【報告書】作成者:ましろ

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2014-08-04 (Mon) 23:59

8月4日(月)

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■久瀬太一/8月4日/10時

 昨夜は八千代の勧めでホテルに泊まった。
 彼はずいぶん、聖夜協会を警戒しているようだ。きっとオレよりも聖夜協会について詳しいからだろう。知識がなければ、危機感も薄い。
 宿泊にセットでついてきたモーニングを、八千代と向かい合って食う。スクランブルエッグ、ウインナー、サラダ、トースト。そんなものが大皿に盛られていて、好きなように取って食えという、よくあるスタイルのモーニングだった。オレはそれをがっついていた。
「ずいぶんよく食べるじゃないか」
 と八千代が言った。
「ああ。金がない」
 一泊数千円の安宿でも、やはりつらい。できたら昼食のぶんも今のうちに腹に入れておきたい。
「どのくらいない?」
「貯金の残高は、ぎりぎり今月の家賃を払えるくらいかな」
「ひと月くらい家賃を延滞しても、君の彼女は死なない」
「ああ。その通りだ」
「とはいえ、金があれば物事が楽に、安全に進むケースだってたくさんある」
 八千代はスーツの内ポケットから、白い封筒を取り出し、投げ出すようにテーブルにおいた。なかなかぶ厚い。重たい音が聞こえた。
「これは?」
「2、3週間、自由を買える程度の金額だよ」
「くれるのか?」
「貸すだけだ」
「あんたから金を借りると、ろくなことにはならない気がするよ」
「心外だな。オレの仕事は金貸しじゃない。利子もとらない」
「金なら、親父に泣きつけば多少はなんとかなるかもしれない」
「口座には触れない方がいい。念のためにね」
「いまどき、現金オンリーかよ」
「いちばん確実なのは、いちばん古くからあるものだ。コンピュータ上の数字より、リアルな紙幣を追いかける方が万倍難しい」
「ま、そうかもな」
 オレは「ありがとう」と告げて、その封筒を受け取った。
 コーヒーをすすりながら、八千代は笑う。
「思いの外、素直だね」
「ん?」
「人から金を借りることを嫌がる人は多い。君はそのタイプだと思っていた」
「あまり好きじゃない。でも、そんなことでうだうだ言ってる場合じゃないだろ」
 八千代のいう通り、金があればスムーズにことが運ぶ場面は多い。
「いいだろう。じゃあ、今後のことについて話し合おう。オレたちの目的は?」
「あんたは知らない。オレの目的は、みさきの安全を確保することだ」
「オレの目的は、あいつらからプレゼントをかすめ取ることだよ」
「ああ、そうだったな」
「どちらにせよ、オレたちは聖夜協会を追っている。聖夜協会をどうにかしたければ、メリーって奴と話をつけるのが確実だ」
「覚えているよ。そのために、ヒーローバッヂが必要なんだろう?」
「その通り」
「でも、ちょっと待ってくれ。オレはみさきが、ニールって奴と一緒にいると思っている」
「オレもそう思う」
「ニールはおそらく、聖夜協会を裏切ったんだ」
 そうでなければ、穏健派も強硬派もみさきの行方を知らない理由がない。
 だが、八千代は首を振る。
「そうじゃない。あいつが何かを裏切ったなら、その相手は派閥だよ。聖夜協会全体じゃない」
「どうしてわかる?」
「聖夜協会から離れるなら、いちいち悪魔なんて馬鹿げた話に関わる必要はない。君の彼女がニールの元にいるのなら、あいつはまだスイマだ」
 まあ、それはそうか。
 八千代はポケットに手をつっこみ、「キャンディいるかい?」と言った。オレは首を振る。食事中にキャンディはいらない。
 彼は自分の口にキャンディを放り込み、ブラックコーヒーに口をつける。それから言った。
「つまり今、聖夜協会内には、3つの派閥があることになる。穏健派、強硬派、それからニール派。ニール派は、ニールひとりだけかもしれない」
「ああ。状況はつかめた」
「どうなろうが、オレたちの相手は聖夜協会だ。やっぱりメリーをどうにかするしかない」
 ヒーローバッヂをみつけて、メリーに会って。
 オレにはその手順が、まどろっこしく感じていた。
「あんたとニールは友達なんだろう? 直接、連絡を取れないのか?」
「雑談くらいならいくらでもできるさ。でも、あいつは意外にバカじゃない。手がかりを引き出すのは困難だし、今はまだ余計な刺激を与えるタイミングじゃない」
「でも、急いだ方がいい。最悪を想定しないと――」
「そんなもの考えてなんになるんだ」
 八千代は、意外に強い口調で言った。
 口元には笑みを浮かべていたが、真剣な目つきでこちらを睨む。
「そうだろう? 本当に最悪っていうなら、君の彼女はもう死んでいて、オレはひどいペテン師で、すでに聖夜協会員たちは君を発見し、今、このホテルの客にも従業員にも奴らの手が回っていて席を立ったとたん取り囲まれる――そんな状況だ。想定しても意味がない」
「そういう意味でいったんじゃない」
「ああ、そうだろうね。でも、真面目な話に最悪なんて言葉は似合わない。冗談でないなら、それはあまりに想像力のない言葉だ」
 オレはため息をはきだす。
 八千代はよくわからない。なにか彼の気に障ったのだろうか? それとも話術の一種のようなものだろうか? なんにせよ、オレには上手く反論できなかった。
「わかったよ。最悪は想像しても仕方がない。オレたちにできることを考えよう」
「それでいい」
「とはいえ、ニールの様子は気になる」
「ああ。温泉にでも誘う連絡を入れてみるよ」
「温泉?」
「あいつ、けっこう趣味が親父臭いんだ」
 八千代は音を立ててキャンディを噛み砕き、カップのコーヒーをぐっと飲み干す。それから彼は席を立ち、セルフサービスのコーヒーを注いで戻ってきた。
「甘いキャンディと苦いコーヒーの組み合わせが好きなんだ」
「そうかい」
 どうでもいい。
「なんにせよ、ニールの様子は任せるよ。オレは、ヒーローバッヂか」
「ああ。なにか思い出したかい?」
「まったくだよ」
 考えようとすると身体に痛みが走る。まともに思考できない。
「でも、タイムカプセルについては、ひとつだけ」
「なんだ?」
