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・当企画のイベントに際して、現地で動かれるみなさんにお知らせとお願いがあります。
現在、日本の一部地域に台風が接近しており、外出が危険な状態とのことです。
応じてイベントスケジュールを調整しておりますので、当企画の小冊子は無理に本日閲覧する必要はありません。
行動されるさいには、充分な注意を払われるようお願いいたします。
■佐倉みさき/8月9日/15時
尾道は晴天だった。
なんだか昨日は1日、移動だけに費やしたような気がする。
宿は、港から渡し船に数分ほど乗ると着く小さな島にある、旅館だった。久しぶりにふとんで眠り、今日は思い出の場所巡りをする日だ。とはいえノイマンが午前3時ごろまで仕事をしていたようで、彼女に気遣って、活動を開始したのは午後からだ。ニールはひとりでその辺りをふらふらとしていたようだ。
日の長い時期だから、慌てる必要はあまり感じない。
ゆっくりと昼食をとって、15時に私とノイマンはニールと合流する。尾道駅の前だった。
ニールはいつも通りの不機嫌そうな様子で、ぼそりと言う。
「小学校」
今回も、まずは小学校が目的地らしい。
久瀬くんが尾道にいたのは、たしか小学2年生のころだったはずだ。あのキーホルダーをプレゼントしてくれた年。私と彼とが最後に会った年でもある。
「なにか覚えてる?」
とノイマンに尋ねられて、私は首を振る。
個人的な思い出ならあるけれど、それは尾道とはなんの関係もないものだ。
「ま、のんびり行きましよう」
とノイマンが言うころにはもう、ニールが歩き出していた。
※
ペリカンを模した奇妙な水飲み場を横目に眺めながら、私たちはぷらぷらと歩く。
海がきらきらと太陽を反射していて、眩しい。
海辺の街というのはいいものだなと思った。
ここで久瀬くんは、どんな生活を送っていたのだろう?
★★★尾道の天気に関する描写。パラレルワールド説や特定の人物による空間移動についての推測。


■佐倉みさき/8月9日/16時
みて回った小学校は、都市部のそれと比べるとこぢんまりとしている。アットホームな雰囲気があり、個人的には好印象だった。
「このへんは、こぢんまりとしてるな。閉塞的で、気味が悪い」
ニールが私が考えていたのと同じ言葉を使って、でもまったく逆の印象を語った。
ノイマンがなんだか、小馬鹿にした風に笑う。
「なんだか不機嫌そうね」
ニールが不機嫌なのはいつものことだと思うけれど。
だが彼は顔をしかめた。
「小規模な社会は保守的で排他的だ。狭い視野のルールに固執して、冒険がない」
ノイマンがため息をつく。
「本当は海が嫌いなだけでしょ」
ニールが眉間のしわを、一層深くした。
「どういうことですか?」
と私はあえてノイマンに尋ねる。
「私もよく知らないのだけれど。こいつの故郷も海が近かったらしいわよ」
ニールが叫ぶ。
「うるせぇ。小学校の次はどこだ?」
ノイマンが答えた。
「この辺りよ」
「どの辺りだよ」
「知らないわよ」
ノイマンがちらりと、脇の小路に視線を向けてみせた。ちょうど、猫がたったと小走り気味に横切っていく。
呆れた様子で、彼女は言った。
「この辺りの路地、としか聞いていないから」
なんだそれ。
メリーだかリュミエールだか知らないけれど、指示を出した人はちょっと大雑把すぎやしないか、と私は胸の中で呟いた。
■佐倉みさき/8月9日/17時
私たちはある動物の名前がついたカフェで、早めの夕食をとった。
私とノイマンはカレーを、ニールはアンチョビトーストとビールを注文した。
よく歩いたからか、空腹だ。私は運ばれてきたカレーにスプーンをつっこむ。本格的なスパイスの味がして、とても美味しい。
ニールは相変わらず不機嫌そうで、私とノイマンもとくに会話を交わさなかった。黙々と食事を終えて、食器が下げられたテーブルの上に、40枚のイラストが並べられる。
「今日の1枚目は、これよ」
とノイマンが3番のイラストをさした。
まず、大きく書かれた「嘘」の文字が目につく。
絵は、記号的な人間が仮面を外している様子だ。その下から、違う仮面を被った顔が現れている。二重の仮面。
