★書籍には「公開されなかったシーン」として
「ある侵入者の回想1/書籍P:205」、「2/書籍P:208」、「3/書籍P:210」が掲載されています。
★書籍には「7/27 公開されなかったシーン」として「メリーの視点」が掲載されています。 / 書籍P:224
――水曜日のクリスマスには100の謎がある。
32番目の謎は、なぜ「彼ら」の本名は秘匿されるのか、だ。
★久瀬へ:免許証に書いてあった犯人の名前住所生年月日は覚えてる? ※7/26
【再】21番目の謎は、彼らはどこにいるのか、だ。
★ここに来たことがありますか? ※7/26
★佐倉さんが捕まっていた廃ホテルに行ったら、営業していて看板もありました ※7/26
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・印刷物が好き。フォントや紙、製本方法などを含めた、ハードウェアとしての印刷物全般が好き。
・もうすぐ聖夜協会という組織を抜ける事になっているが、センセイが「ぜひに」というから暗号の作成を引き受けた。
・暗号作成のために街で矢印を探し、聖夜協会の会報誌を置く場所を見つけた。
■久瀬太一/7月27日/11時
佐倉ちえりとの待ち合わせ場所は、都内のある喫茶店だった。オレがとっているホテルから少し距離がある。
オレはちょうど11時になる頃、約束の喫茶店に入った。
店内をざっと見渡すと、若い女性がひとり、席から立ち上がって頭を下げた。彼女が佐倉ちえりだ。
オレが歩み寄ると、彼女は微笑んで、「変わっていませんね。一目でわかりました」と言った。それはこちらの台詞だ。もう長いあいだ会っていないのに、佐倉ちえりの雰囲気はあのころと同じだった。
席に着き、ふたりともアイスコーヒーを注文する。
「みさきは?」
とオレは尋ねる。
彼女は沈んだ表情で答えた。
「まだ、みつかっていません。あの子が誘拐されたとき、久瀬くんもそばにいたんですよね?」
オレが頷くと、詳しく教えて貰えませんかとちえりは言った。
「たまたま、みさきが廃墟に連れ込まれるのをみたんだ」
嘘だ。警察にも同じように説明している。未来がみえるバスと、ソルからのメールには触れられない。
あとはできるだけ嘘をつかないように話した。みさきは部屋の一室に囚われていたこと。助け出そうとしたが失敗し、オレも誘拐犯に捕まってしまったこと。もしかしたら、警察から連絡がいっているかもしれないけれど、オレは時限爆弾のことにも触れなかった。
「たぶん、複数犯人がいたんだと思う。ひとりは捕まったけれど、もうみさきはいなくなっていた」
オレが話しているあいだ、ちえりは強張った表情でうつむいていた。彼女の姿をみているとこちらまで心が痛んだ。なのに彼女は、「大丈夫ですよ」と言った。
「警察も、あの子の行方を懸命に捜してくれています。きっとすぐにみつかるはずです」
「犯人からの連絡は?」
「ありません。身代金が目的ではないようです」
あの誘拐犯は、みさきが悪魔なのだと言った。まともな目的ではないのだろう――そもそも誘拐に、まともな目的なんてものがあり得るとも思えなかったけれど。
「私、久しぶりにあの子とケンカしたんです。あの子がいなくなる前の日、つまらないことで口論になって」
ちえりの声は、震えていた。
彼女の言葉の後半は小さくて、よく聞き取れなかった。でも、「謝らないと」と、たしかに言ったように思う。
※
そのまま30分ほど、オレはちえりと話をしていた。
特別に意味のある話じゃない。ただ少しだけ悲しいことを忘れていたかったのだと思う。みさきの行方は知れないし、オレは今夜、死んでしまうかもしれない。懐かしい思い出話ができたのが、オレは嬉しかった。
ちえりと別れる間際、オレは彼女に、一通の封筒を差し出した。
「みさきに会えたら、これを渡してくれないかな」
ちえりはその封筒を眺めて、それから眉間に皴を寄せた。
「なんですか、これ?」
「簡単な伝言だよ」
もしも、今夜オレが死んでしまうとして。
