【報告書】作成者:ましろ

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2014-08-03 (Sun) 23:59

8月3日(日)

8月2日(土) ← 3D小説「bell」 → 8月4日(月)

――水曜日のクリスマスには100の謎がある。

2番目の謎は、バスはどこからどこへと向かうのか、だ。

★久瀬へ:バスに乗る前、乗ってる間の月の状態を観察してください ※8/2


84番目の謎は、なぜ彼は100の謎に触れられないのか、だ。

★久瀬へ:我々のメールは100の謎と呼ばれる検閲条項により制作者から妨げられることがある。100の謎は君やみさきさんを取り巻く状況の重大な真実を握っているらしい ※8/2


24番目の謎は、なぜ彼は自身の状況を正確には認識できないのか、だ。

★久瀬へ:ソルの得られる情報は基本的に、久瀬くんとたまにみさきさんの周囲の状況、及び思考をインターネットを通してテキストで読めるというもの ※8/2
★久瀬へ:「グーテンベルクの描写」・「(偉人名)の視点」と書かれた、タイトルの偉人名を名乗る人物の一人称視点、かつ本人が書いたとは思いにくい内容の原稿用紙を発見している。我々が見る久瀬くんの情報と共通点があり、その特殊性から超能力の類と考える ※8/2


【再】22番目の謎は、なぜこの物語は一部の情報が語られないのか、だ。

★久瀬へ:久瀬くんが子供の頃に行った発明教室は、渋谷にある日本発明振興協会ではありませんか?お父さんに確認することはできますか? ※8/2
★久瀬へ:『ベートーヴェン』はどこで手に入れられるのか宮野さんに聞いてください。バックナンバーがあるのか、創刊がいつかもわかれば聞いてください。 ※8/2


【再】58番目の謎は、 彼らの世界は「いつ」なのか、だ。

★久瀬へ:手間かもしれないが、重要なことなので確認したい。今は平成何年の何月何日、何曜日だ? ※8/2
★久瀬へ:招待状の『平成二十六年』という文面について違和感はありますか?それって今年ですか? ※8/2
★久瀬へ:東京オリンピックは何年に開催されるのか知っていますか? ※8/2


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■久瀬太一/8月3日/16時

 今日も喫茶店でアイスコーヒーをすすっていた。
 目の前には八千代がいる。彼に呼び出されたのだ。
 もちろんまだ、八千代を信頼したわけじゃない。でも、彼の誘いには乗ろうという気になっていた。多少の危険を冒さなければ、なんの手がかりもつかめそうにない。
「じゃあ、これは知ってるかい?」
 と八千代が言った。
「アイテム欄の一番下をふしぎなキャンディーにしておく。戦闘中、そのキャンディーを使うと、消費せずに効果を得られる。でもこれにはもうひとつ条件があって――」
 古いRPGの裏技の話だ。
 なぜこんな話になったのかよくわからない。はっきりしているのはなにも得るもののない無駄話だということだけだ。
 オレは声が不機嫌になるのに構いもせず、言った。
「そろそろ本題に入ってくれよ」
 レトロゲームの話題で盛り上がるために、わざわざ八千代に会ったわけじゃない。
「そうかい? 敵に追いかけられない裏技も知っているんだけどね」
「興味ないよ。みさきが、悪者に追いかけられなくなる裏技でもなけりゃな」
「ま、いいさ。なら本題だ」
 八千代はホイップクリームが載ったアイスココアに口をつけて、言った。
「悪魔――佐倉みさきだったかな? 彼女を確保していたスイマの住所がわかった」
 思わず、身を乗り出す。
「どこだ?」
「慌てるなよ。聖夜協会じゃ、オレは末端だぜ? オレのところまで情報が流れてきたんだ。もうそこにはいない」
 じゃあ意味ないじゃないか、と叫びたかったが、思い留まる。
 現場を調べれば、なにか手がかりがわかるかもしれない。ここで八千代と無駄話をしているよりはずっとましだ。
「どこだよ?」
「その前にひとつ、質問がある」
「なんだ?」
 八千代はテーブルの上に、ちゃちな小冊子を置いた。見覚えがある。うちにもある小冊子だ。表紙には『聖夜教典』と書かれている。
「これを、みたことは?」
「あるよ」
「へぇ。どこで?」
「最初にみさきを誘拐した馬鹿の荷物に入っていた」
「内容に、思い当ることは?」
 ――ある。
 もちろん、ある。
 八千代はおだやかに笑っている。
「素直に答えろよ。オレは、嘘を見破るのが得意なんだ。本当のことを話せば、悪魔が捕らえられていた部屋まで連れて行ってやるさ。嘘をついたら、話はここまでだ」
 ためらいはあった。
 でもオレは、頷く。
「その冊子には、オレの過去が書かれている。気持ち悪く美化されているけどな」
 八千代は笑う。嬉しげに、不気味に。
「うん。やっぱり君が英雄だ。間違いない」