なんとなく、この作業のコツがわかりつつあった。
彼のエピソードの全貌は知らない。
私は彼の、ささやかな言葉を思い出すことに努めればいい。
二重の嘘。
思い当る、久瀬くんのセリフがあった。
――うちの学校に、塾だって言ってすぐに帰る転校生がいてさ。そいつは二重の嘘をついてたんだ。
あのとき、彼はなんだか悲しそうに笑っていた。
――あいつはオレと同じだった。
と久瀬くんは言った。
※
直後、また。
貧血のような、意識がすっと抜けていく感覚があって、私は目を閉じる。
まぶたの裏側に、白いスクリーンが浮かび上がっている。
――リュミエールの光景。
3度目ともなると、もうおどろかない。
私が久瀬くんのエピソードを理解したときに、ここに彼の過去が浮かび上がるのだ。
※
目をひらいて、私はつぶやく。
「塾だと言ってすぐに帰る転校生は、二重の嘘をついていた。あいつはオレと同じだ、と彼は言った」
私の呟きに、ニールが不思議そうに眉を寄せた。
「つまり、こいつは転校生なのか?」
「たぶん」
久瀬くん自身、転校の多い子供だったというが、その彼が「転校生」と呼んでいた。
だから、きっともう一人いたのだろう。転校生が。
二重の嘘、というのが具体的にどんなものだったかはわからない。たぶん久瀬くんは、抽象的にしか話してくれなかった。でも、私はそれよりも、「オレと同じ」という表現が気になっていた。
どうぞ、と言って、ノイマンがスマートフォンを差し出す。私はそれを受け取った。
ツイッターアプリを起動する。
――何度もすみません。また力を貸していただけますか?
★★★該当するカフェを「Coyote」と推測。
■佐倉みさき/8月9日/17時07分
彼は何か夢を持っていたのでは? 33とか。
※
スクリーンに映像が浮かび上がる。
私はあわてて、目をとじる。
久瀬くんと、知らない少年が、言い争っているようだった。
不機嫌そうに、知らない少年か言う。
「オレ、プロ野球選手になりたいんだよ。いつも練習してるんだ。みんなみたいに、遊んでる暇ないんだ」
彼が「転校生」だろうか。
久瀬くんは、平然と笑っている。
「すげぇじゃん。今のうちにサインくれよ」
「嫌だよ」
「じゃ、オレも野球の練習にまぜてくれ」
「ふざけんな。オレは本気なんだ」
しばらく言い合ったのちに、転校生が、久瀬くんに背を向けて駆け出す。
久瀬君は、そのあとをおったようだった。
そこで画面がゆがみ、また映像が途切れてしまう。
――とにかく、33番はこのエピソードに関係している。
そう考えて、間違いないだろう。
■佐倉みさき/8月9日/17時10分
オレと同じ…23とかどうだろう?彼もマザコンだったりとか
※
スクリーンに、転校生の姿がうつる。
久瀬くんではない、私の知らない転校生。
彼は泣いていたようだった。赤い目で、叫ぶ。
「だれにも言うなよ」
背をむけて、彼から歩み去ろうとしていた久瀬くんが、振り返る。
つづけて転校生が叫んだ。
「マザコンだって馬鹿にされるから、ぜったいに誰にも言わないでくれ」
真剣な表情で、久瀬くんが頷く。
「わかったよ。友達同士の約束だ」
赤い目のまま、転校生が言い返す。
「うるせぇ。友達なんて、いらないんだ」
――どんな場面なんだろう?
よく、わからないけれど。
でも、23番のイラストもこのエピソードに関係していると考えて、間違いないようだ。
■佐倉みさき/8月9日/17時15分
まさか、突拍子もなく16番のでべそが嘘に関係してたり?
※
でべそ?
いったい、そんなものがどう関係しているというのだろう?
わからなかった。でも。
まぶたの裏側のスクリーンが、一瞬、みだれる。
――え? 16番なの?
だがそこに、意味を持つ映像は浮かび上がらなかった。
一瞬、なにか、男の子のシルエットがみえただけだ。それが久瀬くんなのか、転校生なのか、まったく別の誰かなのかの判断もつかない。
――きっと、私がエピソードを理解していないからだ。
イラストが当たっていても、そのエピソードがわからないと、このスクリーンはまともな映像が表示されない。
でも、いったい16番に、どんな意味があるというのだろう?