8月24日の危機を、誰かがみさきに伝えなくてはならない。手紙にはそのことについて書いていた。あなたはその日、路上で胸から血を流して倒れるんです、なんて馬鹿げた話だけれど、誠実に書けばみさきには伝わるような気がした。
――本当は、オレが駆けつけないといけないんだ。
昔、そんな約束をしたから。オレが彼女の危機を放っておいていいはずがない。オレは絶対に死ねない。それでも、もしもに備えられるなら、備えておいた方がいい。
「よくわからないけれど、わかりました」
ちえりが封筒を受け取る。
それから、彼女は小さく、首を傾げた。
「またご連絡してもいいですか?」
「もちろん。こっちからお願いしたいくらいだ」
早くみさきを見つけだしたい。どんなことでも、情報が欲しかった。
★★★架橋米線 秋葉原店にて『ドイルの視点1』発見。
アカテより受け取った物に住所の記載があり、現地へ向かう。
・アカテ:メガネをかけたスーツ姿の男。いつも軍手をつけている。もともとはドイル父の仲間。
・ドイル父:ある会に所属していて、ドイルと呼ばれていた。
・新ドイル:ドイル父に「ドイル」を引き継ぎたいと頼んだ。
・リュミエール:リュミエールの役割はドイルが引き継いだ。
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・「相席いいか?」「今日の天気は?」とアカテは言う。「大雨だ。でも夕方にはあがる」
・「大阪に行くことになったよ」「お前にしては近いな」
・アカテとドイル父。歳が30は違うふたり。
・ドイルを引き継ぐ条件として、アパートの掃除をしてこい。掃除というのは正確ではない。セッティング?よくわからないが、部屋の内装を指定通りに整えろとのことだった。
・アカテがドイル父に頼まれた伝言。「いつかきっと、リュミエールって女を捜してこの店を尋ねてくる奴がいる。だがリュミエールはもういない。その役割はドイルが引き継いだ。と伝えてくれ」
■佐倉みさき/7月27日/11時30分
サングラスの目的がわからない。
部屋の中で転がり回っていた私に対して怒っても焦ってもいないようだったし、相変わらず監視は荒いままだった。単に興味がないのだろうか。なら誘拐なんてしないでほしい。
時間の感覚がなくなりつつあった。部屋はいつも通りだ。いつものように暗く、いつものように私は床に横たわり、いつものようにサングラスはソファに座っている。彼の右手に握られたスマートフォンが、弱い光を放っていた。
もしかしたらあれで、仲間と連絡を取っているのかもしれない。あるいはアプリゲームを楽しんでいるだけなのかもしれない。私には目先の未来に怯えていることしかできない。
そうして緊張を持続させているのがよくなかったのだろうか、ひどく疲労が溜まっていた。思えば、昨日からまともに寝ていない。少し眠った方がよいように思う。硬いフローリングに頬をつけ、瞼を落とす。とたん、強い睡魔が訪れた。
少しだけ眠ったかもしれない。眠れなかったかもしれない。ふいに、インターフォンの呼び鈴が鳴った。どこか間の抜けた高い音が一度だけ。
音が、私の意識を水面へ引き上げる。重い瞼を持ち上げ、身体の痛みに身をよじる。
また、呼び鈴がなる。今度は2回。
そこでやっと、事の重要性に気づいた。
この部屋に、人が尋ねてきたのだ。
――誰が?
私は、ばっと身を起こそうとするが叶わない。縛られているのだから当然だ。不格好な姿勢で側頭部を床に打ちつけた。けれど、痛みに構っている場合ではない。
人が来たのだ。それは、これまでにないチャンスに思えた。
私がどのくらいうとうとしていたのかはわからないけれど、サングラスは依然として変わらず、近くのソファに座っていた。彼は、やはり私には興味がない様子で、一瞥をくれることすらなく立ち上がった。
サングラスが部屋を出る。磨りガラスの扉を閉める。彼の影が廊下を軋ませ、歩く。
玄関の開く音。サングラスの荒い声。
「うるせえな。一回鳴らしゃ聞こえんだよ」
磨りガラスの扉の向こう、わずか数メートルの距離に、誰かがいるのは確かだった。
敵か、味方か。わからない。
でも、どちらにせよ行動しない理由がない。
――助けてください!
