【報告書】作成者:ましろ

Top Page › 3D小説「bell」 【第1部】 › 7月24日(木)
2014-07-24 (Thu) 23:59

7月24日(木)

プロローグ ← 3D小説「bell」 → 7月25日(金)
-----------------------------------------------------------------------------

・【制作者からのメール】 少年へ。 みんなから名前をつけてもらえたようで、よかった。
 Twitter上の、君の名前を変更しておく。確認しておくといい。 これからもよろしく頼む。
 なお、これからしばらく君のスマートフォンからも私に連絡が取れなくなる。
 かわりといってはなんだが、100の謎について少しだけ説明しておく。公式サイトの「100の謎」をみておきなさい。

■久瀬太一/7月24日/14時

 駅前を歩いていたら、続けて3人に声をかけられた。

 ひとり目は少年だった。
 小学校の低学年くらいの、野球帽をかぶった少年だ。
「どこにいくの?」
 と少年は言った。きっと初対面だと思う。
 その子は子犬がなにかみたいな、くりんとした大きな瞳で、じっとオレをみつめていた。オレはつい周囲を見渡して、誰か――少年の友達か母親か誰かがいないことを確認した。
 人通りの多い駅前だが、みんなだいたい同じような速度で歩いていく。オレと少年だけが流れに取り残されている。
「どこにいくの?」
 とまた少年は言った。
 仕方なくオレは答える。
「その辺りで、飯でも食おうと思って」
「どうしてご飯を食べるの?」
「昼がまだなんだよ」
「昼がまだだと、ご飯を食べるの?」
「そりゃ、絶対に食べなきゃならないってこともないけど」
 子供ってのは奇妙なことに興味を持つものだな、と思った。
 身を屈めて、答える。
「お腹が空くとつらいだろ?」
「うん」
「身体が、そろそろご飯を食べようって言ってるんだ。生き物ってのはそういう風にできてるんだ。無理に逆らうことはないさ」
 野球帽の少年は、何度か納得したように頷いて、それからどこかに走っていってしまった。
 残されたオレは頭を掻いて、また歩き出した。

 ふたり目はホームレスの男だった。
 ニット帽をかぶり、ビーチサンダルを履いていた。もちろん髭なんてそっちゃいない。そのせいで年齢はよくわからなかったが、意外と若いような気もした。
「今日はオレの誕生日なんだ」
 とその男は言った。大げさな笑顔を浮かべていた。
「祝ってくれないか?」
 変わった物乞いだ。つい笑う。
「何か欲しいものがあるのかい?」
「金が欲しい」
「現金は贈らないことに決めてるんだ」
「なら電池と髭剃りが欲しい」
 欲しがるものまで変わっている。
「何電池?」
「単一だよ。確か」
「今時、単一なんてあるのか?」
「古いラジカセなんだ。誕生日には音楽が必要だろう?」
 オレはコンビニを覗いてみたけれど、やはり単一電池はなかった。
 仕方なく一駅ほども歩いて大きな電気屋に行き、単一の電池と髭剃りを手に入れ、コンビニで買っておいたパック入りのショートケーキと一緒に男に渡した。合計1280円。
「ハッピーバースディ」
 とオレは言った。
「ありがとう。君に幸福が訪れますように」
 と男は言った。
 ありがとう、とオレも応えた。

 3人目はビラ配りの女性だった。
 濃紺色の地味な、でも高級そうなスーツを着た女性だ。反面で目つきはどこかぼんやりとしていて現実味がなくて、なんだか得体が知れない。少なくとも、ビラ配りにはみえなかった。
「ねえ、ちょっといいかしら?」
 と彼女は言った。
「なんです?」
「アルバイトを探しているのよ。少し変わった仕事なんだけど」
 彼女はぞんざいな手つきで、一枚だけ持っていたビラをこちらに差し出した。思わず受け取る。
「貴方にぴったりだと思うわ」
 一体、オレの何を知っているというのか。
「ちゃんと読んでね」
 そう言い残して、彼女はこちらに背を向けた。

 歩きながら、貰ったビラに視線を落とす。夏の太陽が白い紙に反射して目が痛い。
 急募、と大きく書かれてる。聞いたことのない出版社の編集部が、臨時スタッフを募集しているようだ。業務内容は『ベートーヴェン』という雑誌の、取材助手とある。
 ベートーヴェン。きっとクラシック音楽系の雑誌なのだろう。よく知らないジャンルだが、知らないなりにピアノは好きだ。どんな取材をするのか少し興味が湧いたし、それに日当もいい。
 オレはビラを折りたたんで、ポケットに入れた。


■久瀬太一/7月24日/15時

 昼食はチェーンの牛丼屋で済ませた。
 店を出て、自動販売機で微糖の缶コーヒーを買い、公園のベンチに座る。プルタブを引き開けてからあのビラの番号に電話をかけてみた。
 コール5回で、若い女性が出た。
「はい、ベートーヴェン編集部です」
 ずいぶん早口だ。それに声が大きい。
「アルバイト募集のビラを貰ったんですが」
「そう。待ってたのよ、すぐにこっちに来て」
 話がはやすぎる。
「いや、いくつか確認させてください。オレ、大学の三年で就職活動の準備とかもあるんで、ある程度――」
 そちらのスケジュールも優先できますか? と尋ねるつもりだった。
 だが遮られる。
「そんなことはどうだっていいのよ」
 オレの人生をなんだと思っているのか。
「今日は空いてるのよね?」
「はい。明日は企業合同の就職説明会ですが」
「明日なんてそんな呑気なスケジュールはどうでもいいの。人生には今日しかないの。早くこっちに来なさい。ああ、ちょっと待って、今どこ?」
 気おされて、オレは最寄り駅を告げる。
「なら駅で落ち合った方が早いわね。日給1万、食事もつく。いいわね?」
「まだ履歴書も用意してませんよ」
「過去なんてどうでもいいの。人生には今日しかないの」
「それ、口癖なんですか?」
「社訓よ」
 どんな経営をしているんだ。
「キミ、名前は?」
「久瀬です」
「そう。私は宮野。じゃあ15分後に駅前ね。西の方の出口。約束よ」
 答える前に電話が切れた。クラシックからはずいぶん遠い位置にいそうな人だ。――いや、そうでもないか。『運命』なんかは意外と似合うかもしれない。
 運命はこのように扉を叩く、と聞きかじった逸話を思い出しながら、オレは喉を鳴らして缶コーヒーを飲んだ。