「昔、友達とタイムカプセルを埋める約束をした。たしか小学3年生のころだ。そのとき、オレはちょうど、愛媛に住んでいた」
 懐かしい。小学3年の2学期から、たしか春までだ。男ふたり、女ひとりの三人組がいて、オレもそこに混ぜてもらってよくつるんでいた。
「愛媛の、どこだい?」
「よく覚えていない。本当にタイムカプセルを埋めたのかもはっきりしない」
「おいおい、大丈夫かい?」
「どうかな」
 昔から、オレは記憶力が悪い。友達と懐かしい話をしていても、思い出せないエピソードがよくあった。
「当時の友達に連絡を取れば、なにかわかるかもしれない」
 そう告げると、八千代はブラックコーヒーをすすり、顔をしかめた。
「それは、よした方がいいな」
「どうして?」
「聖夜協会に動向を察知されたくない。まずは、奴らの目をくらませるのが正解だ」
「警戒しすぎじゃないか?」
「そうかな。久瀬くん、ちょっとこれをみてくれ」
 八千代はポケットから1枚のカードを取り出した。このホテルのルームキーだ。
「なんだよ?」
「目をそらすなよ」
「手品でもするのか?」
「このレストランにもスイマがひとりいる」
 背筋が、震えた。
 オレは思わず背後を振り向きそうになった。だが八千代の言葉を思い出す。
 ――目をそらすなよ。
 だから、じっとカードキーをみつめいた。
「いつ気づいた?」
「昨日チェックインしたときから、ぼんやりとね。はっきりわかったのは、ついさっきコーヒーをとりに席を立ったときだよ」
「大丈夫なのか? こんな話をしていて」
「気にすることはない。席は離れている。あれは、ただの見張りだ。こちらの声までは聞こえちゃいない」
 八千代がルームキーをポケットにしまった。
「今は好きにさせておけばいいさ。そのあいだに、こっちも向こうを観察する。何人編成で見張っているのか? それぞれの顔は? オレたちが別々に行動したときのマニュアルは? 雇い主への連絡の時間と方法は? その辺りがわかれば、奴らを撒く方法だってみえてくる」
「ずいぶん余裕だな」
「オレは旅先案内人だぜ? 観光地で慌てるガイドに仕事なんてこない」
「でも、もう見張られてるなら金を引き出してもいいんじゃないか?」
「封筒を渡した理由はみっつだ。ひとつ目は、こっちが向こうに気づいていることを、向こうには悟らせないこと。ふたつ目は、いざというとき現金がいちばん頼りになること。そしてみっつ目は、君に貸しを作ること」
「なんだよ、それ」
「あいにく、即席のチームだからね。繋がりはひとつでも多い方がいい」
「オレはあんたを裏切らない」
「へぇ。ずいぶん信頼されたもんだ」
「信頼じゃない。相手が誰であれ、約束は守る」
「君の彼女がピンチになっても?」
「おいおい、ふざけるなよ。そんなもん1億借りていようがあんたを見捨てるよ」
「ひどい相棒だ」
 八千代は、肩をすくめて笑った。
「ともかくあいつらを撒く準備が整うまで、こっちから具体的なアクションはなしだ。できるだけ早く片付けたいが、ちょっと時間がかかるかもしれない」
「どれくらいかかる?」
「どれだけ待てる?」
 オレは考える。
 みさきが死ぬのは、8月24日だ。それまでなら、少なくとも彼女の命の安全は保障されているはずだ。
「バッヂを手に入れれば、メリーに会えるんだな?」
「ああ。それは保証する」
「メリーに会って、どうする?」
「君が英雄だと証明する」
「どうやって?」
「手段はいらない。メリーは、英雄を知っている。会えばわかるはずだ」
 ――知っている?
「オレも、面識がある相手なのか?」
「おそらくね。あのクリスマスパーティで出会っているはずだよ」
「女でいいのか? 歳は?」
「オレも会ったことはない。でも、協会員たちは彼女と呼んでいるからね。女性なんだろう。歳は知らない」
「そうか」
 だれだ? ――くそ。考えても、わかるわけもないか。
 八千代は軽い口調で言う。
「メリーまでたどり着ければ、とりあえず目的は達成だ。オレはそう踏んでるよ」
「ならさっさと、スイマたちに捕まっちまえばいいんじゃないか?」
 メリーに会える公算は高い、ように思う。
 だが八千代は笑った。
「眠った子供はサンタの顔がみえないよ」
「どういう意味だ?」
「適当に言ってみただけ。前にも教えただろう? 教典じゃ、英雄は最後、悪魔に呪いをかけられたことになっている。真面目なスイマほどそんな奴メリーには会わせない」
「不便な英雄だな」
「そんなものさ。尊敬されたままでいられる英雄は、死んだ英雄だけだ」
 オレはため息をつく。
 ため息なんてものとはあまり縁のない人生を歩んできたつもりだったが、この数日はため息ばかりだ。
「でも、英雄が信用されていないんじゃあ、メリーに会っても無意味じゃないか?」
「メリーは聖夜協会でもっとも英雄を信仰している。君が頼めば、なんとかなるさ」
「いまいち信用できねぇな」
「大丈夫だよ。警戒はオレの専門分野だ。やばくなりそうなら、必ずオレが事前に察知する」
「そうかい」
「疑問はなくなったかい?」
「疑問だらけだよ、まだまだな。もうひとつだけ教えてくれ」
「なんだい?」
「ヒーローバッヂを手に入れてから、メリーに会うまでのルートがみえない。スイマたちと交渉できないんじゃあ、ほとんど詰んでるんじゃないか?」
「そこは裏技を使う」
「裏技?」
 八千代は口元で、意地の悪い笑みを浮かべた。
「オレの切り札だからね。君にも教えられない」
「ひどい相棒だ」
「ああ。お互いにね」
 八千代は2杯目のコーヒーを飲み干して、首を傾げた。
「ともかく、ヒーローバッヂさえ手に入れば勝ちだと思っていい。で、バッヂまでどれだけ待てる?」
 みさきが死ぬ、8月24日までは、ちょうどあと20日間だ。でもぎりぎりまで待つのは嫌だ。
「限界で、2週間」
 とオレは答えた。
「へぇ。我慢強いね」
「ああ。オレも意外だよ」
 あのバスの窓から未来をみていなければ、3日も待てなかった。
「それだけ時間があれば、充分安全なルートをみつけられる。君は安心してバッヂの行方を思い出していてくれ」
「安心なんてできるかよ」
 なんにせよ、2週間だ。
 18日までには必ず、あのヒーローバッヂをみつけだしてみせる。
 内心でそう誓うが、一方で、あの制作者から届いたメールが気になってもいた。