と、叫んだ。口にガムテープを張り付けられているから、傍からどう聞こえているかはわからないけれど、精一杯大きな声を出したつもりだ。
反応は? よくわからない。なにか一言二言、サングラスと、もう一人が会話をしたような声は聞こえた。私はまた叫ぶ。助けてください、と。
「うるせえな」
と、またサングラスの荒い声が聞こえた。
続けざまに、玄関のしまる音。そして廊下の軋む音が、二人ぶん。
この時点で、もう絶望的な気分だった。サングラスに連れられて、部屋の中に入ってくる誰かが、私を救ってくれるはずがない。
磨りガラスの扉が開く。
サングラスの横には、生真面目そうな眼鏡の青年が立っていた。
「さっさと連れてってくれよ」
と、サングラスが言った。
眼鏡の青年に、足の紐を外された。ずっと縛られていたせいで麻痺しているのか、立ち上がるのが困難だった。手の束縛と口のガムテープはそのままだ。
「立て」
とサングラスが言う。彼はリモコンをテレビに向けるような、ぞんざいな手つきで拳銃を持っている。銃口はもちろん私を向いている。
さすがに逆らえず、私はなんとか立ちあがる。久々にフローリングの床を踏みしめ、サングラスを睨んだ。彼は意に介した様子もなく、銃を眼鏡の青年に手渡す。
「失くすなよ。あとで返しに来い」
眼鏡の青年が丁寧な動作で頷く。それから彼は、こちらの横腹に銃口を押しつけた。
「歩け」
シャツ越しに感じる銃口は、想像以上に現実的だった。私は銃口から少しでも距離を取りたくて、歩く。銃口はぴったりと後をついてくる。――いったい、どこに連れて行かれるのだろう? どこであれ、最悪の場所だということはわかっているけれど。
部屋を出るときに、背後からサングラスが言う。
「19時まで寝る。起こすなよ」
19時。――今は、いったい何時だろう? 時間に追われる日常が恋しかった。
■佐倉みさき/7月27日/11時45分
ガレージにはありきたりな白いセダンが1台停まっていた。
私はそのナンバープレートを覗き込もうとしたけれど、それは叶わなかった。
眼鏡の青年が私をひょいと持ち上げて、トランクに突っ込んだのだ。全力でもがいてみてもどうにもならなかった。ばたん、と大きな音が聞えて、視界から光が消える。狭く、暑苦しい闇に、押しつぶされたような気がした。
すぐにエンジンがかかり、車が走り出す。たぶん、右に曲がった。運転が丁寧なのか、振動はあまり感じない。
――トランク。
私は、トランクを知っていた。以前脚本で、トランクからの脱出シーンを書いたことがある。
トランクの構造は、基本的にシンプルだ。
一般的な車種であれば、座席の傍にトランクを開けるためのレバーがある。なぜレバーを引けばトランクが開くのか? それはケーブルがロックシリンダーまで伸びているからだ。このケーブルは多くの場合、それほど厳重には保護されていない。構造も大抵の車で同じだ。ケーブルを引ければ、トランクは中からでもひらく。
私は後ろで縛られた両手をなんとか動かし、ケーブルを探す。トランクの蓋から車体に沿って指先を這わせる。たいていケーブルはここを通っているらしい。姿勢がきつくて、両脚と背中の筋肉が釣りそうだった。
それでも私は、闇の中で目を閉じて、指先だけに神経を集中する。
★★★ニコ生「他人のアパート家探し(前半/後半)」開始 ※大阪 http://live.nicovideo.jp/gate/lv187374000
■佐倉みさき/7月27日/12時
――よし。
指先に、求めていた感触があった。
やれる。このトランクを抜け出せる。
街中ならあの眼鏡も、簡単に銃をちらつかせたりはできないだろう。人目がある中で誘拐を続行することは難しいはずだ。今度はきちんとナンバープレートを確認してやる。
あとは、タイミングだ。
車が停まったとき。できるなら、眼鏡の注意が私から逸れているとき。
私は唾を呑み込み、機会を窺う。
★★★福岡にて聖夜通信7月号を発見。
・メリー
・リュミエール兄弟
・ワーグナー:連続小説「せいやさん」執筆者
・ホール:善行発表会「違法駐車のドライバーに注意を促しました」
・カーライル:善行発表会「子供の教育に貢献しました」
・オットー:善行発表会「夏の夜にそぐわない騒音を排除しました」
・新人のドイル:次回の善行発表者
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■メリーの言葉■今月の偉人:リュミエール兄弟、■頭の体操:クロスワード、■PickUp! この夏 やりたい 6つの善行、■連続小説 せいやさん:文/ワーグナー、■善行発表会:ホール、カーライル、オットー、■次回発表者:新人のドイル
・リュミエール兄弟:彼らの偉大さは大勢の人が同時にスクリーンを見られる形態を発明したことだけでなく、それを最適な形で用いて、感動的な未知の体験を提供した点にある。
・連続小説 せいやさん(一四)文:ワーグナー
・善行発表会。私は、正しました。次回発表者は新人のドイル。
★★★大阪のアパートに置かれたスマートフォンに眼鏡の男から着信(050-315-96797)

■佐倉みさき/7月27日/12時15分
車は何度か信号で停まったようだった。そのたびに、私はケーブルを引こうと考えたけれど、躊躇っているあいだにまた走り出してしまった。どうして。やるしかないのに。緊張して、身体がすんなりと動いてくれない。
そうしているうちに、ずいぶん時間が経ったように思う。
私は車が、今までとは違う動きをしたのを感じた。僅かに左に寄って、エンジンを切ったのだ。
――目的地についた?