       ※

 オレにはいくつかのルールがある。
 主義と言ってもいいが、大仰な言葉は好みじゃない。
 どれもささやかなものだ。
 たとえば、子供からの質問にはできるだけ丁寧に答える。たとえば、誕生日は必ず祝う。現金は贈り物にしない、自分のための嘘はつかない、約束はもちろん守る、女性は決して待たせない。
 一方的な約束は、約束だとは認めないことに決めていた。
 でも待ち合わせをすっぽかすと、女性を待たせることになりそうだ。
 オレが駅前に辿り着いたのは、15時10分を少し過ぎたころだった。


■久瀬太一/7月24日/15時15分

「キミが久瀬くんね?」
 と声が聞こえた。大きな声だ。
 見ると深緑色の軽自動車から、眼鏡をかけたショートカットの女性が首を突き出している。二〇歳ほどだろうか。だいたい、オレとそうかわらない歳にみえた。夏だというのに黒い長そでのシャツを着ている。
 彼女はオレから10メートルほど離れた位置にいる、ひょろりとした男性を注視していた。スマートフォンをいじっていたその男性は、ちらりと彼女を見て、再び小さな画面に視線を落とした。
 オレは深緑色の軽に近づいて声をかける。
「宮野さん?」
 彼女は首をくるりと回し、先ほどとまったく同じ口調で言った。
「キミが久瀬くんね?」
「そうですよ。なにも、手当たり次第に声をかけなくても」
「取り返しのつくミスはミスじゃないの。手っ取り早くていいじゃない。ほら、早く乗りなさい」
「いや、まだアルバイトを受けるとは――」
「ごちゃごちゃ言わないで。私が一時間でいくら稼ぐが知ってる?」
「知りませんよ、もちろん」
「びっくりするほど安いわよ。資本主義社会の暗黒面よ。だからちゃっちゃと仕事を終わらせたいの。これ以上時給換算して悲しくなりたくないの。いいから早く乗りなさい」
 どんな理論だ。
 彼女の給料がいくらだろうと知ったことではなかったが、大声で薄給だとわめく彼女に周囲の視線が集まりつつあって気恥ずかしい。
 仕方なく助手席に回り込む。席について、ドアを閉めると同時に車が走り出す。
 シートベルトをひっぱりだしながら尋ねた。
「どこに行くんですか?」
「取材よ。もちろん」
「なんの?」
「水曜日の噂」
 すぐ目の前の信号が赤に変わり、宮野さんが舌打ちする。動き回っていなければ呼吸が止まる種類の生き物なのかもしれない。いかにも苛立たしげに震えて軽が停まった。
「読みなさい」
 宮野さんは少し不器用にみえる手つきでズボンのポケットからメモ用紙をひっぱりだし、こちらに押しつける。
 荒い字で5行、走り書きがあった。

       ※

 水曜日の歌声には暗号が隠れている。
 水曜日の地下室には魔物が棲んでいる。
 水曜日のディナーには睡魔しかいない。
 水曜日のバスは終点に辿り着かない。
 水曜日の夢には少年が現れる。

       ※

「なんですか、これ?」
「それが水曜日の噂よ。今日中に全部回るわ」
「どうしてこんなの取材するんですか」
「急に広告主からの依頼があったのよ。記事を差し替えろって。普段はそんなことまずしないんだけど、大口だから断われなくって」
「いや、でも、クラシック関係ないですよね?」
「え? ……ああ。そっちじゃないの」
「そっち?」
「よく間違われるんだけど、私たちが作ってるのはオカルト雑誌だから」
 苛立たしげに赤信号を睨んだまま、宮野さんは言った。
「うちのベートーヴェンは、夜中に眼球が動く方よ」
 世界中のクラシックファンに謝れ、と言いたかった。


【3D小説『bell』運営より】
当企画では、文章中に「3D小説」を含むツイートをwebページに転載させていただく場合があります。
お気に召さない場合は、「転載元のアカウント」から、「このアカウント」にコメントをくださいましたら幸いです。
早急に対処いたします。転載されたツイートが、ストーリーや謎を読み解く上で重要とは限りません!
「読み物として面白くなるように」を一番の目的として転載させていただいております。