       ※

 ――君にはみつけられないものがある。

       ※

 オレには、あのバッヂをみつけられないのか?
 だとしたら、あるいは、ソルにならみつけ出すことができるのか?


■佐倉みさき/8月4日/14時

 ベリーショートというほどではないけれど、短く、活発的になった髪に触れる。頭が軽い。
 私自身、40枚のイラストから4コマ漫画を作るという行為に、興味を持ちつつあった。それはきっと、久瀬くんの過去を知ることに繋がるのだから。
 昨日は名古屋に移動して、ホテルでぐっすりと眠った。その隣でノイマンは、ノートPCを叩いていた――聖夜協会から依頼された仕事というのはまだ終わっていないようだ。
 そのせいだろう、ノイマンは昼ごろまで眠っていた。彼女は眠たげな目を擦りながら言う。
「英雄の過去に関係する場所は、リストになってるわ。さっさと回っちゃいましょう」
 昨日から疑問だったことを、私は尋ねる。
「そのリストって、誰が作ったんですか?」
 そもそも、40枚のイラストも。久瀬くんの過去をきちんと知っている人でなければ、作りようがない。
「さあね。私はメリーに言われた通りに動いているだけだから」
 よくわからない。
「私がなんにもしなくても、そのリストを作った人なら、英雄のエピソードを知っているんじゃないですか?」
「ま、そうでしょうね。たぶん」
「ならどうして」
「儀式のようなもの、と聞いてるわ」
 また、怪しげな言葉だ。
「儀式って、なんの?」
「さあね。とりあえず、ひとつ解いてみればわかるって話だけど」
 横からニールが口を挟む。
「ごちゃごちゃうるせぇな。オレたちだって嫌々やってんだよ。細かな事情は知らないしお前が知る必要もない。さっさといくぞ」
 意外だ。ニールというのは、いつだって唯我独尊なタイプだと思っていた。理由もわからないまま指示に従うなんてことがあるのか。メリーというのはよほど偉い人らしい。
 ホテルを出た私は、ノイマンとニールに先導されて歩く。
 まず向かったのは保育園だった。
「英雄は少年だからな」
 まあ順当だろ、とニールはひとり納得している。
「英雄が通っていた保育園ですか?」
 と私はノイマンに尋ねた。
「どうかしらね。だいたいこの辺りって話だけど」
「はっきりしないですね」
「英雄の正体に近づくことは、ずっと禁忌だったから。今回のメリーの依頼は例外よ」
 この辺りの保育園をいくつかみて回るわ、とノイマンは言った。
 ふむ、微妙だ。目の前にあるのが、久瀬くんが通っていた保育園だとわかっていたなら、感慨もあったように思うけれど。
「お前はごちゃごちゃ考えずに、英雄の過去を思い出せばいいんだよ」
 とニールが言った。
 どうやってごちゃごちゃ考えず、記憶を呼び起こせというのか。
 私たちはいくつかの保育園をみて回る。
 保育園は多くの場合、門やフェンスで道路と遮断されている。私が幼い頃は、こういったフェンスが絶対に越えられない壁に感じたけれど、とありきたりな感想を抱く。今見るとこんなにも低いんだな。
 子供たちはコミックのキャラクターのような2、3頭身に見えた。戦隊ものと思われるイラストのついた、派手な色のTシャツを着た男の子が、同年代の女の子と一緒に園庭を走りまわっている。ヒーローごっこだろう。女の子が敵役をいきいきと演じていて、今の自分にはない力強さを感じる。
「見覚えは?」
 とニールが言う。
「特に」
「何かねえのかよ。保育園に関する英雄譚とか」
「どんなのよ?」
「知らねーよ、それを思い出すのがお前の仕事だろう。ほら、あのすべり台。英雄が戦った舞台っていわれればそうみえるぞ」
 すべり台で戦う英雄なんて、聞いたこともない。
 子供たちの無邪気さに心を癒されはするけれど、それで求められている記憶が蘇るわけではなかった。自分があの子たちと年齢のときに、どういう子だったかさえ思い出せない。
 知らないあいだに色々なことを忘れているんだな、と私は感じた。


【3D小説『bell』運営より】
みなさんにお知らせとお願いです。現在、当企画の小説で描かれている保育園には、企画進行に必要な情報は設置されておりません。くれぐれもご迷惑をおかけしないようお願いいたします。

■佐倉みさき/8月4日/15時

 ニールはこの極めてマイナーな観光に、もう飽き飽きとしているようだった。彼の舌打ちを聞きつつ移動する。
 途中、大通りに出たとき、とても立派な鳥居を見つけた。
「あれは何ですか?」
 私は気になって尋ねる。
 ニールが答えた。
「さあな。なんにせよ神社だろ。ここのは確か、徳川家康を祭ったとかいう」
「豊臣秀吉でしょう」
 と、横のノイマンが訂正する。
 ニールは不快そうに顔を歪める。
「だいたい同じだろうが」
「まったく違うわよ」
「いいや同じだね。ふたりとも成功したが、もう死んでいる」
 乱暴な括りだったが、今はその話題を掘り下げたいわけじゃない。ノイマンもそれ以上、踏み込むつもりはないようだった。
「そこの鳥居も、見て回るわよ」
「鳥居ですか」
 神社ではなくて。
 ニールがまた不機嫌そうに舌打ちした。
「とにかくお前が英雄のエピソードを思い出せばいいんだよ」
 そう言われても困る。
 ヒーローは鳥居の前で悪者と戦ったのだろうか? ――久瀬くんであれば、どこで戦っていても不思議はなかった。
 私たちは街中をきょろきょろと見渡しながら、その鳥居まで移動する。
 特別、なにかを感じるわけではなかった。
 ありきたりな、でも私の知らない街だ。
 それでも。
 なんだか不敵に笑う、ヒーローじみた幼い久瀬くんの姿をこの街のあちこちで想像するのは、そう難しいことじゃなかった。