■佐倉みさき/8月9日/17時20分
23はどうですか? 塾ではなく、お母さんが心配で帰宅していた、とか
※
たぶん、さっきみた映像の続きだ。
野球の練習について言い合っていたシーン。
転校生の男の子が駆け出して、久瀬くんがそのあとを追ったところだと思う。
しばらく、映像がみだれて、だけどもう一度ふたりの姿が映った。
なにか白い建物の前に、久瀬くんと転校生が立っている。
――病院?
そう考えたとき、再び画面がゆがみ、今度こそ映像が途切れてしまう。
■佐倉みさき/8月9日/17時23分
おまえのかーちゃんでべそ! とか言われて怒ったとか?
※
それで映った映像は、一瞬だった。
久瀬くんだ。
彼はなんだか泣き出しそうな、せつなそうな顔で、でも笑っている。それは笑みを浮かべたヒーローのオモチャが、ぼろぼろに傷ついているようにもみえた。悲しい顔だ。
彼は叫ぶ。
「やーい、やーい。おまえのかーちゃんでーべーそー」
久瀬くんに、悪口は似合わない。
それにその台詞は、子供なのに妙に大人びた、複雑な久瀬くんの表情にも似合わない。
なんにせよ、と私は思う。
16番も、今回のエピソードに関係しているようだ。
■佐倉みさき/8月9日/17時26分
「ああ、もう、ごちゃごちゃしててわかりにくいんだよ!」
と横からスマートフォンを覗き込んでいたニールが叫んだ。
「ちょっと貸せ!」
スマートフォンを私の手から奪い取り、なにか書き込んだ。
私はそれを覗き込む。
※
ルール)
1、まずイラストを番号で指定すること。
4枚指定する場合は1行目に「1→2→3→4」という風に書く。今回、1枚目は3で固定だから、必ず「3→」から始まる。
1枚だけについての意見は、「1」とひとつだけ数字を描けばいい。
2、数字の下に、簡潔に話をまとめること。
ルールの続き)
長くなる場合、ツイートのラストに(続)と書くこと。
それから、2つめのツイートは、1つめのツイートに返信する形で書くこと。
わかったか?
※
こちらから協力をお願いしているのに、なんて横暴だ。
ノイマンがすばやく彼からスマートフォンを奪い取り、書き足す。
※
すみません、今のはいつもの馬鹿な弟が書きました。
でもルールに従って書いてくれると嬉しいです。
※
「馬鹿な弟ってなんだよ?」
「なんだかよくわからない大勢が協力してくれてるんだから、感謝しなさい。その自覚がないから馬鹿なのよ」
「だいたいこいつら、なんなんだよ? 普通、こんなツイートに反応するか? みんな暇なのか?」
「黙りなさい、馬鹿」
ふたりが子供じみた口論しているあいだに、私はスマートフォンを奪い返した。
■佐倉みさき/8月9日/17時30分
→
→
→
3→33→23→16で、塾と偽り帰宅する彼は、夢を語り同級生を遠ざけた。実は彼は、マザコンであり、入院中の母親のもとに通っていたが、偶然久瀬君と病院で鉢合わせ。久瀬君は母親は出べそ、と彼をからかい不仲を演出して彼の嘘を守った。のかな?
※
そのツイートは、なんだかこのエピソードの全貌を語っているようにもみえた。
3番、33番、23番、16番。
おそらく、この順番で間違いない。
それに、それぞれのコマのエピソードも、納得のいくものだった。
なのに、白いスクリーンはまだ、「リュミエールの光景、起動中」のままだ。
――4つのコマでは、足りないの?
これだけでは欠けている、彼のエピソードがあるのだろうか?
私は、妙にひっかかっていることがあった。
「あいつはオレと同じだ」
と久瀬くんは言った。
――同じ?
転校生だから、だろうか? でもそれだけではないような気がする。
当時久瀬くんは、小学2年生だった。
彼と同じ、というのは、どういう意味だろう?
■佐倉みさき/8月9日/17時37分
久瀬君と同じというのは、お母さんを亡くしてしまったのかもしれない
※
一瞬、血の気がひいた。
――そうなのか?
彼が母親を亡くしている、とは人づてに聞いていたけれど、この時期なのか?