■久瀬太一/8月3日/16時30分

 八千代は赤い、高級そうな国産車に乗っていた。よくわからない仕事をしているくせに、それなりに稼ぎはあるようだ。エアコンの効きも良くて快適だが、オレは宮野さんの車の方が好きだった。
 移動しながらオレは、聖夜協会について、大まかな説明を受けた。
「聖夜協会は元々、ジョーククラブとして誕生した。もっともらしい題目を掲げて、真面目ぶった、でもよく聞くと馬鹿馬鹿しい議論をしながら酒を飲むための会だ。年末に集まることが多かったから、ただそれだけの理由でクリスマスが槍玉に挙げられた。最近のクリスマスは間違っている、正しいクリスマスとは――なんてことを話しながらさんざんワインを飲むわけだ」
 オレは頷く。
「でも、今は違う」
「そう。聖夜協会はまったく性質の違う組織になった。そもそも聖夜協会を作ったのは、『センセイ』と呼ばれる人物だ」
「センセイ」
 きいたことがある。
 たしか、最初の誘拐犯が信仰していた人物だ。
 八千代は続けた。
「でも彼は10年以上も前に姿を消している。同じ時期に、古株の聖夜協会員たちが数人、失踪している」
 そういえば、みさきの祖父も失踪したと聞いた。
「なにがあったんだ?」
「それはわからない。ともかく聖夜協会はセンセイを失った。ところでここから、話は唐突にファンタジーになる」
「ああ。最近、ファンタジーにはずいぶん慣れたよ」
「そりゃよかった。センセイは、特別な力を持っていたんだ」
「瞬間移動でもするのか?」
「違う。そんな程度じゃない」
 八千代はどこか自嘲気味に、口元だけで笑う。
「センセイは他人にプレゼントを与える。ニールのあの力も、センセイから貰ったものだ」
 信じられないことだった。
 オレは実際に、ニールの瞬間移動をこの目でみている。それでもわけがわからない。
 ――あんなもん、ぽんと人にあげるってのは、どんな原理なんだ?
 まともに考えてわかることでもない。
 オレは肩をすくめてみせた。
「あんた、プレゼントを手に入れる方法はまだわからないって言ってなかったか?」
「わからないさ。肝心のセンセイが姿を消しちゃったんだからね。だから今の聖夜協会員たちはセンセイを捜しているんだよ。理由は人それぞれだろうけれど、わかりやすくまとめてしまえば、みんなプレゼントが欲しいんだ」
 なるほど。
 わけがわからないことだらけだが、ようやくひとつだけ腑に落ちた。「聖夜協会」はプレゼントを求めている人々の集団だ。そうまとめてしまえば、理解しやすい。感情で納得はできないけれど、あれほど狂信的になるのも理解できないことではない。
 スイマたちは、サンタクロースのプレゼントが欲しくて眠るのだ。
 オレは尋ねる。
「じゃあ、ヨフカシは?」
「ヨフカシ?」
「いるんだろ。そんな名前の奴が」
 低い声で、八千代は笑った。
「君の情報は不思議だな。どうしてセンセイを知らなくて、ヨフカシを知っているんだ」
「いろいろあるんだよ。ヨフカシってのは、なんだ?」
「ヨフカシはスイマに紛れ込んだ裏切り者だよ。まだ根も葉もない噂の域だ。実在するのかもわからない」
「裏切りってのは?」
「ん?」
「一体、なにをどう裏切るんだ?」
「ヨフカシはセンセイの居場所を知っていると言われている。知っていて、秘密にしている。たぶんプレゼントを独り占めするために。ひとりだけサンタクロースの正体を知った、『悪い子』がヨフカシだ」
 なるほど。おおよそ、聖夜協会の構造はわかった。
 常識で考えれば納得できないことだが、とりあえず受け入れるしかない。かつていた、『センセイ』という特別な力の持ち主を、今もまだ追い求めている集団。少しずつ狂っていった集団。
 問題は、その狂い方だ。
「それで、どうしてみさきが悪魔と呼ばれて、誘拐されないといけないんだ?」
「オレもよくは知らない。でも、悪魔がセンセイを奪った、とスイマたちは言っている」
「奪った?」
「悪魔のせいでセンセイが消えた。その辺りのことは、君の方が詳しいはずなんだけどね」
「オレ? どうして?」
「悪魔はセンセイを奪い、英雄をたぶらかして血を流させた。その英雄っていうのが、君だ」
 オレはため息をつく。
「どうしてそこで、オレが出てくるんだ」
「知らないよ。でも君のエピソードがまとめられ、今の聖夜協会じゃ教典になっている」
「わけがわからない」
「まったくだ。英雄に関しては、その名前も明らかになっていない。君はほとんど、伝承上の人物だ」
 やめてくれ、と言いたかった。
 奇妙なカルト集団の英雄に祭り上げるなんて笑えない。それで大笑いするのはきっと宮野さんくらいのものだ。オレはベートーヴェンの表紙を飾るようなことにはなりたくなかった。
 でも一方で、別の可能性にも思い当る。
「なら、オレが名乗り出ればみんな上手くいくんじゃないか?」
 みさきの誘拐なんて馬鹿なことをやめろ、と英雄が言えば、すべて解決するように思った。英雄なんて呼ばれるのは大抵の悪口よりも苦痛だが、この際、仕方がない。
 でも八千代は首を振る。
「協会内に伝わる話じゃ、英雄は悪魔の呪いにかかったことになっている。君が悪魔の肩を持っても、その裏付けだとしか思われないだろうね。一層、悪魔への憎悪を増すことになりかねない」
 オレはため息をつく。
「理解できない話だ」
「もちろん。真顔で悪魔がどうこうと言う集団にはかからわない方がいい。とはいえセンセイのプレゼントには、それだけの説得力があるんだよ。神も悪魔も信じさせるほどの、わかりやすく目にみえる奇跡だからね」
 そういうものだろうか。よくわらない。オレはニールの瞬間移動をみても、あの未来がみえるバスに乗っても、神も悪魔も信じる気にはなれなかった。
「スイマは簡単に分類すれば、ふたつの派閥にわかれる。ひたすら教義と教典に忠実な穏健派と、教義を拡大解釈して現状を変えようとする強硬派だ。ふたつの派閥はもちろん対立している。でもどちらの派閥であれ、メリーには逆らわない。すべてをどうにかしたければ、メリーに接触するしかない」
 メリー。何度か聞いた名前だ。
「たしか、そいつが聖夜協会の最高権力者なんだよな?」
「ああ。もちろん、センセイがいない今は、ってことだけどね」
「どうして?」
「そこが、オレもまだよくわからない。奴らは新人には、メリーのことは特に話したがらないみたいだ」
 納得できないまま、オレは頷く。
「わかった。じゃあ、みさきを連れ去っていたスイマってのは?」
 車がウィンカーを出し、今度は有料の駐車場に入った。
「これから行くのは、ノイマンと呼ばれる穏健派のマンションだよ」
 ノイマン。ジョン・フォン・ノイマンだろうか。
 それはソルたちから聞いた情報と一致している。みさきはノイマンと名乗る女性と共にいる、と訊いていた。
 ――少なくとも八千代の話は、オレの知識と矛盾しない。
 嘘はついていない、と判断してよいように思う。
 八千代がエンジンを止める。
 オレはドアを開けながら言った。
「どいつもこいつも、名前が大げさだな」
 八千代も車を降りて、肩をすくめた。
「よくは知らない。センセイはクイズと偉人の話が好きだったって聞いているけどね」
 趣味としては悪くない。偉人の話はオレも好きだ。
 でも、そのセンセイって奴に、自分で作った集団の面倒くらいみろよと言ってやりたかった。