■佐倉みさき/8月4日/16時45分

 2時間ほどあちこち歩きまわって、私たちはカフェに入る。
 名古屋駅からそれほど離れていない場所にある、こぢんまりとしたカフェだ。
 私は意外とこのマイナーな観光を楽しみつつあったのだけれど、ニールが「そろそろあのイラストと照らしあわせた方がいいんじゃねぇか?」とごねはじめたのだ。
 私たちは4人用のテーブルに着く。私が壁際の長椅子に、向かい合う形でノイマンとニールが、木を編み込んだような素材の椅子にそれぞれ座る。各々、好き勝手に注文した。私はアイスのカフェラテを、ノイマンは揚げパンみたいなドーナツとアイスティーを、ニールはチョコバナナシェイクのチョコレート抜きを。
 それから、ノイマンが例のイラストをテーブルに広げる。
「この中から、4コマ漫画を作ればいいんですよね?」
 と私は確認した。
「ええ。正確には、このイラストは挿絵に近いみたいだけどね。必要なのはあくまで英雄のエピソードだから」
 なるほど。絵をヒントに、物語を作るわけだ。
「1コマめだけははっきりしてるわ」
「どうしてですか?」
「上がそう言っているからよ」
 まったく。ぜんぶその「上」とやらが教えてくれればいいのに。いまだにいまいち、この作業の必要性がわからない。ノイマンは儀式のようなものだと言っていたけれど、なんだか誤魔化されているような気がする。
 ――とはいえ、少し楽しみだ。
 これが久瀬くんの過去に繋がっているなら、興味がある。
「1コマめはこれよ」
 ノイマンが指さす。
 それは、17番、と番号が振られているイラストだった。凛々しい目つきペンギンが魔女のような帽子をかぶって、ほうきに跨っている。上には、文字で「とべるの!」と添えられている。
17_201408051057151c5.jpg
 ため息が出る。
 明らかに飛べそうではない。
「どう? なにかわかる?」
 とノイマンが言った。
 私はイラストをじっとみつめる。
 ペンギン。魔女のような恰好。ほうき――
 ふと、思い出した。
 ――クラスに、魔法を使えない魔女がいたんだよ。
 久瀬くんの言葉だ。
 いつだったか、ほんの幼いころ、あのクリスマスパーティで久瀬くんからきいたこと。
 ――オレはその子の魔法にかかったんだ。
 たぶん彼は、そんなことを話した。
 それを思い出した瞬間。
 ぐにゃりと、視界が揺らいだ。
 座っているのに、平衡感覚がなくなった。
 倒れる――私は咄嗟に、目の前のテーブルに肘をつく。ガンと大きな音が鳴った。すぐ手元のはずなのに、それはひどく遠くから聞えた気がした。
 ひどい睡魔に襲われたとき、瞼が勝手に落ちるように、目の前の風景が端から黒色で侵食されてゆく。視界はやがて真っ黒になる。
 怖い。
 なに? これ。
 直後、耳鳴りのような、聞き取りづらい声がきこえた。
 ――条件を達成しました。
 ――リュミエールの光景、起動します。
 直後。
 光が射した。


★★★ソルが現地特定:地下鉄東山線中村公園駅三番出口の大鳥居。
鳥居 鳥居全体 奇妙な物体

■佐倉みさき/8月4日/16時50分

 ブラックアウトした視界の中心に、ぽっかりと、四角い光が浮かんでいた。
 その様は、簡単にたとえるなら、映画のスクリーンのようだった。
 私は客席さえみえない、自分の手足もわからない小さな映画館にいて、ただまっしろなスクリーンだけをみている。そんな風だった。
 白い画面の左下に、ぼんやり文字が浮かび上がる。
 ――リュミエールの光景、準備中。
 なに? リュミエール?
 とまどっていると、スクリーンに、新しい文字が浮かんだ。
 ――準備が整い次第、『ある少年の光景』を上映いたします。もうしばらくお待ちください。
 ある少年? 久瀬くん、だろうか。
 準備ってなんだ。
 私がそう考えたのを読み取るように、スクリーンの文字が変わった。
 ――貴女が「彼の過去」を理解するたびに、より正確に「彼の光景」をみられるようになるでしょう。たとえば貴女は今、「1コマ目」を理解しています。現状では、こうです。
 スクリーンになにか浮かぶ。
 その映像はひどく乱れている。
 が、ふいに。
 そこに、かつての久瀬くんが映った。たぶん小学校に入る前の、まだ保育園に通っていたころの彼。
 彼の隣には、怒ったような表情の女の子がいた。彼女はホウキにまたがって、必死にジャンプしていた。
 だがその映像はまたすぐに乱れ、意味をなさなくなってしまう。
 ――なんだ、今の。
 映像というにはあまりに短い、1枚の写真みたいな光景。
 やがて乱れた映像も流れ終え、スクリーンは純白に戻る。
 そこにまた、文字が浮かんだ。
 ――現状、判明しているのは、「1コマ目」だけです。
 ひとコマ目? あれが?
 ほうきにまたがって、「とべるの!」と言っていたペンギン。
 それが、彼女なのか。
 ――残った3コマをヒントにエピソードを理解し、「彼の光景」を完成させてください。
 文字は、それを最後に、沈黙する。
 私は白い――リュミエールの光景、準備中とだけ書かれた――スクリーンに向かって、尋ねる。
「これに、どんな意味があるんですか?」
 ためらうような時間のあとで、スクリーンに文字が浮かんだ。
 ――物語を先へと進める、儀式のようなものです。
 意味がわからない。
 私はさらに質問を重ねようとして、そのとき。
 より強い光が、視界に射した。