■久瀬太一/7月24日/20時20分

 夕食は意外にも真っ当だった。本格的なイタリアンが食べられるカフェだ。コースで頼んだ料理は前菜の一口めから美味いし、店内の雰囲気も良い。
「なにむくれてんのよ。ちゃんとお金は経費で落とすわよ?」
 向かいの宮野さんはフォークで大量のパスタを絡めとり、ずるずるとすする。何をするにしても騒々しい人だ。
 オレはグラスの水に口をつける。
「これ、意味あるんですか?」
 取材のことだ。
 5時間ほどで、オレたちは2つの噂――「水曜日の歌声には暗号が隠れている」と「水曜日の地下室には魔物が棲んでいる」の取材を終わらせた。妙に疲れたが、ちっとも働いた気がしない。
 たとえば、歌の噂。水曜日にだけ現れるというストリートミュージシャンについて、2時間ほど聞き込みをした。
 彼は水曜日の真夜中、十字路に現れる。その歌には暗号が隠されており、読み解けば悪魔と契約できる。するとみるみるギターの腕が上達するが、27歳になった最初の水曜日に死んでしまう。実は、自殺したミュージシャン自身が悪魔になり、今もまだ歌い続けているのだ――
 という話を宮野さんから聞いていたけれど、聞き込みは結局空振りだった。それらしい十字路の写真を撮って、調査終了ということになった。
 もう一方、「水曜日の地下室には魔物が棲んでいる」も似たようなものだ。宮野さんはそれらしい話を語るけれど、調査はすべて空振りで、結局写真を数枚撮るだけ。5時間かけた結果がその辺りの十字路と、玩具の怪獣を配置した薄暗い部屋――地下室でさえない――の写真というのには、さすがに徒労を感じる。
 宮野さんが、フォークでこちらを指す。
「何もわからなかったとしても、とにかく調べることが大事なのよ」
「どうしてです?」
「わからないことがわかったでしょ」
「でも記事にはするんでしょう?」
「大口の広告主様の依頼だからね。私の文才で上手くやるわ」
「捏造じゃないですか」
「大丈夫よ、語尾はみんな『かもしれない』にするから」
 文才のある人間の文章だとは思えない。
「なら初めからその文才だけでどうにかすればいいのに」
「調べもせずに書けないわよ。オカルトっていうのはね、あくまで真実を目指しているから意味があるの。錬金術だって占星術だって本気で研究したから科学の発展に貢献したの。その姿勢を忘れたらただの悪ふざけじゃない」
 彼女のこだわりはよくわからない。
「じゃあ、宮野さんは真実だと思ってるんですか? 悪魔になったミュージシャンとか」
「まったく」
「意味がわかりませんね」
「信じてなくても譲れないラインはあるの。こっちはプロのライターなんだから」
 宮野さんは手を上げてウェイターを呼び、「次の料理を持ってきて」と告げた。いつの間にか彼女の皿が空になっている。オレも慌てて、パスタを口に運ぶ。
「のろのろしないで。これも調査の一環なんだから」
 と彼女は言った。
 3番目の噂は、『水曜日のディナーには睡魔しかいない』だ。これまでの噂よりも一層、意味がわからない。
「さっさと食べて、はやく睡魔を探しなさい」
「睡魔ってなんですか」
「睡魔は睡魔でしょ。引きずり込まれるような眠気よ。私だって眠いわよ」
「そんなのどうみつけるんです?」
「よく観察しなさい。あのカップルとか、女の方眠そうでしょ。一応写真に撮っておくわよ」
「盗撮じゃないですか。店の人に怒られますよ」
 宮野さんは不機嫌そうに舌打ちした。
「なら、いいわ。私を撮りなさい」
「貴女が睡魔なんですか?」
「そうよ。私が睡魔よ」
 宮野さんは、どちらかといえば眠気の正反対にいるような女性だ。
 でも口論するのも馬鹿らしくなってきた。ため息をついて、カメラを構えようとした時だった。
「失礼いたします」
 宮野さんの隣に、ウェイターが立った。彼は言った。
「スイマ様、でございますか?」
 自棄になったような口調で、宮野さんは答える。
「そうよ。それがどうかしたのよ」
 ウェイターが運んできたのは、次の料理の皿ではなかった。彼は宮野さんに、小型のアタッシェケースを差し出す。銀色をした、アルミかなにかでできたアタッシェケースだ。
「こちらに、スイマ様のお名前がありましたので。お忘れ物ではございませんか?」
 アタッシェケースにはネームプレートがついている。――suima。
 宮野さんはそれをしばらく眺めて、笑った。
「間違いなく私のものよ。ありがとう」
 彼女はアタッシェケースを受け取って、「早く次の料理を出しなさい」とウェイターを追い返す。
 オレはこめかみの辺りを押さえた。
「嘘ですよね」
「もちろん」
「泥棒じゃないですか」
「あとで間違いでしたって返せばいいでしょ。これも調査よ」
 彼女はふふふと気味の悪い笑みを浮かべ、「面白くなってきたじゃない」と呟いた。
 頭が痛い。


■久瀬太一/7月24日/21時

 だが、結局アタッシェケースは開かなかった。
 暗証番号式のロックが掛かっていたのだ。
「もう店に返しましょうよ」
「嫌。たった3桁の暗証番号よ? 総当たりでなんとかなるわ」
「犯罪です」
「いいえ善行よ。もし持ち主のことがわかったら、ちゃんと届けるもの」
 宮野さんはアタッシェケースを、自動車の後部座席に放り込む。
「さあ、ちゃっちゃと乗りなさい。次は結構、遠いわよ」
「どこにいくんです?」
「バス停」
 どこのバス停だよ。


■久瀬太一/7月24日/21時45分

 4つ目の噂は、「水曜日のバスは終点に辿り着かない」だ。
 宮野さんによると、水曜の深夜、時刻表に載っていないバスがやってくる停留所があるという。そのバスは決して終着駅に辿り着かず、もし乗ってしまうと二度と降りることができない。
「そのバス停が、ここよ」
 と宮野さんが自信ありげに、目の前の停留所を指した。
「ごく普通のバス停ですね」
「そう? なんか気味悪くない? がらんとしてるし」
 言われてみれば確かに、気味の悪いバス停ではあった。
 綺麗に整備されたターミナルだというのに、人の気配がない。照明はどこか緑がかっていて気持ちが悪い。おまけにすぐ隣が廃止された遊園地で、見上げるともう動くことのない観覧車がみえた。
「奇妙だっていうなら、あっちの遊園地の方がずっとそれっぽいですけどね」
「でも噂じゃバスなんだから仕方ないじゃない」
「そんな噂、聞いたこともないな」
「そりゃキミは知らないでしょ。千葉よ、ここ」
「祖母の家がこの近くにあったんですよ」
 もう何年も前に亡くなっているが、幼いころはよく遊びにきた。まさかこんな形で戻って来るとは思わなかった。びっくりするほど感慨がない。
「え? ホントに?」
「といっても、ずいぶん昔のことなので」
 幼かったオレの耳にまではその噂も届かなかったのかもしれないし、最近になってから怪しげな噂ができたのかもしれない。
「ちょうどいいわね。この近くにファミレスかなんかない?」
「また食べるんですか?」
「違うわよ。スケジュールぎりぎりなの。今夜中に記事をまとめないと雑誌がでないわ」
「じゃあここの調査は?」
「キミがするのよ、もちろん。聞き込みしといてよ。近所に友達とかいないの?」
 数人、顔が思い浮かんだが、電話番号なんか覚えちゃいない。こんな時間にいきなり家の呼び鈴を鳴らして、終点に辿り着かないバスがどうのと怪しげな話をしたくはない。
「当時は友達が少ない子供だったもので」
 とオレは首を振っておいた。
「使えないわね。まあいいわ。ここに座ってなさい」
 オレが最寄りのガストの場所を教えると、宮野さんはさっさと車に乗り込んでしまった。
「バスが来るのはちょうど24時らしいから。それまでちゃんとここにいるのよ」
 そう言い残して、深緑色の軽が走り去る。
 ――24時?
 腕時計に視線を向ける。まだ2時間以上ある。
 オレは停留所のベンチに腰を下ろした。
 あてもなく観覧車を見上げていると、背後から無機質な女性のアナウンスが聞こえた。この停留所はモノレールの駅に隣接している。そのアナウンスだろう。でもこちらの方には、モノレールの乗客もやってこなかった。彼らは皆、反対側の出口に流れているようだ。
 ――そりゃそうか。バスが停まらない停留所なんかに、用はないよな。
 辺りを見回しても、時刻表もみつからない。
 この停留所はすでに、廃線になっているのだ。


【7/24 22:13-22:22】メリーニールの会話

★ ニール > メリー、いるかい?
★ ニール > 例の箱、ある新参者のスイマが開けようと躍起になってる。
★ ニール > やっぱりあいつが、12年前のイコンなのかい?