■久瀬太一/8月3日/17時

 八千代は躊躇いのない足取りでマンションに入る。オレもその後ろに続いた。
「どうしてここがわかったんだ?」
 彼はいつもの、こちらの内心を見透かしたような動作で肩をすくめる。
「協会内には、何人か知り合いがいる。実のところ、君の彼女の誘拐にも知り合いのひとりが関わっている」
「なら、今いる場所もわかるんじゃないのか?」
「そう上手くはいかない。さっきの、派閥の続きだよ。悪魔を誘拐を実行したのはオレの友達がいる派閥だけど、そのあとでもう一方の派閥に引き渡された。そこにはどうやら、メリーの意思が関わっているらしい」
「それで?」
「ふたつの派閥は対立しているからね。やっぱり悪魔をみつけて誘拐した方としてはおもしろくないわけだ。だから必死に、彼女の居場所を捜していた。そしてここがみつかった」
「なら、やっぱりみさきはここにいるんじゃないのか?」
「可能性は低い」
 八千代がエレベーターのボタンを押した。ドアが開き、オレ達は乗り込む。
「まだここに悪魔がいるなら、もっと手柄を立てたいスイマが飛びつくさ。もう別の場所に運ばれたあとだよ。オレは聖夜協会じゃまだ新人だから、空っぽになった部屋でも調べてこいといわれれば調べにいくさ」
 そんなものだろうか。
 エレベーターがゆっくりと上昇する。
 緊張していた。あわよくばこの先にみさきがいるのではないか、と想像した。同時に最悪の事態もイメージできた。
 オレの不安を表情から読み取ったのか、八千代は言った。
「もうすぐ、エレベーターが止まる。ドアが開けばその先には無数の男たちがいる。黒服を着てサングラスをつけた、体格の良い男たちだ。ベルトコンベアで作られたように、みんな同じ顔をして、同じ動作で、同じ銃口を君に向ける」
 オレは首を振った。
「そんなの考えちゃいない。オレをどうこうしたいなら、あんたひとりで充分だろ」
 最悪は、そんなものじゃない。
 佐倉みさきが血を流していなければそれでいい。
 エレベーターが停まり、ドアが開く。
 先はなんてことのない、ありきたりな通路だった。もちろん、拳銃を構えた黒服なんて奴らはいなかった。
 八千代のあとについて、オレは歩く。八千代はためらいなく、あるドアの前に立ち、2度チャイムを鳴らす。反応がないのをしばらく確認してから、ドアノブをつかんで回す。
 ドアはあっさりと開いた。
「どうして鍵がかかってないんだ?」
 とオレは尋ねる。
「理由は知らない。でも、想像はできる。君にだってできるはずだ」
 答えを知っているなら教えろよ。
 八千代は靴を履いたまま部屋に入る。オレもそれに倣った。
「誰かをこの部屋に招き入れたかったから、鍵をかけなかったのか?」
「そうかもしれない。でも、オレは別の可能性を考えている」
「じゃあ、あのニールって奴が絡んでいるのか」
 八千代は笑った。
「ちゃんとわかってるじゃないか」
 ニールは瞬間的に場所を移動する。あの能力で部屋の中に入り、帰りは普通にドアを開けたのだとしたら、辻褄があった。
 ――行きには瞬間移動を使い、帰りはそうしなかった理由はなんだ?
 オレは思わずため息をつく。ほんの先週まで、真面目に瞬間移動について考えることになるなんて思いもしなかった。
 玄関からは廊下が伸び、左手に2つドアが並んでいる。八千代はそれを順に開けていく。一方はバスルームで、もう一方はトイレだった。
「もうひとつ、わかったことがある」
 とオレは言った。
「へぇ。なんだい?」
「あんたは敵を想定している。だから靴を履いたまま、部屋に入った」
「ああ」
「その敵はおそらく聖夜協会員だ。無関係な人間がこの部屋にやってくることは想定しづらい」
「その通り」
 八千代は廊下の奥にある、曇りガラスがはめ込まれたドアを開けた。そこはリビングだ。ダイニングも兼ねているのだろう、広く、右手にはキッチンがある。
「穏健派と強硬派の対立って奴か?」
「ま、そんなとこだよ」
「お前はどっちだなんだ?」
「どっちでもない。ただの潜入捜査だ」
「でも潜入した以上、どっちかにはついてるんだろう?」
「友達は過激な奴が多い。協会内にはね」
 八千代は隣の寝室を覗き込んでから、リビングの片隅にあったPCラックの前に座った。そこにはノートPCが載っている。電源が点滅していて、スリープモードになっているようだとわかる。
 八千代はノートPCを起動させた。まずメールソフトを開く。オレも後ろからモニターを覗き込むが、気になる情報は目につかなかった。未開封のダイレクトメールばかりが並んでいる。おそらくほとんど使用していないメールアドレスなのだろう。
 続けて八千代はインターネットブラウザを立ち上げ、グーグルとヤフーのメールサービスを確認した。どちらにもログインできない。さらにツイッターやフェイスブックなどSNSサイトにアクセスしようとするが、なんらかの制限がかかっているようで、画面にはエラーメッセージが表示されるだけだった。
「なかなか難しいもんだな」
 とオレは言う。
 八千代は笑った。
「PCごと持って帰って調べてみれば、なにかみつかるさ。じゃなきゃわざわざ、ロックなんてかけない」
 なるほど。それはそうか。
「なら別のところを捜した方がいいんじゃないか?」
「そうだな。でも、捜し物の指針が欲しい。もう少しだけ」
 八千代はブックマークを開く。
 歴史あるゲーム制作ツールに関するサイトが、いくつか登録されていた。ノイマンという人物には、そんな趣味があるのだろうか。他にはニュースサイト、通販サイト、動画共有サービス、個人ブログ――
 オレは思わず、そのブログで視線を留める。
「愛媛の愛情100%?」
 ずいぶんあんまりな名前だ。友人のブログを仕方なく登録した、というところだろうか。
「なんであれ、違和感ってのは大切にするべきだ」
 八千代は笑顔で、そのサイトを開いた。