ぞくりとした。ためらいすぎた。
だが、ドアを開く音がしない。眼鏡は車から降りない。
今しかないと思った。これ以上、一秒だってここにはいたくなかった。
私はあらかじめ位置を探っておいたケーブルを掴んで、引っ張る。
しかし、すぐにおかしいと気づいた。
開かない。
引っ張りきれていないのだろうか? 力が足りないのだろうか?
急速に、手に汗が滲みはじめる。焦っているのが自分でもわかる。身体が上手く動かない。
運転席から、眼鏡の声が聞こえる。
――なにをしている? どうしてこなかった?
電話を掛けているのだとわかった。不機嫌そうな声。
――携帯はいつも持ち歩けと言っているだろう。すぐに連絡をよこせ。
留守番電話、だろうか? 今しかない。今しかないのに、どうして。トランクは開かない。緊張のあまり、耳の奥が熱く感じた。
眼鏡の声が、ドイル、と言った。それが眼鏡を苛立たせている人物の名だろう。ドイルさん。誰かは知らないけれど、頼むから今すぐ電話に出て、と願う。少しでも私のチャンスを伸ばして、と祈る。
だが、眼鏡が「くそ」と毒つく声がきこえて、再び車のエンジンがかかった。
絶望的な気分だった。
――もしも。
もしもドイルという人が、眼鏡に電話をかけてくれれば、再び私にチャンスが生まれるかもしれない。
今はそんな、ささやかな可能性にすがることしかできなかった。
■佐倉みさき/7月27日/12時16分
奇跡が、起こった。
車内に電子音が鳴り響いていた。古典的な着信音だ。ドイルという人だろうか? まったく別人だろうか? 誰でもいい。なんでもいい。再び車が路肩に寄り、停まる。
「なにをしていたんだドイル」
叫ぶような眼鏡の声が聞えた。
――いましかない!
この、神さまがくれたような好機に、私は意識を集中する。
暗い中、古い記憶に潜り、トランクの構造を思い描く。ケーブルを引っ張ってもダメなら、ケーブルの行く先であるロックシリンダーをみつければいい。
かつてみたトランクの図解を思い浮かべながら手を伸ばす。暗闇の中、目を閉じて指先に集中する。意外なほどにあっさりと、それはみつかった。無理に身体を捻って掴み、掛け金を外す。
ガチャンと、想像していた以上に大きな音を鳴らし、トランクが開く。
開いた。開いた!
思わず声が出るところだった。私は慌てて、くしゃみの直前のように息をひゅっと吸い込む。口をテープで塞がれているせいで鼻の穴が膨らむ。
喜ぶにはまだ早い。トランクの開く音を眼鏡に聞かれただろうか?
いや、どちらでも関係ない。とにかく逃げ出すのだ。迷う余裕はない。
トランクの蓋を押し開ける。眩しい。身を外に躍らせる。
――助けて!
と、闇雲に叫ぶつもりだった。なのに。
私の視界に飛び込んできたのは、一面の緑だった。
★★★聖夜通信のクロスワード完了。解答は「田」。
★★★生放送のコメント:映った番号に電話したら「なにをしている いますぐこい」と言われた。
■佐倉みさき/7月27日/12時20分
駆け込む店も、助けを求める通行人もいなかった。
あるのは乗用車同士がギリギリすれ違えるくらいの、細くうねった道路と、途切れ途切れのガードレール。あとはひたすらに生い茂る木々だけだ。
――山の、中?
そんな。一体。
ここから、どうしたらいいんだ?
