、日常の生活に戻った時、何かやりたい事はあるかい?
しばらく平穏に、怠惰に過ごしたいな。
でもまずは――それが宮野さんのところかどうかはわからないが――まともにバイトをしたい。もう貯金もないし、どんな形であれ八千代に借りた金は返さないといけない。
それから、就職活動にまったく手をつけていないのも気になる。
――君がいま一番願っていることはなんだ。
佐倉みさきの平穏だ。
――たぶんこの空間から出たときには24日は目前だ。ここから出ても気を引き締めていこうな!
ああ、ありがとう。
気を引き締めよう。少なくとも、24日を乗り越えるまでは。→
:【検閲後】
※
オレたちはやがて、城の地下を越え、1階に出た。
攻略本によると、まだまだ先は長そうだ。
■八千代雄吾/8月22日/21時
「貴方の身柄は、私が預かることになりました」
うすら寒い笑顔を浮かべて、ファーブルが言った。
オレはなにも答えなかった。どうにでもなれ、という気持ちだった。
「貴方に起こることを観察しろ、というのがメリーからの指示です。とはいえ」
ファーブルが下から、こちらの顔を覗き込む。
「まるで抜け殻だな。面白味もない」
どうにでもなれ、という気持ちだった。
頭の中では彼女の声が渦巻いていた。
――急な長期外泊が長引いて、去年渡すはずのクリスマスプレゼントがまだ手元にあるのでした。
オレは。オレの記憶は。
彼女と病室で過ごした時間は、なんだったんだ?
それは悲しい記憶だった。だが、幸福な記憶でもあった。
少なくともオレにとってはもっとも価値のある、ほかの何事にも変えられない記憶だった。
――あれが、ぜんぶ嘘だったっていうのか?
なにが起こっているのかわからなかった。
まったく違う記憶と後悔が、胸の中に満ちていた。
オレは彼女に会いにいかなくて。ただ学校で優等生を演じることに夢中で。彼女からの、電話なんてなくって。
1年以上も顔を合わせないまま死んだアイの墓の前で初めて泣いた。
オレは、情けないオレを思い出していた。
※
それから、ずいぶん時間が経った。
オレはどこかマンションの一室に転がっていた。
両手は背中に回され、手錠がかけられている。冷たい鉄が手首に食い込む。
「貴方はプレゼントを失ったそうです」
ファーブルから聞いたことだ。
「なぜ、そんなことが起こるのかは知らない。ですがメリーの言葉です。間違いはありません」
きっとそれは真実なのだろう、とわかっていた。
敵に捕らわれ、手錠をかけられる。類似した危機なら、これまで何度か体験している。ナイフで脅されたことも、拳銃を突きつけられたこともある。だがオレはいつも笑っていられた。
いくらでもやり方があったからだ。
たとえば警察の関係者。たとえば相手の取引先。
事前に軽く準備をすませておくだけで、いざとなれば電話が鳴った。コールの音が聞こえると、事態が好転した。前もそうだった。次もそうなる。馬鹿みたいに信じられた。
でも今回は違う。
もうだめだ、とわかっていた。
オレは死にかけの幼馴染みにかける言葉も思いつかず、病院のドアを叩く勇気もなかった、ただ気弱に震えていた男のなれの果てだ。
床に転がったまま震えていた。
恐怖で思考がまとまらなかった。なにか考えようという気力もなかった。
――アイ。
どうして。
オレは彼女の声を聞きたかった。
ずっと、彼女からの連絡を待っていた。
でもドイルの書き置きなんて不可思議な力を持っていたとしても、死者からのメッセージは届かなかった。
――ようやく、彼女の声を聞いたんだ。
なのに、どうして。
そんなにも幸福なことが原因で、オレは絶望しなけりゃならないんだ。
※
この数日間、しばしば、ドアの向こうが騒がしくなる。
ファーブル――あるいはその手下が、誰かと口論しているようだ。
若い女性の声。
きっと、悪魔だろう。そう思い当った。
声を聞く限りでは、ただの少女のようだった。無理に気丈に振る舞っている、そんな印象の声。
――オレは君を助けようとしたんだよ。本当に。
心の中で、どこにもいない誰かに懺悔する。
――アイの言葉を聴くついでだ。でも、本当に助け出すつもりだったんだ。
それはきっと、どこかのヒーローに対する懺悔だ。
オレは彼から、勝手に希望を奪い取り、そして今勝手に絶望している。
■久瀬太一/8月22日/21時30分
サクラは後ろに残している。
一歩、もう一歩。
オレはゆっくりと王座に近づく。
地雷原を歩くような気分だ。でも確率の問題じゃない。オレは確実にそれを踏み抜く。攻略本をみたから知っている。
想像よりも、王座に近づいたと感じた。
駆けだせばすぐにそこに到達できそうだった。
オレが普段よりも狭い歩幅でまた一歩、右足を踏み出したときに、それは起こった。
正面が爆発する。
爆風に煽られ、オレは後方に吹き飛ぶ。尻餅をついていた。