【愛媛の愛情100%】7/31「弟から」:http://ponthe1.hatenablog.com/entry/2014/07/31/011804

・愛媛を離れてずっと音沙汰のなかった弟から急に連絡があった。LINEのスタンプを作るらしい。


■久瀬太一/8月3日/17時15分

 ブログはタイトルの通り、愛媛の話題ばかりだった。短いテキストばかりのブログだが、確かな郷土愛を感じる。
 オレもほんの一時期だけ、愛媛に住んでいたことがある。でも転校が多かったせいか、どの土地にも愛着はない。だからこのブログが少しだけ羨ましかった。
 オレは記事のひとつで目をとめる。
 ――最近、愛媛を離れてずっと音沙汰のなかった弟から急に連絡があった。
 それは珍しく、長い記事だった。
 とはいえテキスト量が多いわけではない。
 こんな内容だ。

       ※

 どうやら絵を描ける人に頼んで、LINEのスタンプを作るんだと。
 自慢げに、それっぽいイラストが添付されてるメールがきた。
 愛媛を捨ててどこをほっつき歩いてるかと思えば、くだらない。
 みかんの絵もないし。

 なので、発表前のイラストをここで晒してやろうと思います。
 ザ・不買運動だ!

       ※

 その下には、40枚ものイラストが掲載されていた。
 あまり手の込んだものではない。中には明らかにふざけているものもあった。一方で、見過ごせないイラストも混じっていた。
 なによりもまず目についたのは、クロネコを背中にのせて飛ぶ、赤い帽子をかぶったロケットのイラストだ。
 むかつく目と口に見覚えがある。
 ――少年ロケット。
 バスにいる、あのきぐるみ。バスのきぐるみは少年の形をしていて、このイラストではロケットになっている。だがふたつとも同じ顔だ。
 ――いったい、どういうことだ?
 ノイマンがブックマークをつけたブログに、少年ロケットがいた。
 ただの偶然だとは思えなかった。
 他のイラストをざっとながめて、その直後、顔の左半分に激痛を感じた。
 汗がにじんで、血の気が引く。視界が霞むほどの痛みだった。その苦痛を紛らわせようと、オレは必死に顔を押さえる。
「おい、どうした?」
 八千代の声が聞こえる。珍しくシリアスな口調。
 首を振って、オレは無理やりに笑った。
「なんでもない」
「なんでもないってことはないだろう」
 八千代の大きな指が、モニタを指した。
「このイラスト。思い当らないか?」
 彼が指したのは、少年と少女が、どこか丘の上から星を見上げているイラストだった。
 もちろん、心当たりがある。
「どうして?」
 とオレは尋ねた。
「協会内じゃ有名な話だ。英雄と呼ばれる少年は、少女の手をひいて星をみにいく」
 そうだ。オレは、あのクリスマスパーティで。
 独りきりだったみさきの手をひいて、会場を抜け出した。
「でもその少女は、悪魔だった。それで英雄は――」
「やめろ」
 彼女を、悪魔とは呼んで欲しくなかった.
 八千代に悪意はないのだろう。あくまで、聖夜協会の説明だ。でも、なぜか今は、それを聞き流せなかった。
 八千代は肩をすくめて、別のイラストを指す。
「なら、英雄。このイラストは知らないか?」
 丸いイラストだ。ヒーローのような仮面を被った、少年ロケットに似た口元の何かが描かれていた。
 ――知らない。
 そう答えそうになって、思い当る。また、顔の左半分がひどく傷む。
「それは、ヒーローバッヂだ」
 ヒーローの絵がついた缶バッヂ。
 オレはそのヒーローバッヂを知っていた。
 どうして? いつみたんだ?
 ――よく思い出せない。ずきん、ずきんと顔が痛む。
 八千代は明るい声で言った。
「それだ」
 痛みに耐えながら、オレは答える。
「それって、なんだよ?」
「メリーはヒーローバッヂを捜している」
「どうして?」
「さあな。よくわからない。だが、とにかくそのバッヂがあれば、メリーに近づける。お前の彼女だって助けられるもしれない」
 八千代は、また別のイラストを指さす。
「みろよ。これも、ヒーローバッヂじゃないか?」
 それは「タイムカプセル」と書かれたイラストだった。
 宝箱のようなものの中に、小さな丸いものが入っている。それはたしかに、ヒーローバッヂのイラストのようだった。
「想い出さないか、英雄? お前は、タイムカプセルにヒーローバッヂを入れたのか?」
 タイムカプセル? そんなもの、埋めたことは――
 いや、なにか。なにか引っ掛かる。愛媛。タイムカプセル。なにか思い出しそうな。くそ。頭が、痛い。思考するたび痛みが増していく。
 立っているのも辛くて、オレはPCラックに手をついた。
 その時。
 高く、間延びした、玄関ベルの音が聞こえた。


■久瀬太一/8月3日/17時30分

 やってきたのは2人の男だった。