スクリーンに、映像が映る。
久瀬くんが白い建物を見上げている。
「オレもさ、ちょっと前まで、よく病院にいってたんだぜ」
転校生が尋ねる。
「どうして?」
「母さんが、身体が弱くてさ。毎日、お見舞いにいってた」
「……それで?」
「死んじゃった」
久瀬くんは泣きそうだったけれど、泣かなかった。
――そうか。
これは久瀬くんが、お母さんを亡くしてから、そう経っていないころのエピソードなんだ。
映像が乱れる。
でも、しばらくたってまた、そこに久瀬くんの姿が映った。
彼は教室の席に座っていた。
教壇には先生が立っていて、言った。
――佐々木くんのお母さんは亡くなりました。
久瀬くんは、ちらりと教室のすみの席に目を向ける。
そこには誰も座っていなかった。
■佐倉みさき/8月9日/17時45分
塾だと嘘をついて早く帰宅する転校生は、さらに野球選手の夢のためなんだと嘘をついた。しかし実は転校生は母親の見舞いに行っており、母親はとうとう亡くなる。少年はあえて転校生の母親の悪口を言い、感情を爆発させるのを助けた。
※
わかった、と感じた。
それは不思議と、疑いようのない確信だった。
その綺麗で、でももの悲しいエピソードが、すっとふに落ちた。
私はみずから、目を閉じる。
白いスクリーンを文字が流れる。
――条件を達成しました。
――リュミエールの光景、起動します。
そして、彼の物語が始まる。
※
尾道に訪れたとき、少年は小学2年生で、ひどく落ち込んでいた。大切な人を亡くしたすぐあとだったからだ。
少年は「がんばろう」と決めていた。なんだかよくわからないけれど、とにかくがんばって生きていかなければならない。
それでもやはり、少年は疲れていた。だから転校先の学校では、彼は無口で暗い奴として扱われた。
※
新たに転入した学校には、少年とは別の転校生がいた。少年よりもひと月ほど早く転入していた彼――佐々木という男子生徒は、運動神経がよく、勉強もできたから、少年が訪れたときにはもうクラスの人気者だった。友達も多く、彼の学校での生活は、満ち足りているように少年にはみえた。
でも佐々木には、ひとつだけ不思議な点があった。
彼は絶対に、クラスメイトたちと一緒に下校しようとはしなかった。休日に誘われてもいつも「いそがしい」と答えるばかりで、決して一緒に遊ばなかった。
「どうしてそんなにいそがしいんだよ?」
そう尋ねられると、彼はいつも、
「塾だ」
とだけ答えた。
それがひとつ目の嘘だと、少年はのちになって知る。
※
間もなく、まるでオセロがぱたんと裏返るように、クラス内での佐々木の扱いが変わった。たしかに佐々木はすごい奴だ。でも調子に乗っていて、周りを見下していて、むかつく。それに勉強はできてもゲームやマンガの知識がないから面白くない。
同じ転校生でも、少年の方によってくるクラスメイトが増えた。少年にはそれが、なんとなく気持ち悪かった。
だから少年は、佐々木に声をかけてみた。
「なあ、勉強でわからないところがあるんだ。教えてくれよ」
佐々木はそっけなく答える。
「先生にきけよ。オレは忙しい」
「ごめん、嘘だ」
少年は笑う。
「友達になろうぜ。同じ転校生仲間だろ?」
佐々木は顔をしかめる。
「なんだよそれ、嘘ついてんじゃねぇよ。オレは友達なんかいらないんだよ」
「どうして。いた方が楽しいぜ?」
「塾があるんだ」
「お前も嘘ついてんじゃねぇよ。毎日いかないといけない塾、どこにあるんだよ」
佐々木はしばらく口をつぐんでいた。
それから、ぼそりと言った。
「オレ、プロ野球選手になりたいんだよ。いつも練習してるんだ。みんなみたいに、遊んでる暇ないんだ」
少年は笑う。
「すげぇじゃん。今のうちにサインくれよ」
「嫌だよ」
「じゃ、オレも野球の練習にまぜてくれ」
「ふざけんな。オレは本気なんだ」
「オレも本気だぜ?」
「嘘つけ。不真面目な嘘つきなんていらねぇよ。このあとも、父さんと練習だ」
佐々木は少年を突き飛ばして、駆け出す。
笑顔をひっこめて少年は、そのあとを追いかけた。
※
佐々木が向かった先は、病院だった。