もう一度トランクに舞い戻るわけにはいかないのだから、駆け出すしかなかった。
後ろでドアが開いた音が聞こえた。眼鏡が追ってくる。私は前だけを見て走ることに集中する。両手が縛られたままでは上手くバランスもとれない。転ぶな、と両足に念じて走った。
眼鏡よりも速く走れるなんて思えなかった。
私はガードレールが途切れたポイントをみつけ、山の斜面へと駆け降りる。転ぶな。転ぶな。手が縛られていては、立ち上がるのにも無駄に時間を使うのだから。
背の高い草が生い茂っていた。それが顔や二の腕に何度も触れて不快な気持ちになるが、我慢する。視界の悪い方向へ、あの眼鏡と銃口から隠れられる方向へ、必死に進む。
口がテープで塞がれているせいだろう、すぐに酸素が足りなくなる。息が苦しくて、頭痛がしはじめる。それでも今は、進むしかない。倒れるなら少しでも山の奥がいい。
「止まれ」
と背後から眼鏡が叫んだ。
「止まらなければ、撃つ」
止まるつもりはなかった。でも、私は一瞬、背後に意識を向けてしまった。足元がすべる。湿った葉を踏んだのだ。バランスを崩してとっさに両手を振ろうとするが、手は後ろで縛られている。上半身を無理につきだす格好になり、太い木に右肩をぶつけた。遅れてそこが、じんじんと痛み始める。
――どうしてこんな目に。
心底泣きたくなるが、泣いている暇があるなら脚を動かした方が建設的なのは充分に理解していた。これも取材? だったらどれほどいいことか。
――考えるな。走れ。
と自分に言いきかせる。
私はまだ、転んでいない。
そのことを救いだと思おう。
■佐倉みさき/7月27日/12時30分
眼鏡は、私の姿を見失ったようだ。
この追いかけっこが始まってから既にずいぶん時間が経過しているはずだが、まだ私が捕まっていないのだから、もし居場所がバレていたら、両腕を思い切り振れて息を大きく吸える眼鏡が、私に追いつけていないはずがない。
幸運だ。
でも、これだけでは足りない。
私はひたすらに山をくだる。私が向いている方向に街があるのだと信じる。そこに辿り着くまで私の体力が持続することと、眼鏡に追いつかれないことを願う。すべて叶えられるのはどれほどの確率だろう? これがただのギャンブルなら、私は私にベットしない。
朽ちた木と木の間を抜け、苔の生えた岩を踏まないように避け、斜面を下る。汗でテープがはがれ、息は吸いやすくなっていた。でも3回転んで、膝と肩から血が流れた。軽く足首をひねっている。今は痛みはないが、それはきっと恐怖で紛れているからだろう。
そろそろ、限界だ。
そう感じたとき、ふいに、視界が開けた。
――街?
違う。道路に出ただけだ。民家もない。
一瞬、私は迷う。再び山の中に入るか、道路を進むか。もう山道は嫌だった。でも道路は意外に見通しがいい。
私は覚悟を決めて、道路を渡り再び山の中に入ろうとした。
ちょうど道路の真ん中にさしかかった、その時だった。
目の前の木々のあいだから、ふいに男が、姿を現した。
あの、サングラスだ。
「アインシュタインは1日に10時間も寝たらしいぜ」
と、サングラスは頭をくしゃくしゃと掻きながら言った。
「いい子はよく寝るもんなんだよ。俺も寝るのは好きだ。夜更かしは悪いもんだって小さい頃に習ったしな。なのに、てめえはなんで俺を起こしてんだよ」
彼が饒舌で早口なのは、不機嫌だからだろう。
でも、私が返事ができなかったのは、彼の言葉に気圧されたからでも、息が上がってまともに呼吸できないからでもなかった。
――なぜ、サングラスがここに?
理解できない。思考が、止まった。
眼鏡が連絡を入れたのか? 私が逃げたから?
でも、どうやって?
私をトランクにつんだ車は、サングラスがいたアパートから、それなりの距離を走ったように思う。サングラスが駆けつけるのにも、同じくらいの時間がかかるはずだ。なのに今、このあたりには車どころか自転車すらない。人も通っていない。
なにが起こっているのか、理解できなかった。
身動きがとれないでいるあいだに、背後で草をかき分ける足音が鳴った。振り返る。眼鏡だ。追いつかれたのだ。
道路を下る方向へと私は、がむしゃらに駆け出す。それをみて、前方のサングラスも足を踏み出す。
途端、数歩分の距離を飛び越えて、目の前にサングラスが移動している。驚きのあまり、息が詰まる。わからない。なにも。本当に。
背後から、眼鏡が私の手をつかむ。背中には、車内から持ってきていたのだろう拳銃が押し当てられている。
「さっさと車につれてけよ」
と、サングラスが言ったところで、また音が聞こえた。
モーターの音。車だ。濃紺色のセダンがカーブを曲がり、こちらへと走って来る。
その車はサングラスの隣で停まり、窓が開いた。
「どうやら、間に合ったみたいね」
聞えてきたのは女性の声だ。おそらく、初めて聞く声。でもどこか懐かしいような気もした。