★ メリー > どうでしょうね。
★ メリー > ですが聖夜協会にとって、価値のあるものであることは間違いありません。
★ メリー > センセイが、あの箱に収めたものですから。

★ ニール > だが、あいつは開かない。
★ ニール > 暗号を知っている教会員のうち、2人はいなくなり、ひとりは隠居みたいなもんだ。
★ ニール > 答えがわかるのはノイマンのものくらいだろう。

★ メリー > そうですね。
★ メリー > 通常は、あの箱を開けることは不可能です。

★ ニール > ひどい話だ。
★ ニール > 動画の謎を解いてみても、その先には誰もいない。

★ メリー > ですが……ほんの僅かだけ、可能性があります。
★ ニール > プレゼントか?
★ メリー > ええ。
★ ニール > だれの?
★ メリー > それはわかりません。私にも。
★ ニール > 不思議な話だが……まあいいさ。
★ ニール > いま、小箱を持っているスイマ。あいつはお前に、もっと具体的なプレゼントを用意しているみたいだぜ?

★ メリー > ……そうですか。
★ メリー > 期待している、とお伝えください。

トナカイ > メリーさん、さようなら~。 (07/24-22:22:33)
トナカイ > ニールさん、さようなら~。 (07/24-22:22:35)

7/24 22:13-22:22


■久瀬太一/7月24日/23時50分

 今ごろになって、睡魔がやってきたようだった。
 まぶたが重い。何度か重力に負けて、首が傾いた。ここの時間は停滞している。静かで、まどろんでいる。
 この2時間ほどで起こったのは、犬の散歩をする女性と、ランニング中の初老の男が目の前を通過していったことくらいだ。
 彼らは何度も、ちらちらとこちらをみていた。こんな時間に、もうバスのやってこない停留所に座っているのだから、仕方のないことだ。
 蒸し暑い夜だ。どこかから夏の虫が、か細く澄んだ音で鳴くのがきこえた。
 オレは眠気に負けて、目を閉じて、夏の空気のせいだろうか漠然と昔のことを思い出す。
 幼いころ、友達が少なかったというのは嘘じゃない。父親の転勤が多かったせいで、あまりひとつの場所には留まっていられなかったのだ。
 ――友達、か。
 オレはある少女を思い出す。
 もう記憶にもやがかかっているくらい、幼いころ仲の良かった女の子。
 そのもやの向こうで、彼女が笑ったような気がした。側頭部がずきんと痛む。
 なんだ? 風邪をひいたのだろうか? でも、そういう痛みじゃ――
 直後、強い光が射した。
 それが眠気を消し去って、オレはまぶたを持ち上げる。
 目の前にバスが停まっていた。
 空に浮かんだ半月が、そのバスを照らしている。
 ――月なんて、出ていたか?
 覚えていない。日常的に空を見上げるほど詩人じゃない。
 バスは鮮烈なライトで、時刻表を照らす。
 ――時刻表?
 おかしい。それがないことは、確かに確認したはずだ。
「乗らないのかい?」
 と声が聞こえた。バスからだ。
「乗れよ。もうすぐ出るぜ?」
 バスのドアが開いている。
 中は暗くてよくみえない。運転席の窓の上に、行き先が表示されていた。奇妙な行き先だった。
 そこには、『7月25日行き』とだけ書かれていた。

 オレが乗りこむと、空気の抜けるような音が聞こえて、ドアが閉まった。だがまだ発車はしない。
 バスには2人の乗客がいた。
 一方は、乗車口のすぐ横の席に座っている。ほっそりとした色の白い女性だ。髪が長く、うつむいていて、顔はよくみえない。どうやら眠っているようだった。
 彼女の膝の上には、原稿用紙を折り畳んで作った小冊子が載っている。暗くてあまりはっきりとはみえない。
「こっちにこいよ」
 と声が聞こえた。
 オレに声をかけたのは、もう一方の乗客だった。最後尾の広い席に腰を下ろした、巨大な人型の影。
 それはきぐるみだった。
 赤い帽子を被っている。目つきはあまりよくない。口元は不敵に笑い、そこから尖った歯が覗いている。お世辞にも可愛いとはいえなかった。ゆるキャラブームに乗って生まれた、迷走気味のマスコットキャラクターのような印象だった。でも、いったいなんのキャラクターだろう?
 その着ぐるみはぼろぼろに傷ついていた。あちこちがほつれ、汚れ、特に片側の頬が大きく裂けていた。それでも笑う気味の悪い姿が、窓の外の街灯の光で照らされていた。
 彼――もちろん性別なんてわからないが、声も容姿も、そいつは少年のようだったから、とりあえず彼とする――が、最後尾で手招きする。
「ほら、こっちに来てはやく座れよ。もうすぐバスが出るぜ?」
 オレはしばらく通路に突っ立っていた。
 正直なところ、あのきぐるみに近づきたくはなかった。
 どうしてバスに乗り込んでしまったのだろう? 好奇心は猫を殺す、という言葉を思い出す。だがおそらく、好奇心が死因になった数なら、人間の方が多いのではないか。
「水曜日の噂を追いかけているんだろう? いいぜ、オレが教えてやる」
 オレはゆっくり通路を進み、きぐるみの隣に腰を下ろす。
「お前、だれだ?」
 と素直に尋ねた。
「さあな。きっとそのうちわかるさ」
「このバスは終点に辿り着かないって聞いたぜ。本当なのか?」
「どうかな。でも辿り着かない方がいいかもな」
「どうして?」
「行き先はバッドエンドだからさ」
 意味がわからない。
 オレはぼやく。
「このバスに乗っちまったことを心底後悔してるよ。2、3分前のオレをぶん殴ってやりたい」
 きぐるみが応える。
「乗らずに後悔するよりはずっといいさ」
 腕時計に視線を落とす。秒針がちょうど真上を指して、24時になった。