その入り口で、彼は少年があとをつけていることに気づいたようだった。
「なんだよお前。ホントにうざいな」
少年は尋ねる。
「お前、どっか悪いの?」
「……違う」
「じゃ、お見舞いか?」
佐々木はなにも答えなかった。
少年は真面目な顔で、病院を見上げる。
「オレもさ、ちょっと前まで、よく病院にいってたんだぜ」
「どうして?」
「母さんが、身体が弱くてさ。毎日、お見舞いにいってた」
「……それで?」
「死んじゃった」
少年は泣きそうだったけれど、泣かなかった。最後に母さんは、少年に「がんばれ」と言った。なにをどうがんばればいいのか、少年にはわからなかったけれど、それでもがんばろうと決めていた。
泣いたのは佐々木だった。
「オレのお母さんも、死んじゃうのかな」
それは、わからない。
少年は答える。
「大丈夫だよ」
わからないし、泣きそうだし、なんだか心細かった。でもがんばって答える。
「大丈夫だ。ついてきてゴメンな。オレ、帰るよ」
背を向けた少年に、泣き顔のまま佐々木が叫ぶ。
「だれにも言うなよ」
少年は振り返る。
さらに、佐々木は叫んだ。
「マザコンだって馬鹿にされるから、ぜったいに誰にも言わないでくれ」
それも嘘だと、少年は知っていた。
そんなことが問題なんじゃなくて。知られたくないのは、きっともっと、言葉にはできない理由で。
少年は頷く。
「わかったよ。友達同士の約束だ」
「うるせぇ。友達なんて、いらないんだ」
佐々木はオレと同じだ、と少年は思った。
※
しばらくして、少年は佐々木の母親が亡くなったことを知った。
彼はそれからも、つき合いが悪いままだった。クラスメイトたちも、彼にどう接していいのかわからないようで、それまでよりも溝が深まったようにみえた。
ある日の放課後、黙々と壁に向かってボールを投げる佐々木を、少年はみつける。彼を探していたのだ。
――プロ野球選手になりたいっていうのは嘘じゃなかったのか。
少年は彼に声をかける。
「よう、メジャーリーガー」
佐々木はこちらを振り向いて、呆れた風に顔をしかめた。
「メジャーリーガーとまでは言ってない」
「オレも混ぜてくれよ」
「レベルが違うんだ。帰れ」
少年は壁にたて掛けてあったバットを手に取る。
「打たれるのが怖いのか、ノーコン。いや、マザコンだったな」
「なんだと?」
少年は無理やりに笑う。
「やーい、やーい。おまえのかーちゃんでーべーそー」
佐々木の顔がひきつった。
「お前、マジで殺すぞ」
「いいからさっさと投げろよ」
佐々木はもうなにも言わなかった。
高く足を上げて、大きく腕を振る。少年はそのボールに反応できなかった。投げる姿が綺麗で、それにみとれているあいだに、ボールが高い音を立てて後ろの壁にぶつかった。
転がって返っていくボールをグラブでつかんで、佐々木は言う。
「無駄だよ。帰れ」
少年は笑う。
「ストライクみっつでワンアウトだろ?」
「3球で終わらせてやる」
「おいおい。野球は9回までだぜ。それまでどれだけホームランをかっとばせるか、楽しみだ」
佐々木はまた、投球のフォームに入る。
「すぐに黙らせてやるよ、嘘つき」
※
どれだけバットを振ったか覚えていない。
結局、少年のバットは、一度もまともにボールをとらえなかった。なんとかかすめてファールにできたのが、数度あった程度だ。
それでも少年はホームランを狙って全力でバットを振り続けたし、佐々木はボールを投げ続けた。どちらもアウトカウントなんて考えていなかった。
やがて、日が暮れて、佐々木の方が先に地面に座り込む。それをみて、少年は仰向けに倒れた。もう限界だった。
倒れて、空を見上げて、少年は言った。
「なあ。オレたちふたり共、もう嘘をつくのはやめようぜ」
ぼそりと、佐々木が言った。
「どうして?」
「たぶん、嘘をつかなかったら、お前にはすぐにいっぱい友達ができるよ」
「友達なんか、いらないんだ」
彼の声は泣いているようだったし、少年もなんだか泣きたかった。彼と一緒にいると不思議と泣きたくなった。
でもがんばって、少年は笑う。
「おいおい、知らないのかよ。メジャーリーガー」
この笑顔は嘘だろうか?