サングラスが屈みこむような姿勢で車内を覗き込み、言う。
「どうして、お前が来てんだよ」
「その子、こっちに渡してもらえるかしら」
「は?」
サングラスの声が半音、低くなった。あきらかに怒りが込められている。その迫力に私は震えそうになるが、女性はあくまで事務的に言う。
「メリーからの指示よ」
「メリーの? どうして」
「言えないわ」
「おいおい、こっちはそこの馬鹿に叩き起こされたんだぞ。野郎からの失敗の報告なんてもんは、考え得る限りで最悪の目覚めだよ。それでもオレは寛大な心で、名前がついてるんだかもわからねぇこんなへんぴな山の中までふらふら出てきてやったんだぜ? オレの善意を徒労で終わらせるつもりか?」
「誘拐が善意ってことはないでしょう」
「仲間の尻を拭うのは善意だよ。どんな時でもだ」
「その仲間が引き渡せと言っているのよ。まさか、メリーに逆らうつもり?」
と、そこで間があった。
数秒ののち、サングラスが舌打ちをした。かと思うと、私の方を振り返り、首根っこを掴む。私はそのまま強い力で、前方へと引かれる。バランスを崩しながら、たん、たん、と2歩ほど進んで、ボンネットに寄りかかり、顔を上げる。
フロントガラス越しに、黒髪の女性と目が合った。
私より年上なのは確実だろう。でも、子供みたいに沁み一つない肌のわりに成熟した雰囲気をもっていて、20代後半にも30代にも、あるいは40代にも見える、ミステリアスな人だった。
彼女は口元で微笑む。
「初めまして、悪魔さん」
なんと答えていいのか、わからない。
女性はサングラスを睨む。
「ほら、レディが乗車するのよ。早くドアを開けなさい」
私もつられて、サングラスに視線を向ける。彼は既に背中を向けていた。こちらをちらちらと窺う眼鏡から拳銃を回収し、それを腰のベルトで挟む。
「知るかよ。オレは男女平等主義だ」
そして足を一歩踏み出すと、彼の姿は幻のように、消えてなくなった。
★★★大阪のアパートにて『ドイルの視点2』、名刺、2枚のクリスマスカード、メモを発見。
・ドイル父:将棋が好きで、いたずら心にあふれていて、子供っぽい。
・新ドイル:気が乗らない電話には出ない。
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・以前ドイルの父が事務所として使っていた部屋。
・「オレがこの部屋を訪れたのは、親父の子供っぽい頼み事が理由だ。それはオレにとっても、興味深い内容だった。もしも、親父が残したものを捜して、誰かがこの部屋に現れるなら。そいつに会ってみたい。いくつか、聞きたいことがあった。」
・ドイルの携帯に着信。気が乗らない電話には、出ない方が良い。応答のボタンには触れないことに決めて、視界の隅に入ったスタンドにスマートフォンを立てかけ、オレは着信画面をくるりと窓のむこうに向けた。
・父からの頼まれごとは二十分ほどで終了。2台目の電話が鳴る。待っていた番号。メモを手元に引き寄せた。
★★★メモに残されていた筆跡。リュミエールの光景、グーテンベルクの描写、ノイマンの・・・(不明)。
★★★大阪のアパートより宮野がスマートフォンとミュージックプレイヤーを持って逃走。ニコ生強制終了。
■久瀬太一/7月27日/13時30分
オカルト雑誌『ベートーベン』について調べて欲しい。出版社、編集プロ、大口のクライアント、発売日、定価など何でも良い。宮野さんにバイト代の件で連絡して、聞くのも良いかもしれない。
※
と、ソルのメールにあった。
だからオレは、宮野さんに電話をしてみることにする。
ソルのスマートフォンには、未だ電波がない。でも次に繋がったときのために、少しでも情報を獲得しておきたい。
オレは宮野さんの携帯に電話をかける。
意外に、コールは長く続いた。――7回、8回。
掛け直した方がいいか、と考えたとき、ようやく彼女が出る。
「なによ!」
いきなり怒鳴られた。
「仕事中ですか?」
「ええそうよ昨日の夜からね」
そういえば、アルバイトの呼び出しを受けていた。
彼女の息が妙に弾んでいるのに気づいて、尋ねる。
「なにをしてるんです?」
「逃走中よ。今は」
なんだそれ。
「今度はなにをしたんですか?」
「どっかのアパートに忍び込んで、スマホとミュージックプレイヤーを借りてきたのよ。こっそりと」
また、そんな犯罪じみたことを。――いや。はっきりと、犯罪か。
「切るわよ。すぐに東京に逃げ帰るから」
逃げ帰るって。
「どこにいるんです?」
宮野さんは、ぼそりと答える。
「新大阪」
そして、電話が切れた。
★久瀬へ:鍵の1つは下下下下上上上上下で開きます
★久瀬へ:残りの南京錠の開け方、一つは『左上左右左上右左上右上』です。幸運を祈ります。
→【久瀬さんからの返信】 4つの錠が、みんな開いた。本当にありがとう!