ふいに、ではなかった。オレはすぐさま、立ち上がる。
そいつが現れることを知っていた。
黒いローブの悪魔。
「英雄クゼ。また会ったな」
不気味に割れた、無理をしなければ声だとは思えない声。
そんなものを聞いている暇はなかった。
オレはこの部屋で起こることを知っていて、できる限りの準備もしている。
「今度は魔力に余裕がある。逃がしはしない」
悪魔が、軽く右手を持ち上げた。その時だった。
炎が津波のように、四方から押し寄せる。単純に、そのサイズに驚く。炎はオレの身長の3倍はあった。思わず見上げて、足がすくむ。
――でも、これでいい。
1手目はここだ。
オレはちらりと視線を落とした、足元には、読み取りづらいけれど、白い線で「1」と書いてある。事前に石を使ってマークしておいたものだ。慎重に距離を測ったし、最短距離で走る練習もした。
押し寄せてきた炎が周囲を取り囲む位置で止まり、一層強く燃え上がる。すぐ目の前で暴れる赤。あまりの熱に、一瞬、汗が乾いた。炎が消えて、またあの黒い悪魔がみえたとたん、新しい汗が噴き出す。
オレは走る。もう炎をみるのはやめる。
――2番、緑のエリア。
周囲で炎が弾けるのと同時に、反復跳びのように逆側に走る。
――3番、オレンジタイル。
オレはこのイベントを知っている。
オレ自身が経験するのは初めてでも、ソルたちが答えを教えてくれる。
――4番。左手前柱の裏。
背後で柱がはじけ飛び、爆風が背を打った。
石の破片が頬をかすめていく。知ったことじゃない。
――5番。白と黒のタイル、割れているところ。
安全地帯が狭い。スライディングの要領で止まる。
練習では走り出すときに、何度か割れ目に足を取られた。落ち着いて。でも次は距離が長いから迅速に。
――6番。水色のタイル、割れているところ。
初めは震えていた拳が、今は落ち着いているのがわかる。
余裕はない。夢中だった。震えている暇がないくらいに、必死だった。
――7番。右奥柱の裏。
また柱が燃え上がるが、気を取られなければなんてことはない。
リズムは一定だ。悪魔も炎も関係ない。オレはただ定まったルートを、定まった速度で移動すればいい。通学みたいなもんだ。なにも難しいことはない。無理やりにそう考えた。
――8番。白い床、はがれたところ。
もう少し。あと1手。確実に。
――9番。右手前。柱の裏。
次だ。
赤い絨毯の真ん中に、大きく書いた「10」という文字がみえる。
うつむいて、文字だけをみて、ただ走る。
白い線を踏んで顔をあげる。
もう目の前に、炎の波が迫っている。
怖かった。心のどこかで、疑っていた。たった1冊の本の命を預けるようなこと、できるならしたくはなかった。
――いや。違う。
オレが命を預けるのは、もっと大きなものだ。
あの攻略本に書かれていたテキストを思い出す。
※
久瀬くん信じてるよ!!応援してる!
負けるな!ファイトーー!
負けんじゃないぞ!負けたら承知しないからな!
応援しています。ハッピーエンド目指して皆で頑張りましょう。
大丈夫。ソルの攻略本だよ。
自分を信じろ!絶対大丈夫だからな!
八千代からコインロッカーの鍵掠め取った時を思い出せ!
あんな感じで行けば大丈夫やれる!
ソルを信じてくれ。こちらも君を信じるから
君は聖夜教典上の英雄なんかじゃなくて、いまほんもののヒーローになってる!最高にかっこいいぜ!
※
覚悟を決めて、白い本を床に置く。
目は閉じなかった。
すぐそこで炎が割れて、焦げ臭い匂いがした。
真正面に悪魔がいる。
オレはもう、うつむかない。
最後だけ、まっすぐに、顔をあげて走る。
悪魔が軽く腕を掲げた。
正面から、炎の波が迫っていた。
――もう一歩。
その中に飛び込むように、走る。
――もう一歩。
目の前に悪魔がいる。
そいつはこちらを見下ろして、笑ったような気がした。
オレは笑わなかった。悪魔の足元で、かしずくように膝をつく。
誰に対して。悪魔。まさか。
黒い表紙の本を、置いた。
顎から汗がたれて、ぽたりとその本に落ちた。
なにか、巨大なガラスが割れるような。
異様に高い、濁った叫び声が聞こえて、顔を上げると悪魔が身をよじりながら燃えていた。![]()
【8/22 21:59-22:08】メリーとノイマンの会話
トナカイ > メリーさん、いらっしゃい。 (08/22-21:59:20)
トナカイ > ノイマンさん、いらっしゃい。 (08/22-22:00:10)
★ ノイマン > その後、悪魔の様子は?
★ メリー > 特には、報告を受けていません。
★ メリー > ずいぶん気にしていますね。
★ ノイマン > ……ええ。
★ ノイマン > 昔から、拾った生き物にはすぐ愛着をもつタイプなのよ。
★ メリー > 貴女と彼女が、本当に最初に出会ったのはいつですか?