 一方はひょろりとしていて眼鏡をかけている。もう一方は体格が良く、顔に不気味な笑顔を張りつけている。共に、三〇代の前半から半ばくらいにみえた。
 少なくとも彼らは、靴を脱いでマンションの中に入って来た。オレや八千代よりはいくぶん常識的なようだった。
 気がつけば、顔の痛みはもう引いている。あとには甘みに似た、安らかな違和感だけがある。でも安心できなかった。
 ――こいつらは、敵か?
 おそらくはそうだろう。ノイマンのマンションに、味方が現れるとは思えない。そもそもオレにはほとんど味方なんていない。思いつくのはソルたちくらいだった。
 男たちは、ちらりとこちらの足元に視線をやって、それから体格の良い方が口を開いた。
「貴方たちは?」
 笑みを浮かべて、八千代が答える。
「ノイマンの友人だよ」
「友人のリビングに、土足で上がり込むのは感心しませんね」
「失礼。日本のライフスタイルにはいまいち馴染めなくてね。君たちは?」
「私はファーブルとお呼びください」
「ああ。いい名前だ。小学校の図書室でよく読んだ」
「貴方は?」
「オレはドイル。2代目だがね」
 ドイル。それが八千代の、協会内での名前だと知っている。ずいぶん立派な名前だ。なんとなく似合っているのが鼻につく。
 恰幅の良い男――ファーブルは顔に笑みを張りつけたまま、わずかに首を傾げる。
「なるほど。不思議ですね。私はつい昨日にも、ドイルにお会いしましたが」
「親父の方かい?」
「いいえ。貴方のはずですよ。ホームズならまだしも、ドイルまで変装の名人だということもないでしょう」
「どこで会った?」
「パーティですよ。我々の」
「そいつは偽物だよ。オレは招待状をなくしちゃってね」
「メリーが偽物に気づかないとも思えませんが」
「残念だが、オレはメリーに会ったこともないよ」
「それでもです。彼女は特別ですから」
「ニールなら、オレを知っている。確認をとりたきゃ好きにしてくれ」
 ファーブルは顎に手を当てた。
「まあ、いいでしょう。どちらにしても同じことです」
「同じこと?」
「貴方たちのやり方は、協会の教えを逸脱している」
「オレは強硬派ってわけじゃない。偶然、そっちの方と先に知り合っただけだ」
「なんにせよニールのご友人でしょう? 彼は少し、目に余る」
「ああ。今度会ったら注意しておくよ」
「ええ。お願いします。ですが今は、それよりも大切なことがある」
「なんだい?」
「もちろん、悪魔のことですよ。まさかメリーの決定に逆らうつもりではないでしょうね?」
「そんな気はないさ」
「なら、早く悪魔を差し出しなさい。あれはこちらで管理せよというのが彼女の意向です」
 話を聞いていて、わかったことがある。
 協会内で、ファーブルという男は穏健派に位置するようだ。ニールは強硬派。八千代も体面上、強硬派に位置している。
 八千代は強硬派の指示でこの部屋の捜索にきた。一方で、穏健派もみさきの居場所を把握していないようだ。
 ――つまり、どちらの派閥もみさきを見失っている?
 そう考えるのが妥当だ。どちらかの派閥の、誰かが裏切り、みさきを独占しようとしている。思い当るのはニールだ。ニールは瞬間移動でこの部屋に入り、みさきを連れ出した。だから部屋の鍵が開いていた。そしてニールはそのことを、他の強硬派に伝えていない。
 隣の八千代が、軽く肩をすくめる。
「できれば、教えてあげたいんだけどね。そうもできないんだ」
「どういう意味です?」
 ふたりの会話に、オレは割り込む。
「あんたらは信用できないってことだよ」
 八千代とファーブルが、同時にこちらをみる。
 オレは笑う。
「メリーなんて知ったことか。悪魔はオレたちがみつけたんだ。返してもらっただけだ」
 はじめて、ファーブルが笑みを消した。
 オレは続ける。
「悪魔が欲しけりゃ、取り戻してみろよ。ま、あんたらには無理だろうがな」
 そして駆けだした。靴を履いたままでよかった。廊下を駆け抜け、玄関から飛び出す。
 後ろを追ってきた八千代が叫ぶ。
「おい、なにを言ってんだよ!」
「これで敵の数が減る」
 穏健派と強硬派は、互いに互いがみさきを確保していると思い込んだまま争っていればいい。オレたちは、派閥を裏切ってみさきを連れ出した誰かを相手にする。それがニールなら希望が持てる。話を聞く限りでは、八千代はニールと繋がりがあるようだ。
「おいおい、オレが狙われるんだぞ?」
「知るかよ。女の子の身代わりになるなら本望だろ」
「護る女くらい、自分で決めさせろ」
「うるせぇ」
 オレは昨日、保留にしていた誘いに答えを出す。
「手を組もう、八千代。ヒーローバッヂの在り処を教えてやるから、付き合え」
 八千代は顔をしかめる。
「本当に、知ってるんだな?」
「これから思い出す」
「ひどい不当契約だ」
 八千代は走りながら器用に、「組む相手を間違えたよ」と肩をすくめてみせた。