■佐倉みさき/8月4日/17時

 目を開くと心配そうな顔で、ノイマンがこちらを覗き込んでいた。
「どうしたの? 大丈夫?」
 私は思わず、反射的に応える。
「あ、はい。寝てました」
 感覚としては夢をみているようなものだったけれど、この返事はどうかと我ながら思う。
「なにか悪い病気なんじゃないの?」
「ずっと誘拐されているので、心労かもしれません」
「わかったわ。今夜は美味しいものを食べさせてあげる」
 この人はもしかしたら私のことを、食欲さえみたせばストレスがゼロになるレベルの単細胞だと思っているのだろうか。心外だ。
 とはいえ、強く反論する気にもなれなかった。
 あの不思議な現象は、今もまだ継続していたから。
 まばたきをするたびに、視界の中心に、あの白い四角形が浮かんだ。
 目をとじてみるとそこにはまだ、「リュミエールの光景、準備中」と書かれたスクリーンがある。
 私は現在も進行中の、よくわからない現象にさらされていたようだった。
 ノイマンやニールは、おそらくそれを体験していない。どうして?
 リュミエールは私を選んだ、とノイマンが言っていたのを思い出す。リュミエール。だれだ、それ。どうして私なんだ。
「で、思い出したのかよ?」
 と苛立たしげにニールが言う。
「……いえ」
 あの40枚のイラストのうちの4枚が、彼の過去に繋がっていることは間違いないだろう。
 その1枚目は、あのペンギンのイラストだ。
 ホウキにまたがって、「とべるの!」と言っているペンギン。
 ――じゃあ、続きの3枚は? それを繋ぐエピソードは?
 きっと、彼が私に話してくれたことがヒントになるはずだ。

「クラスに、魔法を使えない魔女がいたんだよ。オレはその子の魔法にかかったんだ」

 でも、わからなかった。
 魔女? なのに魔法が使えない? なのに、魔法にかかった?
 まるで暗号みたいな。もしくはこねくりまわした詩のような、不思議な話だ。
「わかる?」
 ともう一度、ノイマンが言った。
 私は首を振る。
 ノイマンが、なにか諦めた風に言った。
「仕方ないわね。ウラ技を使いましょう」
 ウラ技? そんな素敵なものがあるのなら、はじめから使って欲しい。
 彼女はスマートフォンを取り出して、なにか操作してから、画面をこちらに向けた。
「これよ」
 画面に表示されているのは、なんの変哲もないツイッターのアプリだ。
 変わったところといえば、フォローもフォロワーもツイート数もゼロということくらいだろうか。存在価値がない。
 「たすけて!」という名前だ。アカウント名は「@4koma_memories」。
 ノイマンのツイッターアカウントだろうか?
 私がみている前で彼女は、手早くツイートする。

       ※

 ――突然すみません。今、幼いころ仲のよかった男の子のエピソードを思い出せなくてもやもやしています。
 ――手がかりは、共通の友人が書いた40枚のイラストだけです。イラストは下記にあります。
http://ponthe1.hatenablog.com/entry/2014/07/31/011804
 ――このイラストの中に、「4枚組」のエピソードがいくつか紛れ込んでいるばずです。
 ――まず1枚目はこれ。
17_201408051057151c5.jpg
 ――残り3枚は、さっきの40枚に紛れ込んでいるはずですが、どれだかわかりません。
 ――なにか思い当たることがあれば教えてください。記憶を刺激されれば、思い出せるかもしれないので、正解でなくてもヒントになるようなアイデアを伝えてくれると嬉しいです。

       ※

 明らかに嘘だった。
 こちらの視線に気づいたのだろう。ノイマンは笑う。
「ばれなきゃいいのよ。あるいは、ばれても相手が乗ってくれたら、ね」
 相手って誰だ。
「はい」
 とノイマンが、そのスマートフォンをこちらに差し出す。
「思い出したことを書いてみたら? もしかしたら誰かが、いろいろ教えてくれるかもよ?」
 ええと、と口ごもってから、打ち込む。
 ――「魔法使いの女の子がいた。彼女は魔法が使えなくて、いつもひとりぼっちだった。彼はその子の魔法にかかった」。これがヒントです。
 正直なところ、こんなことで手がかりが手に入るとも思えなかった。フォロワーゼロのツイッターアカウントに、なんの価値があるというのだ。
「ま、気長に待ちましょ」
 ちょうど食事が運ばれてきて、ノイマンはスマートフォンを私に押しつけた。


■佐倉みさき/8月4日/17時05分

「うわ」
 と、思わず声が出た。
 目の前で、急にフォロワーが増え始めた。
 いきなりひとつ、4コマを並べたものが送られてくる。

       ※

 @4koma_memories こういうのはどうですか?  pic.twitter.com/E4j18gK5lU

       ※

 私はその4つのイラストを眺めてから、目を閉じてみる。
 だが、スクリーンは白いままだ。動きはない。
 ――たぶん、違う?
 4コマをみても、ストーリーはわからない。

 ありがとうございます。
 でも、たぶん違うと思います。

 と、私は返信した。


■佐倉みさき/8月4日/17時13分

14_2014080510570304c.jpg
 まず、14番。忙しい赤と青のペンギン。おそらく仕事着です。両親だと思います。

       ※

 そのツイートを読んだ直後だった。
 まばたきした時に、あの白いスクリーンに、なにか映った気がした。
 私は慌てて目を閉じる。
 まぶたの裏のスクリーンに人影が映る。久瀬くんと――今度は、保育園の先生だろうか? 大人の女性だった。
「久瀬くんは、あの子と仲良くしてあげて」
 先生らしき人は、久瀬くんに語りかける。
「あの子、お父さんもお母さんもお仕事が忙しくて、寂しがってるだけなのよ」
 どうやら、14番のコマもこのエピソードにかかわっていると考えて、間違いないようだ。


■佐倉みさき/8月4日/17時20分

8.jpg
 誕生日なのにやっぱり両親が忙しくて一人で誕生日を迎えたってことですかね?