「野球って、ひとりじゃできねぇんだぜ」
■佐倉みさき/8月9日/17時50分
久瀬くんが母親を亡くしている、というのは、聞いたことがあった。
でも彼自身はなにも語らなかったし、私はその詳しい時期も知らなかった。
――このころだったのか。
それは、私がポケットの中のキーホルダーを受け取ったのと、同じ年のことだ。やっぱり久瀬くんはすごいな、と思う。母親をなくした小学生が、それでもほかの人を慰めるなんて。ただピアノの発表会に怯えていた私とは大違いだ。
「思い出したんだな?」
とニールが言う。
私はなかなか喋りだせなかった。胸がいっぱいで、うまく頭が回らなかった。
時間をかけて、ゆっくりと、私は嘘をつく。
「嘘をつきすぎて、オオカミ少年みたいに周りから相手にされなくなった転校生がいて――」
嘘のエピソードを伝えるのは、聖夜協会員で誘拐犯のこのふたりを警戒したからだけど、でも。
今はもっと感情的に、真実を伝えたくはなかった。彼の過去を、勝手に話してしまうことに抵抗があった。
こうやって、私が覗きみるのも、間違っているような気がした。
※
私がオオカミ少年という言葉を使ったからだろうか、店を出たところで、ニールは店の看板を指さして言った。
「オオカミと言えば、インディアンはこいつを信仰しているらしいぜ」
ノイマンが小さな声で、「信仰?」と尋ね返す。
「タバコも太陽も雷も、それどころか死ぬことだってこいつがもたらしたんだってよ」
不思議な話だ。
どうしてオオカミに似た小型の動物に、そんなことができると思ったのだろう? でもオオカミも、語源ば「大神」だと聞いたことがある。日本人もオオカミを信仰していたはずで、やっぱり、あの凛とした表情をみると神秘を感じるのだろうか。
そう考えると、オオカミ少年という表現を嘘つきの代名詞として使ったのは、なんだか罰当たりだったかな、という気がした。
後ろではニールとノイマンが、なにか言い争いをしている。
「おい、どういうことだ? パスワードかかってるぞ?」
「毎回、貴方につまらない書き込みをさせるわけにはいかないわよ」
この旅行は、今のところ平穏だ。
・久瀬さんのアドレスから、メールが届きました!
→【誰かからのメール】はじめまして。スマートフォンを預かっている者です。
どうやらあなたは、「私共」の事情に、充分お詳しいようにお見受けします。
私たちはよい友人になれるように思うのですが、いかがでしょう?
こちらは、「名前のないプレゼント」のイコンをほぼ特定しております。
お話できましたら幸いです。ご連絡、お待ちしております。
■久瀬太一/8月9日/21時
「箸で食うパスタは、やっぱりフォークで食うパスタとは別物だ」
と八千代が言った。
オレたちはチェーンのスパゲッティー屋で向かい合っていた。
「ここに誘ったのはお前だろ?」
「嫌いだとは言ってない。別物だ、と言っただけだよ」
たしかに箸で醤油バター味の麺をずるずると食っていると、それはパスタだとは思えなかったけれど、美味いは美味い。
たらことカルボナーラのスパゲッティーに箸をつける八千代に、オレは言った。
「あんたのスマートフォンとミュージックプレイヤーを盗んだ知人なんだが」
「ああ」
「あんたに会いたいと言っている。謝罪の菓子折りを持ってくるそうだ」
八千代はわずかに、首を傾げた。
「会えばあのふたつを返してくれるのかい?」
「そのつもりなんじゃないか、たぶん」
「なら、会ってもいい。人に会うのは嫌いじゃない」
「いいのか? こんな状況で」
「もちろんタイミングは考えるよ。もう少し先でいい」
やっぱり八千代は、あのスマートフォンか、ミュージックプレイヤーを取り返したがっているようではあった。でも少なくとも、慌ててはいない。
「彼女――スマホやミュージックプレイヤーを盗んだ女性は、ある雑誌の編集をしていてね」
「へぇ」
「へんなオカルト雑誌なんだ。それでみたんだけど、あんた、水曜日の噂って知ってるか?」
たらこスパゲッティーを口に運ぼうとしていた八千代は、途中で箸をとめて、こちらをみる。
「いや。聞いたことがないな」
「水曜日の歌声には暗号が隠れている。水曜日のバスは終点に辿り着かない。そんな噂話だ」
「それで?」
「それだけだよ」
八千代はスパゲッティーをずるずると食ってから、言う。
「なにかもう少し、オカルトらしいオチはないのかい?」
「さあな」
それらの噂の結末はわからない。なにせオレは、今もまだそれを体験している途中だ。
「都市伝説にはオチと悲劇的な真相が必要だって、その記者に伝えておいてくれ」
と八千代が言った。
オレのみた限りでは、彼が嘘をついている様子はなかった。八千代が本気で嘘をつこうとしたなら、それを見破れる自信もないが。
――八千代は、あのバスのことは知らない?