■佐倉みさき/8月3日/17時45分

 後部座席に載せられていた。
 運転席にいるのはニールだ。トランクに詰め込まれはしないだけましだが、数十センチ先に誘拐犯がいるのは、やはり息が詰まる。
「旅行は好きか?」
 シートベルトを念入りに確認していると、前を向いたままのニールに尋ねられた。
 いきなりなにを言っているんだ、こいつは。
 ニールは気にした様子もなく、鍵を回してエンジンをかける。
「俺は好きだ。遠ければ遠いほどいい。でも隣の県であれ、知らない土地ってのはそれだけで魅力的だよ。ただし邪魔な荷物がなければな」
 荷物とは私のことだろう。そう思うなら放っておいてほしかったが、きっと言うだけ無駄だ。
 代わりに尋ねる。
「どこに連れていくつもり?」
 こいつが私と世間話をしたがるとも思えない。旅行の話題を出したのにはなにか意味があるのだろう。とはいえもちろん、プライベートな行楽旅行に誘っているわけでもないはずだ。
 ニールは投げやりに答えた。
「すぐそこだよ」
「すぐそこってどこ?」
「うるせえな、かさばるどころかぎゃあぎゃあわめき出す荷物なんてあるか? だいたい年上には敬語を遣え」
「誘拐犯を敬うわけがないでしょう」
「じゃあ口を開くな。人質にいちいち行き先を伝える誘拐犯なんかいねぇよ」
 なら初めから話を振るな、と言いたかった。
 私も口げんかをする相手くらいは選びたかったので、とりあえず黙っておくことにする。ニールは面倒くさそうにハンドルを切り、アクセルを踏み込む。車が加速する。ニールがカーオーディオのスイッチを入れ、なにか耳触りな音楽が流れ始める。
 そのまま、車内はしばらく、騒々しい静寂で満ちていた。
 10分ほど走ってから、車が減速する。人気のない、信号もない細い裏路地だ。そこに女性が立っていた。
 あ、と思わず声が漏れた。
 ニールは彼女の隣で車を停めて、後部座席の鍵を開ける。
 女性が私の隣に乗り込む。
「ノイマンさん」
 無事だったのか。
「心配した?」
「いえ」
 おかしな話だが、本当は少し気にかかっていた。不測の事態に巻き込まれたのではなかったのか? ただ、誘拐犯を心配するというのも変なので、反射的に首を振った。
 彼女は苦笑する。
「酷いわね。まあいいけど」
「どこに行ってたんですか?」
「すぐそこの異世界よ」
「なんですか、それ」
 運転席のニールが振り返った。
「おい、どうしてそいつには敬語なんだよ」
「別に。なんとなく」
「なんだよ。男女差別かよ」
 ノイマンが冷たい声で言う。
「うるさいわね。さっさと車を出しなさい」
 ちっ、と舌打ちしてニールはアクセルを踏んだ。
 ノイマンはこちらに向き直る。
「申し訳ないんだけど」
 と彼女は言った。本当に申し訳なさそうに、眉間に皴を寄せていた。
「貴女を脅しつけてでも協力して貰わないといけないことがあるのよ」
「脅すって?」
「たとえば、久瀬太一の安全とか」
 息が詰まった。
 どうして。
「フルネームを知っているんですか?」
「知ってるわよそれくらい。貴女を誘拐したスイマを捕まえた彼でしょ?」
 その通りだ。
「危険なんですか? 久瀬くん」
「どうかしらね。今も貴女を助けようとしているなら、あるいは」
 彼は、私を見捨てない。
 うぬぼれではない感情で、そう確信できる。
 とても嬉しいことだ。けれど、とても悲しいことだ。
 なんと言っていいのかわからなかった。
「そんなわけで貴女には、ちゃっちゃと私に協力して欲しいのよ」
「どう話が繋がるのか、よくわかりません」
「貴女が協力的だと、聖夜協会の中のいろんなことが上手くいくの。いろんなことが上手くいくと、聖夜協会も多少は落ち着く。貴女を解放して、久瀬くんの元に帰してあげることだってできるかもしれない」