       ※

 まただ。スクリーンに映像が映り、私は目を閉じる。
 乱れた映像。でも、部分的には読み解ける。
 どうやらあの少女の、誕生日みたいだ。でも彼女はうつむいて、ブランコに座っている。
「大丈夫だよ」
 と久瀬くんが声をかける。でも少女はうつむいたままだ。
「私の、本当のお母さんとお父さんは、魔法の世界にいるの」
 ――魔法の世界?
 どういうことだろう。
 彼女の言葉はまだ続いていたけれど、よく聞き取れなかった。ゲート? がどうとか言っているような気がする。
 最後に、うつむいたまんまで。
 ひとりで平気、と彼女は呟いた。

 またエピソードの全貌はわからない。でも。
 どうやら8番のイラストも、このエピソードに関わっているようだ。


■佐倉みさき/8月4日/17時22分

32.jpg
 32番どうですか? さみしい女の子を笑わせようとしたのでは?

       ※

 映像の、おそらくラスト付近がクリーンになる。
 そこに映った久瀬くんは、大きな鳥居の前にいた。
 なぜか鼻眼鏡をつけて、おしりを振りながら大声で、「ハッピバースデートゥーユー!」と歌っている。彼のその姿は必死で、どこか無理をしているようにもみえた。
 ――たぶん、32番が、最後の1コマだ。
 イラストに書かれていた「you」とは、バースディソングの一部だったのか、とようやく思い当った。

 これで、4つのコマが明らかになった。
 17番から始まって、あとは8番と、14番と、32番。映像をみた限りでは、たぶん32番が最後だと思う。
 でも白いスクリーンにはまだ、「リュミエールの光景、準備中」と書かれている。
 私はノイマンの言葉を思い出す。
 彼女はたしか、このイラストは挿絵のようなもので、エピソードを当てる必要があるのだと言っていた。
 4つのイラストを、エピソードで繋がなくてはいけない。


■佐倉みさき/8月4日/17時30分

17_201408051057151c5.jpg → 14_2014080510570304c.jpg → 8.jpg → 32.jpg
 17番の少女は8番誕生日も独りで寂しかった。それは14番両親が多忙であったからであり、32番少年は楽しませようとした。のかな。

       ※

 久瀬くんのエピソードが、繋がったと感じた。
 とても幼いころの、でもいかにも彼らしいエピソードだ。

 ――子供のころ、彼のクラスには誰にも相手にされない女の子がいた。彼女は自分を魔女だと言い張っていた。他人に魔法をかけると言い張って、友達を遠ざけていた。
 ――彼はやがて、彼女の家庭の事情を知る。両親が忙しく、愛されていないと感じていた彼女は、自身が作った嘘の世界に逃げ込んでいた。自分は魔法の国からやってきた。本当の両親は魔法の世界にいる、と。
 ――誕生日、彼は彼女を救おうとする。
 ――彼女の無茶な魔法にかかったふりをすることで、少しでも彼女を慰めようとする。

 そう理解したとたん、また。
 私の視界は、ブラックアウトしていた。

       ※

 スクリーンに字幕が走る。

 ――条件を達成しました。
 ――リュミエールの光景、起動します。

 直後。
 光が射した。

       ※

 ――誕生日は、誰がなんと言おうが幸せな日なのよ。
 と少年の母親は語った。
 ――一年に1日くらい、悲しいことなんてなんにも考えないで済む、幸せな日があったっていいでしょう? だから誕生日だけは、どんな時でもお祝いしないといけないのよ。
 そのころ彼はまだ6歳で、悲しいことなんて滅多に考えなかった。毎日は当然のように幸福だった。
 でも彼は、母親の言葉が正しいような気がして、決して忘れないでいようと決めた。

       ※

 そのころ彼は保育園に通っていた。
 ほんの小さな保育園だ。
 そこで彼は、少し変わった女の子に出会った。なんとなく歩く姿がペンギンのようにみえて、少年はその子を、ペンちゃんと呼んでいた。
 でもその度に、彼女は頬を膨らませて言い返した。
「わたしは最強の魔女、ライトよ!」
 なんだそれ、と少年は思った。
 そういうごっこ遊びは、保育園では日常的なことだったけれど、ペンちゃんは心の底から自分を「最強の魔女だ」と信じ込んでいるようだった。
 いつまでもそのなりきりを止めなくて、周りの子供たちも呆れてしまって、やがて彼女には誰も近づかなくなった。
 それでもペンちゃんは、「最強の魔女」を止めなかった。
 オモチャのステッキで魔法をかけて、
「さあ、私のいうことをききなさい!」
 と無茶な要望を繰り返していた。
「そのおもちゃは私のだから」
「そのお菓子も」
「何か面白いことをやってみせてよ。逆立ちして、足で拍手して」
 誰にも相手にされないまま、ひとりきり彼女は魔法を使えない魔女であり続けた。
 ホウキにまたがって、「飛べるの!」とがむしゃらにジャンプする彼女に、少年は呆れていた。
 でもじっと空を見上げる彼女の顔は、なんとなく悲しそうにみえて、そのことを覚えていた。