思えば、あのバスが今のところ、もっとも正体不明だ。
ほかの超常現象はとりあえずプレゼントみたいだけど、あれも同じく、誰かのプレゼントなのだろうか?
そういえばプレゼントのことも訊けと言われていたな、と思い出して、オレはきり出す。
「ノイマンって知ってるか?」
「ふたり思い当るな」
「片方は、ジョン・フォン・ノイマン?」
「その通り。偉大なコンピュータの発明者だ」
「そっちじゃない。まだ生きいてる方だ。女性らしい」
「なら、何度か会ったことがあるよ」
へぇ、と思った。
「お前の友達は、強硬派ばかりじゃなかったのか?」
ノイマンは穏健派だときいている。
「そっちの方が多いってだけだよ」
「ノイマンもプレゼントを持っているのか?」
「そんな話を聞いたことがあるな」
八千代は意外に素直に答える。
オレはパスタの上に載っているナスをつまんで、口に運んだ。
「どんなプレゼントだ?」
「そこまでは知らない。でも、名前は聞いたことがある」
「なんだ?」
「ノイマンの世界」
ずいぶん大げさな名前だ。
「強そうだな」
とオレは、小学生みたいな感想をもらした。
八千代は肩をすくめる。
「まったくだよ。強そうな女性は敵にしたくない」
「ドイルの書き置きだって、充分強そうだぜ」
「おいおい、それがオレのプレゼントだってのかい?」
「ファーブルはそう言っていた」
「信じてるのか?」
「あいつが嘘をつかないって言ったのはお前だろ?」
「だれにだって勘違いはあるさ。勘違いは嘘じゃない」
オレはため息をついて、またパスタに箸をつける。底の方は味が濃くて、グラスの水をごくごくと飲んだ。
「イコンってのが、プレゼントとかかわってるんじゃないかな」
「ああ。オレもそうじゃないかと思ってるよ」
「どうかかわっているんだと思う?」
「そこまではわからない」
「イコンってのは、たくさんあるのか?」
「少なくともひとつではないみたいだよ。ひとつのプレゼントにつき、イコンもひとつ、と考えるのが自然じゃないか?」
――あのミュージックプレイヤーも、イコンなんじゃないかって説があるぜ。
と、言ってみようかと思ったけれどやめる。はぐらかされるだけだろう。
「オレの部屋から盗まれた、あの白い星。あれもイコンだったんじゃないかな」
「可能性はある。それなら、4つの鍵のついた箱で守られていたのもわかる」
「なら、ファーブルはイコンを手にいれようとしていたってことか?」
「それはわからない」
まあ、オレにしてみれば、白い星の方はどうでもいい。
大事なのはソルのスマートフォンだ。
「あいつに盗られたものを取り返したい」
「ああ。賛成だよ。奴らが欲しがってるってだけで価値はある」
八千代はスパゲッティーの、最後の1本を丁寧に口に運んで、首を傾げた。
「ファーブルから連絡は?」
「ない。こちらから電話をかけても繋がらない」
「それは不思議だ」
八千代は口元で笑っている。
「あいつは君を、仲間に引き込もうとしてたはずだ。どうして君からの連絡を拒む理由があるんだろう?」
わからない。いや。
――オレが必要なくなったからじゃないか?