 残念ながら、私は元々、彼のところにいたわけではないけれど。
「今すぐは帰してもらえないんですか?」
「ここで解放しても同じことよ。また別の聖夜協会員が貴女を狙うでしょうし、そのとき隣に久瀬くんがいたら巻き込まれるわ。犯罪者に手を貸すのは気が進まないでしょうけれど、こっちの問題を貴女が解決してくれるとみんな上手くいくの」
「なんですか、問題って」
「貴女に頼みたいのは、これ」
 ノイマンは手早く、持っていたカバンから用紙の束を取り出した。コピー用紙の片端をダブルクリップでとめただけのものだ。
 用紙には1枚につき1つずつ、不可解なイラストが印刷されていた。隅には番号がついている。
「40枚あるわ」
「それが?」
「選んで、並べて、4コマ漫画を作って」
 意味がわからない。
 運転席のニールが言った。
「そのイラストのいくつかは、英雄と呼ばれるある少年のエピソードに関係するものだ。エピソードは4コマひと繋がりで、イラストに紛れ込んでいる。わかるか?」
 わからない。
「要するにこの40枚は、4コマ漫画10本ぶん?」
「違う。ちゃんとひとの話を聞けよ。言い回しから汲み取れ。いくつかはっつってんだろうが」
 ニールの身勝手な言葉を、ノイマンが補足する。
「何本の4コマ漫画があるのかは知らないけれど、関係のないイラストも入っている可能性が高いわ」
「どうしてそんな、ややこしいことになってるんですか」
「私たちも知らされてない。上からの指示だから」
「上って、メリー?」
「だといいけれど」
 どういうことだ? 誰に指示されたのかもわかっていないのだろうか?
「直接指示を出したのはメリーよ。でも、メリーにそれを依頼したのは別の人物。貴女にこれをやらせようとしているのもね」
「おい、喋り過ぎだ」
 とニールが言った。
「いいじゃない。結局のところ、私たちはこの子を頼るしかないのよ」
 ノイマンはわずかに目を細める。
「もう10年以上も前に、聖夜協会の初期メンバーのうちの数人が失踪しているわ。今回、指示を出したのはそのひとりよ」
 ――失踪。
 時期的にも一致する。
 私のお祖父ちゃんがいなくなったのも、その時期だ。
 そしてお祖父ちゃんも、聖夜協会に所属していたはずだ。あのパーティにはお祖父ちゃんの誘いで参加していたんだから。
「どうかした?」
 とノイマンが言う。
「いえ」
 私は首を振った。
 ノイマンはこちらの顔をじっとみつめて、それから続けた。
「指示を出したのはリュミエールと呼ばれていた女性よ。なぜ10年も経って今さら、彼女からの連絡があったのかはわからない。でもリュミエールは、悪魔――貴女だけが、英雄のエピソードをみつけられるのだと言った」
 わけがわからない。
 女性だというのなら、お祖父ちゃんも関係がなさそうだ。
 英雄なんて知ったことか、と内心で舌を出しながら、私はそれでもコピー用紙の束をめくる。
 そして、息を飲んだ。
 まず目に飛び込んできたのは20番と振られたイラストだ。そこには額にHEROと書かれたマスクをかぶった、奇妙なキャラクターのバッヂが描かれていていた。
 バッヂ。その絵が一目でバッヂだとわかる人間は、そう多くはないだろう。でも私にはわかった。
 ――ヒーローバッヂ。
 それは、私が彼に贈るために用意したものだ。
 意味がわからない。納得がいかない。でも。
「英雄って、もしかして――」
 ノイマンが首を振る。
「彼の正体には、決して触れてはいけないことになっているわ。誰も知ろうとしないし、知ってはいけない。もしなにか思い当ったとしても、口にしてはいけない」
 いったい、どういうことだろう?
 でも、一度連想してしまうともうダメだ。
 私には英雄の正体が、久瀬くんだとしか思えなかった。