★制作者へ:佐倉さんが捕まっていた廃ホテルに行ったら、営業していて、看板もあったのは何故?

※回答なし。前日、同内容の質問が久瀬へ送られた際に制作者より100の謎として返答済み。
【制作者からのメール】 先ほど送信されたメールは、「100の謎」のトリガーとなる情報が含まれているため、
彼には届かない。 その謎はすでに公開されている。21番目の謎は、彼らはどこにいるのか、だ。
■久瀬太一/7月27日/16時10分
ソルのスマートフォンが、震えた。
――電波が、ある!
オレはひったくるようにスマートフォンをつかむ。慌てて、メールを確認する。
まずは1通。
※
鍵の1つは下下下下上上上上下で開きます
※
そして、すぐに2通め。
※
残りの南京錠の開け方、一つは『左上左右左上右左上右上』です。幸運を祈ります。
※
オレはすぐに、手元に小箱を引き寄せ、順にそれを入力する。
かしゃん。みっつ目。
続けて、かしゃん、と気持ちの良い音が聞こえて、最後の錠が開く。
全身から、力が抜けた。
――これで、助かる。
もちろん死ぬのが、怖かった。今もまだ指が震えている。それでもすべての錠が開いたのだ。オレの未来は、きっと変わる。冷えた身体をストーブで暖めるような、じんわりとした安堵が、全身にみちた。
ソルのおかげだ。
また、彼らに救われた。彼らに返信する。
――4つの錠が、みんな開いた。本当にありがとう!
そのメールを送信した、その直後だった。
ひゅう、と後ろから、少し掠れた口笛がきこえた。
「たいしたもんだな。本当に開けたのか」
オレは振り返る。そこには。
あのサングラスが、立っていた。
【BREAK!!/BAD FLAG-03 4つの鍵 回避成功!】
■久瀬太一/7月27日/16時20分
室内は空調で寒いほどだったが、額には汗が噴き出していた。それを拭って、オレはつい呟く。
「……なぜ?」
サングラスは不機嫌そうに口を歪めた。
「なぜここがわかったのか? それとも、なぜ部屋に入れたのか、か? そういう質問はもう聞き飽きてんだよ」
オレは、ゆっくりと尋ねる。
「なぜ、もう来るんだ?」
予定よりも早い。こいつが来るのは、午後8時だったはずだ。
「ん? ああ、馬鹿がへまやって、尻拭いに駆り出されたんだよ。それからメシ食って、風呂入って、ちょっと寝ようとしたけど眠れなくて――って」
サングラスは楽しげに笑う。
「お前もプレゼントを貰ったのか?」
プレゼント? バスで、あのきぐるみが言っていたことか?
確か――
「ニールの足跡」
「へえ、よく知ってるじゃねぇか」
サングラスの笑みが大きくなる。
「オレの予定も知っていた。プレゼントが絡んでいると考えるのが自然だ。――お前も、スイマだったのか」
そんなわけがない。みさきを悪魔と呼ぶような奴らの仲間には絶対にならない。
尋ねたいことは無数にあった。でも、余計なことを口にしたくもなかった。バスからみえた未来とは様子が違う。
「ま、なんでもいいさ」
オレが口を開く前に、サングラスは言った。
「なんにせよその箱を開けたんだ。お前は使えるスイマだ」
――オレをそんな馬鹿げた名前で呼ぶな。
叫んでやりたかったが、今はそんな場合じゃない。
「なら教えてくれ。ミサキはどこにいる?」
「知らねぇよ。もうオレの手を離れた」
手を、離れた?
