

※『どこにもいけない男の視点』:「ある男の視点1/2/3」に加筆。
鹿児島のカフェ「SANDECO COFFEE(サンデコ珈琲)」にて『どこにだっていける男の視点』と共に発見。
15年前のオレは、どこにでもいるような中学生だった。そこそこ勉強ができて、愛想笑いが得意だった。
オレと同じ人間なんていない。そう叫びたくなる。でもきっとオレと同じような中学生はこの世界中にいて、オレと同じように苛立ちながら、オレと同じようにいろんなことを諦めている。きっと、そういうことなんだと思う。
※
親父はそれなりに金を持っていたから、世間的には不自由のない裕福な家庭にみえただろう。いかにも最近の金持ち風のスタイリッシュな家に住み、美味いものの感激を忘れるくらいに美味いものを食い、いちいちブランドの名前がついた服を着ていた。
うちの家に足りないものがあるとすれば、それは母親くらいなものだった。彼女が家を出たのは、オレがまだ小学校を卒業する前のことだ。母はオレを引き取りたがっていたと聞いている。でももちろん親父はそれを許さなかったし、結局オレは、強い主張もなく、あの家で生活することになった。
傍からどう見えようが、オレには自由なんてものはなかった。食事も、日常も、ささやかな趣味も、すべて管理されて過ごした。
毎朝、ぴかぴかの革靴を履くたびに、ひどく気分が落ち込んだのを覚えている。
それは心が躍らない靴だった。親父によって整備が行き届いた、でも花ひとつない道をまっすぐに、同じペースで歩くためだけの靴だった。
――こんなんじゃ、どこにも行けねえよ。
毎日、ぴかぴかに磨かれた革靴をみるたびにオレは、内心でそうぼやいていた。
※
オレは親父が嫌いだった。
きっと親父も、オレと同じように不自由な人生を歩んだのだろう。親父の会社は祖父が興したもので、あいつはそれをただ受け継いだだけだ。綺麗に整備された道をまっすぐに歩いてきたあいつは、オレにもそれを強要することで、自分の人生を肯定したがっているようにみえた。あるいは、ゾンビが仲間を求めて新たなゾンビを生み出そうとしているようにも。
オレが親父の葛藤に気づいたのは、彼のいかにも優等生的な書斎に、一枚の古臭いアルバムが飾られていたからだ。それはビートルズの『アビー・ロード』だった。そのチープな彼自身へのアンチテーゼは、彼を一層うすっぺらにみせた。
※
母には、親父に内緒で会っていた。
それが親父に対する、唯一の反抗みたいなもので、今思えば自分のちっぽけさが嫌になる。堂々と会いたいと言い、堂々と会えばよかったのだ。あんな家さっさと出ればよかったのだ。
きっと当時のオレだって、今と同じように頭ではそうわかっていた。でもオレはいつもこっそりと、学校の帰りや、親父のいない休日なんかに、息を潜めて母に会っていた。もちろんあの、ぴかぴかの革靴を履いて。
母は誕生日とクリスマスに、オレにプレゼントをくれた。一四年前の冬、欲しいものを尋ねられたオレは、「スニーカーが欲しい」と答えた。安っぽい、ぼろぼろに履き潰すためのスニーカーが欲しい、と。
オレは自由が欲しかった。
どこにでもいける靴が欲しかった。
※
ロンドンにあるアビー・ロードはずいぶんな観光地になっているらしく、ウェブカメラで二四時間中継されていた。
母が出て行った頃から、親父はよくその動画を眺めるようになった。
「その気になりゃ、オレは明日にでもここにいけるんだぜ」
と親父はよく言った。でもあいつがその映像に映り込むことはなかった。
「いつだってここにいけるんだ」
あんたはそこにはいけねぇよ、と内心で応えながら、オレは愛想笑いを浮かべていた。
※
母はクリスマスに、スニーカーを贈ってくれた。
「たくさん履いて、ぼろぼろにしてね」
と母は言った。
「また買ってあげるから、好きなだけ走り回ってね」
オレは嬉しかった。本当に。それはどこにでもいける靴なのだと思った。
でもオレは、そのスニーカーを箱に入れたままベッドの下にしまい込んだ。たまに、夜中にひとり、部屋の中でそのスニーカーを履いてみたことはある。でも外には出かけなかった。
オレは親父を怖れていた。
もしあいつに、このスニーカーのことがばれたらきっと、ひどく叱られる。すぐに捨てられてこれはオレのものじゃなくなる。そうわかっていた。だから履けなかった。
でも、そんな警戒は無意味だった。
ある日学校から帰ってみると、オレのスニーカーはなくなっていた。通いの家政婦にみつかって捨てられたのだとわかった。
***** 以上は、「ある男の視点1」「ある男の視点2」「ある男の視点3」にて描写済み。以降は初出。 *****
許せなかった。もちろん。でも。
--いつものことじゃないか。
とオレは思った。
オレは不自由なんだ。だれだって、どっか
が不自由なんだ。そんなことは知っている。
スニーカーひとつでなにが変わるってんだよ
と、自分の愚かさにぼやく。
それでも諦めきれなくて、オレはゴミ袋か
らスニーカーを取り出して履いてみた。どき
どきしながら近所をぐるりと一周する。この
まま母親のところに行こうかと、途中で一度
だけ思った。でも結局はすぐに家に戻って、
そいつをまたゴミ袋に放り込んだ。
--どこにでもいける靴、か。
そんなわけがなかった。それはただのス
ニーカーだった。革靴ではどこにもいけな
かったオレが、スニーカーに履き替えたくら
いでなにが変わるっていうんだ。
もう諦めていた。オレはきっと親父と同じ
ように、これからも生きていくんだろう。ど
こにでも行けるんだといいながら。どこにも
行けないまんま。
オレはゴミ袋を固く縛り、隣に揃えて脱い
でいた、ぴかぴかの革靴をまた履いた。
※
夜になって親父が帰ってきた時には、すこ
しだけどきりとした。
でも家政婦は、スニーカーのことは父には
言っていないようだった。
「なんだ?」
という親父に、オレはいつもの愛想笑いを
浮かべて、「お仕事、お疲れ様」と言った。
これでいいのだと思った。
オレは今までと同じように、愛想笑いを浮
かべて生きていけば、それでいいんだ。
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最終更新日 : 2014-11-15