       ※

「お前、魔女とか辞めろよ」
 と、少年はペンちゃんに声をかけた。
 彼女はいつものように頬を膨らませる。
「なんで? 魔女は、魔女よ」
「でも魔法使えないじゃん」
「使えるもん」
「じゃあ使ってみせろよ」
 ペンちゃんは少年に向かって、オモチャのステッキを振りかざす。
「おしりを振りながら歌いなさい!」
 もちろん少年はおしりを振らなかったし、歌いもしなかった。
 ペンちゃんは涙の浮かんだ目で少年をにらむ。
「今は、ゲートからパワーを供給できてないだけ」
「ゲートってなんだよ?」
「魔法の世界につながってるゲート。そんなことも知らないの?」
「知らないよ」
「私のお母さんとお父さんは、魔法の世界にいるの。ゲートがひらいたら私は魔法が使えるようになるし、本当のお母さんとお父さんが迎えにきてくれるんだから」
「ふーん」
 ペンちゃんはずんずんと、どこかに歩いていってしまう。
 その姿をなんとなく見送っていると、すぐ隣に保育園の先生がきて、しゃがみ込んだ。
「久瀬くんは、あの子と仲良くしてあげて」
 先生は言った。
「あの子、お父さんもお母さんもお仕事が忙しくて、寂しがってるだけなのよ」
 そういえば、と少年は思い出す。
 ペンちゃんはいつも、遅くまで保育園に残っている。お父さんも、お母さんも、なかなか彼女を迎えにこない。

       ※

 少年はなんとなく、ペンちゃんが気になっていた。閉園時間になっても誰も迎えにこないペンちゃんが、可哀想だと思った。
 でも少年は、カレンダーをみて少し安心してもいた。
 ――もうすぐ、ペンちゃんの誕生日だ。
 なら、大丈夫だ。
 ――誕生日は、誰がなんと言おうが幸せな日なんだから。
 ペンちゃんのお父さんもお母さんも、すぐに迎えにきてくれるはずだ。
 少年はペンちゃんの誕生日を祝うための秘密道具を用意して、その日を待った。

       ※

 でもペンちゃんの誕生日がきても、彼女の両親は現れなかった。
 彼女はブランコに座り込んで、じっとうつむいていた。
 少年は彼女に声をかける。
「もうすぐ、来るよ」
 ペンちゃんは首を振る。
「私の、本当のお母さんとお父さんは、魔法の世界にいるの。あのゲートが開かないのがよくないの。本当のお母さんもお父さんもこっちの世界にはいないんだから、平気」
 ひとりで平気、と彼女は呟いた。

 やがて閉園時間がきて、ペンちゃんはブランコから立ち上がる。
 そのままどこかに駆け出して、曲がり角の向こうに消えてしまう。
 ――追いかけなくちゃ。
 と少年は思う。
 魔女ごっこは得意じゃない。そういう遊びはしたことがない。でも、かくれんぼも、追いかけっこも得意だ。
 少年は彼女のあとを追った。
 見失っていても彼女がどこにいるのか、なんとなくわかった。

 ――ほら、やっぱり。
 ペンちゃんは近所の大通りにある、とても立派な鳥居の片隅に座り込んでいた。
 ――ゲートって、やっぱこれだ。
 前からなんとなく予想がついていた。この辺りで「ゲート」と呼べそうなものは、この鳥居だけだったから。
 ペンちゃんは泣いて赤くなった目で、驚いたように少年を見上げる。
「なによ?」
 少年は笑う。
「ゲートがひらくぜ」
 彼女は後ろの鳥居をみて、それから少年をにらんだ。
「うそ」
「本当だよ」
 じゃじゃーん、と声を上げて、少年は準備していた秘密道具をとりだす。
 ひげのついたオモチャのメガネだ。前の少年の誕生日に父親が買ってきて、大笑いしたのを覚えていた。
 少年はそれをつけた。
「だってオレ、魔法にかかったもん」
 ゲートがひらけば、彼女は魔法が使えるのだ。だから。
「ハッピバースデートゥーユー!」
 少年はおしりを振りながら、全力で歌う。
「ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー! ハッピバースデーディアひかりー!」
 彼女はペンちゃんじゃなくて、魔女ライトでもなくて、ひかりというのが本当の名前だ。
 少年は力の限りにおしりを振って、声を枯らせて全力で歌う。
 とつぜん道端から聞こえる叫び声みたいな歌に、通行人が怪訝そうな目を向ける。
 ペンちゃんが顔を真っ赤にした。
「ちょっと、やめてよ! 急になに?」
「仕方ないだろ。魔法にかかったんだから」
 ハッピバースデートゥーユー、と少年はまた歌う。ディアひかり、と叫び声を上げる。
 ペンちゃんも叫んだ。
「やめてってば!」
 人にみつかるから、というよりも、単純に恥ずかしがっているようだった。彼女はもう泣き止んでいて、まだおしりを振りながら歌い続ける少年につかみかかる。
 少年はニッと笑って、ペンちゃんをかわして、歌い続ける。

       ※

 そうしてふたりで騒いでいると、やがて、保育園の先生が走ってきた。
「ちょっと。お迎えがくる前に出ていっちゃダメじゃない」
 いつになく怒った顔だ。
 少年とペンちゃんは、並んで「ごめんなさい」と頭を下げる。
 そのまま目を合わせて、ふたりはくすりと笑った。
 怪訝そうな表情で、先生が言った。
「どうしたの?」
 小さな声で、ペンちゃんが答える。
「魔法をかけられたの」

       ※

 私はたぶん、微笑んでいた。
 久瀬くんは昔から変わらずに、あまりに久瀬くんだった。
 スタッフロールもなく、ゆっくりとと四角い光景が消え、再び視界が闇に落ちる。でもその闇に、もう恐怖はない。
 私は瞼を持ち上げようとする。直前。
 ――グーテンベルクの描写、起動。
 そう、声が聞こえたような気がした。