■久瀬太一/7月24日/24時

 発車のベルが聞こえた。その音はずいぶん遠くから聞こえたような気がした。
 低いエンジン音と共に、バスが走り出す。
「水曜日の噂は、クリスマスの謎に繋がっている」
 ときぐるみは言った。
「クリスマス?」
 今はまた7月だ。
「そう。クリスマス。水曜日のクリスマスだ」
 彼はその不気味な顔で、じっとこちらをみる。
「水曜日のクリスマスには100の謎がある。ひとつ目の謎はもちろん、なぜサンタは遅れたのか、だ」
「100もあっちゃ困る。締め切りは目の前らしいぜ」
「大丈夫だよ。君が思っているよりは余裕がある」
「サンタが遅れたってのは?」
「そのまんまだよ。君もよく知っている彼さ。みんな大好きな彼が遅刻したんだ」
 わけがわからない。
 窓の外から、繰り返しオレンジ色の光が射した。断続的に、カウントダウンのように。
 どうやらトンネルの中に入ったようだ。ずいぶん長いトンネルだった。この辺りに、トンネルなんてあっただろうか?
「このバスはどこに行くんだよ?」
「それはオレたちが決めることじゃない。すべてソル次第だ」
「ソル?」
「ソルだけは裏切るな。彼らはきっと、君に味方する」
「よくわからないな。このバスは、バッドエンドに向かってるんじゃなかったのか?」
「今の路線ならそうなる。でもソルだけが、それを変えられる」
 着ぐるみが窓の外を指した。
「ほら、みてみな。目の前のバッドエンドが始まる」
 トンネルの出口がみえた。
 まるで、新しい世界に放り出されたように、みえる世界が変わった。

       ※

 まず窓の外にみえたのは、大型の電器店だった。
 バスはその前を通過する。
 続いて、奇妙な丸い物体がみえた。
奇妙な丸い物体
 さらにその先には、みっつの音叉が重なる、見覚えのある楽器メーカーのロゴがショウアップされている。その光が交差点を照らす。
 道路の向こうには、巨大な、だから平べったくみえる建造物の影があった。
 がらんとした交差点だ。きっと、普段なら。
 けれど今は違った。その交差点の真ん中に、目を離せないものがあった。
 軽自動車に、トラックがぶつかっている。見覚えのある緑色の軽だ。それは粘土細工をテーブルから落としたように、無残にひしゃげている。その隣を平然と、バスは通り過ぎていく。
 すれ違うとき、ひび割れたフロントガラスから車内がみえた。
 ルームミラーの下で、不細工な猫を模したキャラクターが紐でつられて揺れている。
 運転席ではショートカットの女性が――それは間違いなく宮野さんが、血を流して突っ伏している。
 隣ではオレが、スマートフォンに何か叫んでいる。
 ――なんなんだよ。
 オレはここにいる。目の前にもオレがいる。一瞬、オレは事故車の中のオレと目が合ったような気がした。
 ――なんなんだよ、一体。
 バスは一定の速度で走る。
 血を流した宮野さんが、事故車と一緒に後方へと流れていく。

【BAD FLAG-01 交通事故】

       ※

「どうだい? 嫌な未来だろ?」
 と、隣のきぐるみが言った。
 その声で、夢から覚めたような気がした。
「なんだったんだよ、今のは」
「ほんの目の前の出来事だ」
「宮野さんの車が事故を起こすってのか? いつ?」
「オレは知らない。はっきりとしたことはわからない。知識なんかほとんどないんだ。なにせまだ、少年なもんでね」
 オレは顔をしかめる。
 ――未来がみえた?
 馬鹿げている。
 だが、確かに目の前にオレがいた。見間違えだとは思えなかった。
 窓の外に視線を向ける。バスはいつの間にか、再びトンネルに入っていた。オレンジ色の光が、順番にオレを照らしていく。
「ショックか?」
 ときぐるみが言った。
「混乱してるよ。わけがわからない」
 とオレは答えた。
「まだまだこんなもんじゃねぇぜ。本番は、これからだ」
 無機質な声でアナウンスが流れた。
 ――次は終点、7月25日です。
 その直後、バスがまたトンネルを抜けた。

       ※

 光。――強い光。日中の光だ。
 眩しくて、オレは目を細める。それからみえた景色に、息を呑んだ。
 そこには見慣れた部屋があった。オレの部屋だ。なのにバスの窓越しにみるそれはあまりに非現実的で、上手く思考できない。
 バスは走り続けている。その振動を感じる。オレの部屋の景色が後方に流れ、また前方からやってくる。映画のフィルムのコマみたいに、ほとんど同じ景色が連続している。
 部屋の中には、やはりオレがいた。
 オレは銀色のアタッシェケースを開いていた。見覚えがある。あの、宮野さんがレストランで受け取ったアタッシェ―スだ。
 その中身は――なんだろう?
 何枚かの、紙の資料のようだった。だいたいは裏返っていてよくみえないが、2枚だけ確認できた。
クロスワード クロスワード解答用紙 クロスワード問題
 クロスワードパズル?
 オレはそれを解こうとしているようだった。
 ――なぜ、そんなものが?
 そう思った直後、ぐにゃりと視界が歪んだ。立ちくらみのような感覚――ほんの短い時間、目を閉じてまた開く。
 すると、窓の外にみえる景色が変化していた。

 次は、また夜だ。
 オレは夜道を走っていた。
 先ほど、宮野さんの車が事故を起こしていた道ともまた違う。
 幅の細い道の両脇に、建物がびっしりと並んでいた。なんだか騒々しくみえる街並みだ。
 そこを、オレが走っている。
 オレはずいぶん慌てているようだった。地面のおうとつに足を取られて派手にすっころぶ。転ぶのなんていつ以来だろう? 自分自身が転ぶのは、みていてあまり気分のよいものではない。
 窓の外のオレは勢いよく立ち上がり、また走り出す。
 ――一体、なにを急いでいるんだろう?
 だがその答えは、すぐに氷解した。
 オレが向かう先には、古いビルがあった。その壁の一部が大きく崩れていた。瓦礫が辺りに散らばっている。爆破されたような、そんな印象。
 そして瓦礫の中に、ひとりの少女が倒れている。
 シャツに黒い染みが広がっているのが、遠くの街灯から届くかすかな光でわかる。
 ――オレは、この子を知っている。
 なぜだかそんな気がした。
 彼女は目を閉じ、窓の外のオレが肩を抱いても、ぴくりとも動かなかった。