★ ノイマン > いつでもいいでしょ。そんなの。
★ ノイマン > なんにせよ、私は貴女の味方よ。
★ ノイマン > でもあの子の敵になるつもりもない。
★ メリー > ええ。
★ メリー > 覚えておきます。
トナカイ > メリーさん、さようなら~。 (08/22-22:08:22)
トナカイ > ノイマンさん、さようなら~。 (08/22-22:08:30)
■久瀬太一/8月22日/22時00分
当然ではあるけれど、生まれてはじめて、転移装置というものを使った。
一体どういう構造だろう? 空間が歪んでいるのだろうか。一度、肉体がデータに置き換わっているのだろうか。
そう考えたけれど、思えば元々、ここはゲームの中だ。初めからオレはデータなのだろう。なら光のスピードで移動できても不思議はない。
「ようやくお城を抜け出せましたね」
とサクラが笑う。
オレはいかにもなファンタジーRPGの街が目の前に広がっていることに、軽い感銘を受けていた。家と家のあいだがひろい。塀もない。オモチャの家屋をぽんぽんと並べた感じだった。
「魔法陣も無事に集まったし。みんな、クゼさんのおかげです。ありがとうございました!」
オレはいわれた通りに動き回っただけで、ほとんどあの攻略本のおかげだ。
なんだか手柄を横取りしているようであまり気持ちはよくないが、その辺りの事情を説明するつもりもなくて、オレはただ頭を掻いた。
ここは、城が悪魔に襲われたとき、サクラが逃げ延びた街だという。
「荷物を宿に預けているんです。クゼさんもお疲れだと思います。よろしければ、一緒に宿までいきませんか?」
そういわれると、断わる理由もなかった。
宿はすぐそばらしい。
オレたちはそちらに向かって、ぽつぽつと歩く。
一歩ごとに、疲労を意識する。さすがに今日はもう眠りたかった。
と、ふいに。
「ねぇ、お兄ちゃん」
小走り気味に駆け寄ってきた少年に、声をかけられた。
「門は明日の、16時にひらくらしいよ」
――なんだ、それ。
どうしてそんなこと、わざわざオレに言いにくるんだ。
疑問に思っているあいだに、その子はまた駆け出していった。
「不思議な子供ですね」
とサクラが言った。
まったくだ。![]()
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■久瀬太一/8月22日/22時15分
宿は木造の、小さなアパートのような建物だった。
ロビーのような空間はとくにない。受付から廊下が伸び、いくつか部屋が並んでいる。
客室のひとつに通されるとオレは、すぐにベッドに寝転がった。
疲れ果てていた。
サクラは丸いテーブルに向かって、ノートと本を開いている。
どうやら城で集めた魔法陣を読解しようとしているようだ。
身体を起こして、彼女の手元を覗き込む。
オレの視線に気づいたのか、サクラがこちらをみて、軽く微笑んだ。
「これは、『悪魔と魔法陣』という本の上巻です。悪魔が使う魔法陣を解釈して、魔法システムを駆動させる方法が書かれています」
とりあえず、難しそうだということはわかった。
「魔法システムってのはなんだ?」
「一概にはいえませんが、この魔法陣は古いタイプのシステムですね。水銀と虚空で構成されているみたいです」
水銀はまだしも、虚空ってなんだ。
「このシステムはさらにゲブラーの力を借り、外の世界の特別な地への道標となる、というところまではわかるのですが――」
とりあえず、「すごいな」とオレは答えておく。
意外と興味深い話ではあったけれど、疲れていた。
この辺りの設定もノイマンが作ったのだろうから、現実に戻ってから訊けばいい。
「読んでみますか?」
サクラはその本をさしだす。
とりあえず受け取って、オレは表紙を開いた。
中表紙には、サクラの話よりはまだしも理解できそうなテキストがある。
『1949 instruction set』
と、そこには書かれていた。
――To be continued
・【ニコ生(2014/08/23 16:00開始)】【3D小説 bell】いい大人達とお前らの『シロクロサーガ』攻略
http://live.nicovideo.jp/watch/lv189350026
「8月23日(土)16時に公開される『シロクロサーガ』第2部」をクリアするまで実況。
★★★EDSAC on browserに魔法陣(QRコード)から読み取った文字列を入力
・EDSAC on browser:http://nhiro.org/learn_language/repos/EDSAC-on-browser/index.html

魔法陣(QRコード)
・文字列(スペースおよび改行なしで入力):
T94SE45SQSWSESRS#SP6SP11SPLP2SPLPSPLO37STSA40ST44STSA43SLLUSA55SU55SO33S
SST55SI1SA1SS39SE84STSA1SS38SE80STSA1SS41SE76STSA42SS40SU42SE46SZSTSS44ST44
SE84STSA43SA44ST43STSA43SA44SE89SA41SU43SS41SG49ST43SE49SRNSNNNENNRNNNE

8月21日(木) ← 3D小説「bell」 → 8月23日(土)
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最終更新日 : 2015-07-30