■佐倉みさき/8月3日/18時

「あの辺りでいいわ」
 とノイマンが言った。
 自分がどこにいるのかわからないけれど、なんてことのない街の一角だった。
 ニールが近くのパーキングに車を入れる。ふたりが車を降りたので、私もそれに従った。
「旅行って、ここですか?」
 あまりに近い。旅行感はない。
「いいえ、旅行に行くには準備がいるでしょ。鞄と着替えを買ってあげるわ」
 なるほど。なんとなく誘拐犯に服を買い与えられるのは気が進まなかったが、今着ているものもノイマンから与えられたものだ。さすがに着替えがないのはつらいから、いいなりになるしかない。
「あなたもついてくる?」
 と、ノイマンはニールに言った。
「んなわけないだろ。ちゃんと見張ってろよ」
 彼は手を振って、どこかに歩いていく。さすがにそうぽんぽんとは瞬間移動しないようだ。
 ノイマンは妙に嬉しげに笑う。
「じゃあ行きましょう。とびっきり可愛いスカートをみつけるわよ」
「ジーンズがあればいいです」
「だからよ」
「え」
「警察はもちろん貴女を捜しているし、駅にはたくさんカメラがあるから。服装のイメージは極力変えたいの。美容院も予約してるわ」
 ベリーショートに抵抗ある? とノイマンは言った。
 髪形には、多少のこだわりがあるけれど。それよりも。
「そこまで誘拐犯の言いなりになるのは抵抗ありますね」
「素直ね。でも、安全に久瀬くんの元に帰るためよ。髪くらいどうってことないでしょ」
 彼の名前を持ち出すのはずるい。
 ノイマンは挑発的に笑う。
「それとも彼に、髪を褒められたりした?」
「……いえ」
 残念ながら、彼に最後に会ったのは、まだ小学生のころだ。あの爆弾事件のときに、ドア越しに話をしたけれど、顔は合わせていない。
 ――まあいい。
 ベリーショートだろうが、坊主だろうが、誘拐犯の言いなりだろうが。彼との平和的かつ情熱的な再会に比べれば、たいした問題ではない。思い切り高い服を買わせてやる、と心の中で誓った。
 私は根本的なことを尋ねる。
「どうして旅行に行く必要があるんですか?」
 誘拐犯にしてみても、私をマンションにでも閉じ込めておく方が安心できるだろうに。
「4コマ漫画作りの一環よ。取材旅行ってところかしら」
 脚本家に憧れる私としては、なかなか心の踊る言葉ではあった。もちろん誘拐なんて最低なワードをとっぱらって考えれば、だけど。
「英雄の思い出の土地を巡って、貴女の記憶を刺激するわけ。わかった?」
 思い出の土地。
 ――それはたぶん、久瀬くんの。
「どこに行くんですか?」
「明日は名古屋。そのあともいろいろ。英雄は色んな場所を転々としていたのよ。きっと怪獣が現れるたび、飛んでいったんでしょうね」
 久瀬くんは幼いころ、引っ越しばかりしていると言っていた。
 名古屋。知っている。
 それは確か久瀬くんが、小学校に入る前に暮らしていた場所だ。


■久瀬太一/8月3日/18時15分

 オレは八千代の車の助手席に座り、スマートフォンをいじっていた。
 運転席の八千代は、普段よりはやや硬い口調で言う。
「いいかい、久瀬くん。穏健派はまず、オレたちに照準を合わせてくるはずだ。オレも穏健派側の協会員には詳しくない。顔をみてもわからない。これからは面識のない人間は、一通り敵だと思ってくれ」
「ああ」
「奴らは意外に目も耳もいい。真面目に調べれば、すぐに君のことがわかるはずだ。家族にも友人にも接触があるかもしれない。穏健派は基本的には、法を犯すようなことはしないはずだが、警戒はした方がいい。悪魔ってのは、協会内じゃそれくらいでかいことなんだ」
「わかった」
「オレもしばらくは、演技に乗ってやる。手を組むのはヒーローバッヂがみつかるまで。それまではオレの言うことに従ってくれ。もう今回みたいな無茶はさせない。いいね?」
「問題ない」
「話を聞いてるのか?」
「聞いてるよ」
「ならいつまでも、携帯に気をとられてるんじゃない」
「あのブログを調べてるんだよ」
 オレはため息をついて、スマートフォンから顔をあげる。
「でも、みつからない。どうなってるんだ?」
 愛媛の愛情100%。あんな名前、間違えるわけがない。なのに検索結果にひっかからなかった。
 スマートフォンをポケットに戻すと、反対側のポケットが震えた。
 ソルのスマートフォン――電波が入ったのか?
 あわてて、それをひっぱりだす。左上には、相変わらず「圏外」と表示されている。
 なのに、メールが一通、届いていた。
 送信者はソルではない。
 タイトル欄には「制作者」と書かれている。
 オレはメールを開く。
 そこにはたった1行、以前も読んだ文章があった。

       ※

 君にはみつけられないものがある。

――To be continued


【3D小説『bell』運営より】
みなさんに、当企画の公式サイトに表示されているFLAG(カウントダウンタイマー)についてのご説明をさせていただきます。各FLAGの意味は、次の通りです。
・BAD FLAGは「タイマーが0になるまでに問題を解決しなければ、よくないことが起こる」。
・EVENT FLAGは「タイマーが0になったときに、なんらかのイベントが起こる」。
EVENT FLAGが0になっても「よくないことが起こる」と決まってはいません。あくまで、なんらかのイベント発生を知らせるタイマーとご理解いただければ幸いです。

8月2日(土) ← 3D小説「bell」 → 8月4日(月)
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最終更新日 : 2015-07-30

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