【BAD FLAG-02 爆発】

       ※

「バッドエンドを書き換えろ」
 と、きぐるみが言った。
「時間はもうない」
 どきん、どきんと鼓動が胸を打っていた。ひどい頭痛を覚えて、オレはそこを押さえた。形にならない記憶が頭の中で渦巻いていた。
「思い出したよ」
 オレは、隣のきぐるみをみる。
「お前、少年ロケットだろ?」
 ぼろぼろのきぐるみは、不敵な笑顔を浮かべたまま、じっとこちらをみている。
「へぇ、覚えていたのか」
「忘れてたよ。結局、なんのマスコットなんだお前」
 少年ロケットは、幼いころに持っていたキーホルダーだ。どこで手に入れたのか覚えていないし、手放してもうずいぶん経つ。
 きぐるみは言った。
「ロケットだろ? 名前だってもろじゃないか」
「ちっともロケットっぽくない」
 ただの不気味なガキにしかみえない。
「でも飛び出すぜ? 別の世界までひとっ跳びだ」
「ならバスで移動するなよ」
「準備がいるんだよ。ロケットって発射台まで車で運ぶんだろ? 前に、ニュースでみたことあるぜ」
 ふいに、バスが停まった。音を立ててドアが開く。だが窓の外は暗く、何もみえない。
「さぁ行きな。急げよ。カウントダウンは始まっている」
 行けって。
「ここ、どこだよ? 一体どこに行けばいいんだよ?」
「知らねえよ。きっとソルが導いてくれる」
「ソルってなんだよ?」
「ソルは遠い場所にいる。それでもこの世界を照らす」
 こいつとは、まともに会話ができないようだ。
 オレは座席から立ち上がる。
 後ろから、きぐるみが言った。
「おい、忘れてるぜ」
「ん?」
「ほら」
 振り返ると、着ぐるみは大きな手で、器用にスマートフォンを掴んでいる。それは確かに、オレのスマートフォンにみえた。
「ああ。ありがとう」
 いつの間に落としたのだろう? 受け取って、そのスマートフォンをポケットに入れる。
 指先が何か硬いものに触れた。引き出すと、それはスマートフォンだった。
 ――どうして?
 同じスマートフォンが2台ある。起動させてみると壁紙まで同じだ。
「これは、オレのじゃない」
「いや。君のだ」
 きぐるみから受け取ったスマートフォンには、メールが1通、届いていた。
 フォルダを開いてみる。
 件名のないメールだ。アドレスは、英文になっている。
 ――ソルが鳴らすベル?
 そう読めた。
 あの着ぐるみの言葉を思い出す。「ソルだけは裏切るな」。これの、ことなのか?
 メール文を開く。

       ※

 拾った携帯にあなたのアドレスが登録されていました。
 主人公とありましたが、あなたはどなたですか?

       ※

 主人公ってなんだよ。
 やはりこのスマートフォンは、オレのじゃないようだ。
「スイマには気をつけろ」
 と着ぐるみは言った。
「スイマは君に襲い掛かる。ヨフカシを捜すんだ。ヨフカシはスイマの中にいる」
 わけが、わからない。
 何もかも。
「どういうことだよ?」
「いいからさっさと行けよ。忘れるな、スイマの中のヨフカシを捜せ」
 ちょっと待てよ、どうしてスマートフォンが2台になるんだ? だいたいあの窓からみえた苛立たしい景色はなんなんだ?
 そう、言おうとした。
 でもそれよりも先に、なにか強い振動が、肩を揺らした。


■久瀬太一/7月24日/24時05分

 まぶたを持ち上げる。
 目の前に、宮野さんがいた。
「なに寝てんのよ」
 彼女は不機嫌そうだ。
 辺りを見渡す。あの停留所だ。戻ってきた? ――いや、全部、夢か。
 そりゃそうか。謎のバスが現れたり、その窓の外に未来が見えたりなんてこと、あるはずがない。
「バスは?」
 と宮野さんが言った。
「……いや」
「ま、くるはずないか。噂じゃ、バスがくるのは水曜日だしね」
 今日は木曜だ。そう、だから、バスが来るはずなんてない。
 宮野さんは、オレの眉間の辺りを指さす。
「罰ゲーム。プリン買ってきて」
「罰って、なんの」
「あんた寝たでしょ。私は働いてたのに。許せないわ」
 宮野さんはさっさと深緑色の軽自動車に乗り込んでしまう。オレも軽に近づき、窓越しに言った。
「どうしてプリンなんですか?」
「食べたくなったから。コンビニのでいいわ」
「車で行けばいいでしょ」
「嫌よ。私だって眠いもの。私が寝ているあいだにキミは働きなさい。目には目を、歯には歯を、惰眠には惰眠を。それが平等ってもんよ」
 オレはため息をつく。――まあ、いい。たしかにアルバイト中に眠ってしまったのは、オレの落ち度だ。
「わかりましたよ」
 宮野さんが、運転席の座席を倒す。オレは彼女から視線を上げた。――その時、視界の片隅に、なにかひっかかる。
 改めて車内を眺めると、ルームミラーの下で、何かが揺れているのに気づいた。不細工な猫を模したキャラクターのようだった。
「これは?」
「ああ、お子様ランチ頼んだらついてきたのよ」
 お子様でもないし、ランチって時間でもないし、結局また食べたのかよ。
 ――いや、そんなことはどうでもいい。
 不細工な猫に見覚えがあった。
 あのバスの窓から、確かにみえた。事故を起こした車内で、血を流す宮野さんを見下ろして揺れていた。
 まさか、と思う。
 オレはポケットに手を突っ込んだ。背筋が震える。そこには、スマートフォンが2台、入っていた。壁紙までまったく同じスマートフォン。
 ――あのバスは、ただの夢じゃなかったのか?
 本当に事故を起こすのか? 宮野さんが? これから?
 つい、唾を飲む。
「眠いなら、こっちで一泊していきませんか? もう遅い時間だし」
「なにそれナンパ? 絶対いやよ」
「いや。事故を起こす夢をみて、なんだか不安で」
「正夢ってやつ? そんなの信じてるの? バカバカしい」
 オカルト雑誌編集者の言葉だとは思えない。
「明日の朝までに会社に戻ってないと、雑誌が出せないのよ。心配ないわ。こうみえても私、ゴールドドライバーだし」
「でも、ほら、5番目の噂がまだですよ」
「それはお家のベッドに期待してるわ」
 そうだ。
 5番目の噂は、「水曜日の夢には少年が現れる」だった。
 少年ロケット――あいつのことなのか?
「30分だけ眠るわ。そのあいだにプリン買っといてね」
 宮野さんはスマートフォンをいじってタイマーをセットし、目を閉じる。
 瞬く間に、彼女の寝息が聞えてきた。