■佐倉みさき/8月4日/17時33分

「思い出した?」
 とノイマンがいう。
 思い出した、というか、はじめて真相を知った。久瀬くんは素直じゃないから、私に真実すべてを話してはくれないのだ。
 なんにせよ私は頷いて、それからふと気づく。
 ――この人たちに、真実を話していいのだろうか?
 ノイマンは悪人ではないように感じている。それでも、誘拐犯は誘拐犯だ。ほかのことはともかく、久瀬くんに関する情報は、話したくはなかった。
「この4枚のイラストは、ある女の子と、魔法のおもちゃの話ですね」
 適当な嘘をつく。
「背中にゼンマイが付いたペンギンの絵があるでしょう? これは、ある魔法少女アニメの、マスコットキャラのおもちゃです」
 そんなアニメがあるのかはよく知らないが、ペンギンなんてメジャーな動物なら一度くらい魔法少女のマスコットになっているだろう。
「そのアニメが大好きな女の子は、誕生日プレゼントにペンギンのおもちゃを欲しがっていたけれど手に入りませんでした。かわりにヘンテコな、この鼻眼鏡の人形をもらいました」
 ニールは頬杖をついて、興味なさげに私の話を聞き流している。
 ノイマンが鋭い口調で、
「どこが英雄の話なのよ」
 と、痛いところをついてくる。
「英雄が教えてあげるんですよ。確かにペンギンの方が可愛いかもしれないし、魔法少女の方が恰好いいかもしれない。でも鼻眼鏡は回りのみんなを笑わせるために、自分から笑われにいくんだよ。とても素敵だろ、って」
 話していると、ちよっと真実に近づいてしまった。反省しつつ、私はちらりとノイマンの表情を観察する。
 彼女はため息をついて、テーブルに置いたメモ帳に、事務的な表情でなにかを書き記した。
 そのあいだに、私はスマートフォンに、感謝の言葉を書き込もうとする。なんにせよ久瀬くんの過去を知れたのは、彼らのお蔭なのだから。
 でも。
「いつまでも携帯なんか渡してられるかよ」
 そう言ってニールが、私の手元からスマートフォンを取り上げてしまった。


■佐倉みさき/8月4日/17時35分

 これで名古屋での用事は終了だ。
 とはいえ私たちは、この街でもう一泊する予定になっていた。ここでの「エピソード捜し」にどれほど時間がかかるかわからなかったから、今夜のホテルも押さえておいたのだ、とノイマンが言っていた。
 このカフェは18時に閉まってしまうそうなので、ノイマンが慌ててアイスティーを飲んでいた。
 私はそのあいだに、ようやく落ち着いて店内を眺める。
 このお店はヘアサロンに隣接する、10席程度しかない小さなカフェだった。ハワイをイメージした店なのだろう、壁にかかったイラストや音楽もそんな雰囲気で統一されていた。葉っぱ型のコースターや、カラフルな水の入ったコップが可愛らしい。ヘアサロンの方からシャンプーの香りがして、それがコーヒー豆の香りと混じり合って、なんだか独特だ。
 私は向かいの壁にかかった、一枚の絵をながめて過ごす。
 それが目に入ったとき、私は空を見上げる少年の絵だと思った。でもよくみてみると、夕暮れ時の、テントのある異国の風景だった。

       ※

 ノイマンがアイスティーを飲み終えて、私たちは店を出る。
 外壁が白い、こぢんまりとした建物の1階に入っているカフェだった。看板の店名にはヤシの木の絵が添えてある。
 ホテルは少し離れた場所にあるから、名古屋駅から電車に乗らなくてはいけない。
 カフェを出て通りを左手の方向に進む。
 細い通りを2本超えると、信号のある大通りにでる。
 横断歩道を渡って、その大通りを右手に進む。角にはガソリンスタンドがある。その前を通過する。
 そのまま直進すると、やがて、道路の反対側に、側面が半円ほども弧を描いた、特徴的な大きなビルがみえた。そのビルがある交差点を左手に曲がる。
 まっすぐに進むと、右手が名古屋駅だ。
 やがて右手前方に、まるで開きかけの花のような形をした、銀色の噴水がみえる。
 私たちはツタヤとサイゼリヤが入った建物の向かいの横断歩道を渡り、駅に入る。
 なんだか奇妙に疲れていた。
 今夜も、よく眠れそうだ。

――To be continued


★★★該当するカフェを「Ohana」と推測。
★★★名古屋のカフェ「Ohana」にて『ある少年の光景1』 / 『ある男の視点1』発見。

『ある少年の光景1』

・少年(久瀬)
・ひかり:久瀬が「ペンちゃん」と呼んでいた少女。自称「魔女ライト」。
・ひかりの両親:仕事が忙しく、ひかりの誕生日にもなかなか迎えに来られなかった。
・保育園の先生
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・両親が多忙で愛されていないと感じている少女、ひかり。自分を魔女ライトと呼び、ゲートからパワーを供給出来れば魔法を使えるのだと言い張る。ひかりの誕生日にも両親はなかなか迎えに来ない。久瀬はゲートが開いて魔法にかかった、と踊りながら歌ってひかりの誕生日を祝う。


『ある男の視点1』

・ある男:15年前に中学生。ぴかぴかの革靴を履く度にひどく気分が落ち込んだ。「こんなんじゃ、どこにも行けねえよ」
・ある男の父親:それなりに金を持っており、ある男の全てを管理していた。
・ある男の母親:ある男が小学校を卒業する前に離婚して家を出た。
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・15年前はそこそこ勉強が出来て愛想笑いが得意な、どこにでもいるような中学生だった。両親が離婚したために父親と暮らしている。世間的には不自由のない裕福な家庭に見えるかもしれないが、自由はなかった。ぴかぴかの革靴を履く度に、酷く気分が落ち込んだ。「こんなんじゃ、どこにも行けねえよ」


★★★「愛媛の愛情100%」ブログのメールアドレス(ponthe1.no1@gmail.com)をGmailの連絡先に入れたら
 越智総一郎ってでてきた。
★★★「愛媛の愛情100%」管理人からの情報:ファーブルではない、ノイマンではない、
 聖夜協会について知らない、弟がレンブラントが好きという話は聞いていない、バイトをしている、
 宮野について知らない。

【3D小説『bell』運営より】
・当企画の各イベント地に設置させていただいている小冊子につきまして、みなさんにご連絡があります。
 当企画の小冊子は多くの場合、イベント終了後も一週間ほど、現地に置かせていただいております。
 ご興味ございます方は、のんびりとご覧に行っていただけますと幸いです。
 なお現地の方々には、ご迷惑のかからぬよう、重ねてお願いいたします。

8月3日(日) ← 3D小説「bell」 → 8月5日(火)
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最終更新日 : 2015-07-30

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