傍からみればオレは、特殊だろうと思う。
なにも知らないただの大学生が、でもところどころで、妙に聖夜協会に深く関わっている。小箱にかかった4つの鍵もあけた。ファーブルからみれば、悪魔を確保したのもオレたちだ。あいつはその辺りに興味を持ったのかもしれない。
でもそれらはみんな、ソルの力によるものだ。
ファーブルの興味が、オレからソルに向いたのだとすれば、納得がいくように思う。
「なにか思い当るかい?」
と八千代が言う。
「いや」
と、とりあえずオレは首を振る。
「なんにせよ、向こうから接点を切られると、ちょっと手を出しづらいね。ファーブルについて調べるのは骨が折れそうだ」
その通りだ、とオレは思う。
スイマたちに見張られたまま、ファーブルの行方を追うのは、途方もなく困難なことに思えた。
――もう一度、オレの前にファーブルが現れるように仕向ける?
どうやって?
そうだ、と思い当る。
今、ソルたちは、ファーブルと連絡が取れるのではないか?
彼らならなんとかしてくれるかもしれない。
――オレが意識するだけで、ソルにはメッセージが伝わる。
たしか以前、ソル自身からそんなメールをもらっていた。
だから心の中で、オレは念じる。
※
頼む、ソル。
どんな方法でもいい。
ファーブルがもう一度、オレの前に現れるように仕向けてくれないか?
可能なら、あのスマートフォンを手にした状態で。
※
「さっさと食えよ。冷めちゃうぜ」
と八千代が言って、オレは目の前のパスタを思い出す。
「ま、ファーブルをなんとかする方法は、オレも考えてみるよ」
彼は笑う。でも。
オレは八千代が、血を流して倒れている未来を知っている。
――To be continued
★スマートフォンを預かっている者へ:君の方は私についてどれくらい知ってる?
★スマートフォンを預かっている者へ:あなたは誰ですか?
→【制作者からのメール】賢明で行動力に溢れる諸君。残念だが、現在は電波が入っていない。
【注】「今回送信されたメールは、近々彼に届くだろう。」という文がない。
★★★「愛媛の愛情100%」管理人よりメール:お盆にあわせて愛媛に帰る予定なので
16日あたりならタイムカプセルを埋めた山を案内出来る。





あ、山本さんご本人でしたか、お久しぶりです。
ちょっと気持ち悪い感じでいろいろ尋ねてしまってすみません(笑) 一応、警戒しておこうと思って、幸弘から聞いてた情報を使わせてもらいました。
愛媛には、お盆にあわせて帰ろうかと思ってます。とはいえ台風が迫ってきてるので、ちゃんと帰れるか不安ですねー。
天候に問題がなくて都合があえば、うちの山を案内しますので、気兼ねなく言ってください。私は、来週末(16日あたり)であれば予定があいております。
あ、あと、もうひとつ報告と確認です。
同じく弟のタイムカプセルについて尋ねてきているみなさんの中に「幸弘の友人の連絡先を教えてくれ」というようなメールがあったんですが、どうしましょう?
その方はブログを見てメールをくださったらしく、久瀬くんの知り合いを名乗ってらっしゃいます。
「久瀬くんは昔の記憶が曖昧なので、私は現在それを取り戻す手伝いをしている」というようなお話でした。似たような報告のメールはいろんな方からいただいてるので、それが本当なら大変なことだと思いますが……。
かといって山本さんのプライベートなご連絡先を、正体不明の方に教えるのは危ないかなーと個人的には思ってます。でも判断は山本さんにお任せします。
★★★尾道(広島)のカフェ「Coyote」にて『ある少年の光景3』 / 『ある男の視点3』発見。
『ある少年の光景3』
・8月9日/17時45分【佐倉みさき視点】にて公開済み。
『ある男の視点3』
・ある男:愛想笑いで父親を見ていた。母親からクリスマスにスニーカーをもらったが、父親に見つかる事を怖れてベッドの下に隠した。
・ある男の父:「その気になりゃ明日にでも(アビー・ロードに)いける」
・ある男の母:クリスマスにある男へスニーカーを贈った。
・通いの家政婦:ある男がベッド下に隠していたスニーカーを捨てた
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・ロンドンにあるアビー・ロードは24時間中継されていた。ある男の父は「その気になりゃ明日にでもいける」と言っていたが、男は内心では行けないと思いながら愛想笑いを浮かべていた。
・ある男の母親がクリスマスにスニーカーを贈ってくれた。男はどこにでもいける靴だと思ったが、父親に見つかる事を怖れてベッドの下にしまい込んだ。ある日、通いの家政婦によってスニーカーは捨てられていた。
8月8日(金) ← 3D小説「bell」 → 8月10日(日)
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最終更新日 : 2015-07-30