★久瀬へ:われわれはソルです.あなたは今どこにいますか? 状況を教えてください
 →【久瀬さんからの返信】 オレは今、千葉の「動物公園駅」ってとこの近くにいる。
 説明が難しいが、これから知人と乗る車が事故に遭うもしれない。 でも、運転手を説得するのが困難だ。

■久瀬太一/7月24日/24時20分

 最寄りのコンビニに向かって歩きながら、オレは考える。
 ――くそっ。事故が起こった場所はどこだ?
 バスの窓からみえた景色。考えるが思い当らない。あの、謎の球体。特徴的だが、見覚えはなかった。
 ――本当に事故は起こるのか?
 それを避ける方法はあるのか? たとえば、オレがこのまま車に戻らなかったならどうなる? 宮野さんはオレを置いて帰るだろうか? その途中で、やはり事故に遭うのだろうか?
 わからない。でも2台目のスマートフォンが手元にある以上、すべて夢だとも思えなかった。
 オレは2台目のスマートフォンのホームボタンを押してみる。
 機種もケースもオレが持っているものと同じだが、バスで受け取ったスマートフォンはほとんど新品だった。なんのアプリも入っておらず、アドレス帳の登録もなかった。
 ――と、その時。
 手の中のスマートフォンが震えた。

 オレはメールボックスを開く。
 たった今、メールが着信している。
 メールアドレスは、ソル。――ソルが鳴らすベル、だった。
 オレはそのメールを開く。

       ※

 われわれはソルです.あなたは今どこにいますか? 状況を教えてください

       ※

 ソルから、連絡がきた。
 ――こいつを、信用していいのか?
 迷った。いきなり知らない、こんな怪しげなメールに、素直に返信するなんてありえないことた。本来なら。
 ――でも。
 夢の中のバス。
 そこで手に入れたスマートフォン。
 宮野さんの軽に吊るされていた、不細工な猫。
 オレは覚悟を決める。
 そのメールに返信する。

       ※

 オレは今、千葉の「動物公園駅」ってとこの近くにいる。
 説明が難しいが、これから知人と乗る車が事故に遭うもしれない。
 でも、運転手を説得するのが困難だ。

       ※

 送信ボタンを押して、オレはなにをしているんだろう、と思った。
 ソル。いったい、何者なんだよ?


★★★クロスワード完成。
★久瀬へ:タイマーをいじって寝かせたままにすることはできませんか
 →【久瀬さんからの返信】 とりあえずタイマーは切っておいた。

■久瀬太一/7月24日/24時35分

 タイマーをいじって寝かせたままにすることはできませんか?

       ※

 そう、メールが入っていた。やはりソルからだ。
 確かに上手くやれれば、効率的なやり方かもしれない。
 オレは買ったプリンをひっさげて、軽まで走った。
 宮野さんはまだ運転席で眠っているようだった。眉間に皴を寄せて、不機嫌そうな表情で目を閉じている。ずいぶん蒸し暑いから、寝苦しいのかもしれない。
 そっと、ドアを開く。
 宮野さんの眉間に深い皴が入り、うっすらと目を開く。
「30分、経った?」
 と彼女は言った。
 オレはなるたけ、平静を装って首を振る。
「まだまだですよ」
「そう。ちゃんと、プリン……」
 よほど疲れているのだろう。宮野さんはまた瞼を落とす。
 彼女の寝息が、静かに聞えてきた。
 その寝顔は幼くみえて、あのバスの窓からみえた彼女の姿とのギャップに、少しだけ胸が痛くなる。
 オレは音を立てないようにそっと息を吐き出して、ダッシュボードの上の、宮野さんのスマートフォンを手に取った。


★久瀬へ:カーナビをいじって、ルート変更できないかやってみてください

■久瀬太一/7月24日/24時55分

 当然だが、スマートフォンのアラームは鳴らなかった。
 宮野さんが眠っているあいだにまた、ソルからのメールがあった。

       ※

 カーナビをいじって、ルート変更できないかやってみてください

       ※

 残念だが、この車にカーナビはついていない。
 とはいえ、ルートを変える、というのは正しい方法のように思えた。
 そう考えていると、宮野さんがうめき声をあげ、目を覚ます。
 まぶたを持ち上げて、こちらをみて、
「あれ?」
 と宮野さんは言う。
 彼女は車内の時計に視線をやった。
「もう30分、経ってるじゃない」
 そうですか、とオレは答える。
 彼女はスマートフォンを手に取り、首を傾げて、それからオレをみた。
「プリン」
 疑わしそうな目だ。
 オレは彼女に、コンビニの袋を差し出す。
「お、高いやつじゃない」
 と、中を覗き込んだ宮野さんが弾んだ声を上げた。
「ええ。だからゆっくり食べてください」
「どうして食べるペースまで指示されないといけないのよ」
 彼女は大きなあくびをしてから、プリンの封を開けた。プラスチックのチープなスプーンで、彼女にしてはちびちびとプリンを食べ始める。
「せっかくお子様ランチ頼んだのに、プリンついてなかったのよね。そのせいで、無性に食べたくなっちゃって」
「お子様ランチって大人でも食べられるんですか?」
「うん。割高だけどね」
「好きなんですね、お子様ランチ」
「いろいろ載ってるのに、意外と低カロリーなのよ。おまけついてくるし」

「さっきの、夢の話なんですけど」
「夢? あの、事故がとうのってやつ?」
「ええ」
「夢なんかホントに信じてるの?」
「はい」
「そう」
 宮野さんはプリンを食べ終え、空になった容器をコンビニ袋に突っ込む。それから彼女はエンジンを掛けた。
「でも、帰らないと雑誌を出せないのよ」
「宮野さんも信じていないオカルトの雑誌でしょ」
「仕事は仕事よ」
 オレはため息をついて、ベンチから立ち上がる。
「じゃあ、せめて帰り道のルートを変えましょう」
「いいけど。そもそもルートとか決めてないし。どの道で帰るのよ?」
 オレは額を押さえる。
 ――どこだ? この車は、どの道で事故を起こしていた?
「道なんてどうでもいいから、早く決めてよね」
 そう言って宮野さんは、アクセルを踏み込んだ。