「逃げたのか?」
「いや」
サングラスは拳銃をジーンズの背中の方に突っ込む。
「あの悪魔を管理しているのは、今はノイマンだ」
「ノイマン?」
「知らないのか?」
「コンピュータの開発者なら知っている」
「ああ。たしか、そんな仕事をしていた」
わけがわからない。ジョン・フォン・ノイマン? そんなわけがなかった。
サングラスが、テーブルの前に立った。
「あの悪魔を捜してどうする?」
「どうだっていいだろう」
「ああ。オレも実は、あんなものには興味はない。だがな」
サングラスの向こうから、男がこちらを睨んだのがわかった。
「お前、ヨフカシじゃねぇだろうな?」
ヨフカシ。スイマの中の、裏切り者。
つばを飲み込んで、オレは尋ねる。
「もしも、オレがヨフカシなら、どうする?」
「殺す。本当に」
サングラスはオレの隣に立ち、錠の外れた小箱をあけた。
それから中身を手に取って、しげしげと眺める。
「……へぇ。こいつが」
それは、白い星形の飾り物だ。リング状にヒモがついている。おそらく、クリスマスツリーのオーナメントだろう。
よくわからねぇな、呟いて、男は白い星をテーブルに置く。それから、こちらに背を向ける。
「じゃあな。機会があったらまた会おうぜ」
そう言って、彼は一歩、足を踏み出して。
その足が床につくよりも前に、オレの目の前から男が消えた。
スマートフォンの振動が、テーブルを叩く音がした。
きっと、ソルからだろう。
オレは大きく、息を吐き出す。
――生き残ったんだ。
オレはまだ生きている。またソルに救われた。
――ありがとう。
と胸の中で繰り返す。
ソルからのメールを確認しなければいけない。でもその前にオレは、テーブルの上の白い星を手に取った。
やはり、クリスマスツリーのオーナメントだ。白い星。真ん中には、雪の中のトナカイのイラストがついている。
――おれは、この星を知っている。
特別なものにはみえない。普段なら気にも止めなかっただろう。だが、今はその星の意味を、疑えなかった。
※
幼い頃、オレは父親に連れられて、毎年ホテルで開催されるクリスマスパーティに参加していた。佐倉みさきやちえりに出会ったクリスマスパーティだ。
そのパーティへの招待状には、決まって、なにか小さな模型がついていた。クリスマスツリーを飾る、色とりどりのボールや、ステッキや、小さなくつしたなんかだ。
それは入場証の代わりに使われていた。参加者たちは会場につくと、ツリーにそれをひっかけていく。みんながひとつずつ、クリスマスツリーを完成させていく。そう決まっていた。
子供が好きそうなものを選んでくれたのかもしれない。
オレの元には、毎年、白い星が届いていた。
――To be continued
★久瀬へ:父に連絡とってドイルに心当たりがないか聞けないか
→【久瀬さんからの返信】 ドイル? コナン・ドイルか? よくわからないが、きいてみる。
★久瀬へ:ソルに紛れて宮野がスイマの内部の人物のスマホとウォークマンを奪っていった。
宮野さんに連絡するように伝えて。
宮野さんが我々と接触し、スイマの一人、「ドイル」の部屋にあったスマートフォンと音楽プレーヤーのようなものを
大阪から持ち帰った。聞き出せるなら、何に使うのか、なぜ持ち帰ったのか聞いてほしい。
宮野さんからスマホと音楽プレーヤーを取り返して
→【久瀬さんからの返信】 まじかよ!そんな話をさっき聞いたが、ソルに関係していたのか。
なにをしてるんだ、あの人……。近々、確認する。
★久瀬へ:宮野さんが我々ソルのことを聞いて来ても、あまり情報を渡さないように、
それと小箱やその中身を宮野さんに渡さないように
→【久瀬さんからの返信】 わかった。ソルについては話さない。箱の中身の扱いも気をつける。ありがとう。
★久瀬へ:ニールに対してソルについて知ってるか聞いてほしい
→【久瀬さんからの返信】 すまない、あいつはもういなくなった。 覚えておく。もし機会があったら聞いてみる。
★久瀬へ:(発明教室の)先生もクリスマスパーティに来てたかどうか覚えてるか
→【久瀬さんからの返信】 いや。きていなかったはずだ。
★久瀬へ:発明教室の先生について覚えていることを教えてください。
【7/27 22:20-22:27】メリーとニールの会話
トナカイ > ニールさん、いらっしゃい。 (07/27-22:20:40)
トナカイ > メリーさん、いらっしゃい。 (07/27-22:21:44)
★ ニール > おいメリー、あいつ本当に箱をあけやがったぜ!
★ メリー > そうですか。……その方の名前は?
★ ニール > ん? ああ……。
★ ニール > 悪い。聞いてねぇ。聞いてても忘れた。
★ メリー > まったく。
★ メリー > まあ、いいでしょう。
★ メリー > 中身はなんでしたか?
★ ニール > ああ、拍子抜けだよ。
★ ニール > 星形の招待状だ。
★ ニール > どうして、あんなもんが……。
★ メリー > 招待状なんでしょう。
★ メリー > センセイから、「誰か」への。
★ ニール > センセイ?
★ ニール > なるほど、その時代のものなのか。
トナカイ > ニールさん、さようなら~。 (07/27-22:27:40)
トナカイ > メリーさん、さようなら~。 (07/27-22:27:57)
7月26日(土) ← 3D小説「bell」 → 【ある侵入者の回想1】 7/27 / 書籍P:205
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最終更新日 : 2015-07-30