★★★衝突事故の現場である交差点を特定。
★久瀬へ:カーナビがいじれるようならGLOBOという施設を避けてください

■久瀬太一/7月24日/25時05分

 いつの間にかオレは、ソルを頼りにしていた。
 宮野さんに適当な道を指示しながら、じっとりと滲んだ手でスマートフォンを握りしめていた。
 そのスマートフォンが、震える。
 ソルからだ。――ソルが鳴らすベル。
 オレはメールを開く。

       ※

 カーナビがいじれるようならGLOBOという施設を避けてください

       ※

 GLOB? そこで事故が起きるのか?
 カーナビはない――そういえば、返信していなかった――が、GLOBOの場所なら、検索すればわかる。オレは慌ててスマートフォンを操作する。
 最寄りのGLOBOは、フクダ電子アリーナの傍にあるようだ。
 ――アリーナ?
 あの、バスの窓からみた、巨大で平べったい建物か?
 オレは地図アプリを航空写真にし、交差点の様子を確認する。
 ――あった!
 あの、銀色の謎の球体。
 航空写真からでも、それが視認できた。
 ――この先だ!
 思わず叫んだ。
「ルートを変えましょう!」
「え、なんでよ?」
「いいから。お願いします!」
「なんなのよ、もう」
 深緑色の軽は、不機嫌そうにウィンカーを瞬かせて角を曲がる。
 ――これで、事故は回避できたのか?
 ソルってのは、何者なんだ? あのきぐるみの同族か?
 オレは一体、何に巻き込まれているのだろう? まったく、今夜はわけがわからないことだらけだ。

【BREAK!!/BAD FLAG-01 交通事故 回避成功!】


■久瀬太一/7月24日/25時15分

 カーラジオから、ニュース番組が流れていた。
 大手企業のメール文が流出。ある電子機器に発火の恐れ。――間違いなくニュースなのだろうが、どれも、これまでにも何度も聞いたような話ばかりだ。
 次のニュースです、とカーラジオが言った。
 本日の25時10分ごろ、フクダ電子アリーナ前の交差点で大型トラックが電柱に激突する事故が発生。原因は運転手の居眠りとみられています。幸いなことに死傷者はありませんでした。
 ――マジかよ。
 きっと、そうなのだろうと思っていた。
 でも事実をみせつけられると、衝撃をうける。
 あのメールがなかったら、バスから見た事故が現実になっていたのだろう、きっと。
「ミステリーね」
 と宮野さんが言った。
「たかだかトラックが電柱にぶつかった程度の事故が、どうしてニュースで流れるのよ?」
 思わず反論しそうになったが、確かに宮野さんの指摘は正しい。わざわざ電波に乗せるほどのニュースだとは思えなかった。
「もしかしたら、謎の組織の暗号とかかもね。秘密の情報をつまらないニュースに偽装して誰かに伝えるのよ。前にそんな記事を書いたことがあるわ」
「信じてるんですか?」
「まったく。思い出したから言ってみただけ」
 今夜はよっぽどニュースになるようなことがなかったんでしょ、と宮野さんは言った。
 それでは次のニュースです、とカーラジオが告げて、些細なミステリーは過去へと流されていった。
 そんなことに構ってはいられない。オレにはもっと大きなミステリーがある。
「フクダ電子アリーナって、さっきまでこの車が向かっていた方ですよ」
「へえ。危機一髪って感じね」
「オレが夢でみた、事故の現場でもあります」
「仕事中に寝るんじゃないわよ」
「あれは本当に夢だったんでしょうかね」
「なに? キミって予知夢とか信じるタイプなの? 非科学的ね」
 オカルト雑誌の編集者の言葉ではない。
「科学的に解明できないことをすべて拒絶する姿勢もまた非科学的だって聞いたことありますよ」
「非科学的でも、それが現実的な考え方なのよ」
「そんなもんですか」
「そんなもんですよ」
 とはいえ、だ。いくら非現実的だったとしても、だ。
 オレはあの夢を信じる気になっていた。信じなければ――そして、あの「ソル」からのメールがなければ、今ごろ宮野さんは血を流していた。
 ――ソル。
 何者なんだ、一体。
 一方的に連絡を寄こしてきて、一方的に問題を解決していった。まるでヒーローだ。まったく現実味がない。
 ――問題は、夢の続きだ。
 崩れた廃墟ビル。――どこだ? あのビルは。
 そして血を流す少女。彼女の姿は、奇妙に鮮明に覚えている。あの子を傷つけてはいけないのだ、と強く思った。オレはきっと、彼女を知っている。
 あのバスからみえた光景に、なにか手がかりがあるのだろうか?
 それから、ふと思い出す。
「そういえば、開いたんですか? アタッシェケース」
「アタッシェケース?」
「レストランで受け取ったやつですよ」
 suimaと書かれたネームプレートがついているアタッシェケースだ。スイマ。また、きぐるみの言葉を思い出す。――スイマに気をつけろ。
 確か未来のオレは、あのアタッシェケースを開いていた。
「ああ、忘れてたわ」
「あれ、借りて帰ってもいいですか?」
 スイマ。ただの偶然だとは思えない。あのアタッシェケースに手がかりがあるのだ。今はとりあえず、そう信じることしかできない。
「どうするのよ、あんなもん」
 あんなもんって。
「開けてみますよ。持ち主がわかったら、オレから返しておきます」
「いいけど。なんか面白いものが入ってたら教えてね」
 オレは少し迷ってから、「わかりました」と答えた。自分のための嘘はつかないことに決めている。でも、オレが巻き込まれている何かに、宮野さんまで巻き込むべきではないだろう。
 もちろん彼女が血を流す姿だって、まだ鮮明に覚えている。

――To be continued


【3D小説『bell』運営より】
運営を任されている秘書です。みなさんのご協力のおかげで、ひとつめのBAD FLAGが回避されました。
ありがとうございます! なお、小説内に「――To be continued」の表記が出ましたら、その日の更新はお終いです
(とはいえ、今日はもう日付けが変わっていますが……) みなさん、安心してお休みください。

プロローグ ← 3D小説「bell」 → 7月25日(金)
-------------------------------------------------------------------------------------------
スポンサーサイト



最終更新日 : 2015-07-30

Comment







非公開コメント