「屋根裏と安楽椅子とパイプ」にて記事「私的考察『土之絵多津夢物語』(2)」 更新
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2009-06-22 02:05:44
http://ameblo.jp/y--katsuki/entry-10285164472.html
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・大村益次郎:
多くのゼミ生がBBSに書いているように、ユウタが敬愛する大村益次郎も宇和島と縁がある。
やや余談めいたことかもしれないが、宇和島藩が高野長英を招いた時、自宅に匿って支えたのが二宮敬作だ。
長英と二宮はともにシーボルトの直弟子であり、同じ蘭学者にして医者だった。
二宮は、シーボルトの娘の楠本イネを一時宇和島に引き取って養育し、また蘭学、医学を教授した。
大村益次郎も宇和島藩に仕えていた時期、やはり二宮の厚恩を受けた。
二宮宅を訪問するうち、イネとも交流を深め、互いに特別な感情を育んだともいわれている。
この家が、高野長英の隠れ家として今でも卯之町に残っている。
私も学生の頃に訪ねたことがあるが、ユウタも立ち寄っただろう。
・かごめ唄は開明学校から?:
ここまではいわゆる史実といわれていることや、史・資料からの考察を中心にまとめてみた。
最後に、ゼミ生諸君がBBSで展開しているほどではないが、私も少し推理をしてみたい。
多くの蘭学者を育て、高野長英のような先覚者とも積極的に交わり、
大村益次郎も招聘したことなどからもわかるように、宇和島は開明の風を誇りとした土地だった。
ユウタが送ってきた音声ファイルの中で、
証言者は「(かごめ唄は)ここらの学校から広まっていった」という意味のことを話している。
私はこの学校というのが、宇和島に今も遺されている開明学校やその周辺の学校ではないかと推測している。
開明学校は宇和島藩の藩校をベースとする、江戸時代から続いた学問所だった。
児島惟謙もその藩校時代に通ったといわれているし、明治の初期に全国に小学校が作られる時には、
開明学校がモデル校の1つにされたという。
音声ファイルには、「“昔の人たち”は、かごめ唄にはこんな意味があると言っていた」というくだりもある。
前後の語りから、この“昔”とは、竜馬の謀殺以後で、「司法省の偉い人」を意味するくだりから、
児島の存命中、活躍期のあたりまでのことと推測できる。
これらの事柄から、天赦園こと児島はかごめ唄の歌詞を変え、地元の先進的な旧藩校であり、
全国の小学校のモデルになった開明学校などを経由して、全国に広めたのではないだろうか。
さらに大津事件の後、隠棲期にも新聞小説でそれを流布しようとした。こんな推理してみたが、どうだろうか。
・小説と音声ファイルの示唆:
音声ファイルでは、他にも、
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「籠の中の鳥は竜馬」
「竜馬を囲め」
「竜馬はいつ出遣るか」
「明治維新の夜明けの晩に(維新前夜という意味か?)」
「竜馬と中岡慎太郎があんな目に遭わされた(殺されたことを指すのだろう)」
さらに、
「竜馬の死には陰謀があり、後ろには黒幕がいた」
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という衝撃的な内容が続く。
新聞小説第三回のことわり書きを読むと、
かごめ唄の歌詞は天赦園の筆によるもので、解釈も作者に拠るものだと書かれている。
第二回の歌詞は、地方や時代によって少々違いがあるものの、西日本一帯で歌い継がれてきた歌詞に近い
(事実、私の祖父母や、四国、九州出身で一定以上の年齢の知人には、第二回に近い歌詞で歌う人がいる。
私を含め、それより若い世代は、第三回の歌詞しか馴染みがないが)。
これに加えて、多くのゼミ生が推理しているように「五人組から仲違いして退け者にされた一人は竜馬」だとして、
さらにことわり書きに従うならば、
第三回の歌詞の中でも、赤文字で書いた部分こそ、天赦園が改作した箇所だということになる。
第二回では西国の一般的な歌詞だったものが、「退け者が殺される第三回」で変えられているからだ。
天赦園は郷里の学校や新聞小説を使って、このことを伝えようとしたのではないか。
以上が私なりの推理なのだが、自分でもこれではまだ足りないと思っている。
有志のおかげで、文字起こしと読み下しはなされ、他の多くのゼミ生も共有できるものとなった。
私はここから先、さらに小説の“意訳”を進めるつもりだ。
kuontuiさんの「超藩的」、森の水さんの「一帯の長連中が諸大名?「同調」して倒幕勢力になった?」
といった考え方には、激しく心を動かされた。
あじのひらきさんの複数にわたる長文も、読み応えのあるものだった。
私も「【整理】小説をどう読むか」に挑戦したい。ゼミ生からもぜひ、様々な意見がほしい。
LIONさん、izouさん
力量不足で、教授ほど大胆な飛躍や仮説を構築するには至っていません。
私は意訳を進めてみようと思います。ぜひご意見をください。
最後になったが、土曜日の夜、遠くから見守る者への挑戦(?)に応えてくれたみんな、本当にありがとう!
教授について聞いても答えは得られなかったが、
大勢の力が結集されて、あんな見事な戦いに参加できたことに今も心が震えている。
(私もバックギャモンは少し嗜んでいるが、
ワイジローさん、あそこであのゾロ目を振れる自信はないよ。お見事でした!)
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2009-06-22 02:05:44
http://ameblo.jp/y--katsuki/entry-10285164472.html
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・大村益次郎:
多くのゼミ生がBBSに書いているように、ユウタが敬愛する大村益次郎も宇和島と縁がある。
やや余談めいたことかもしれないが、宇和島藩が高野長英を招いた時、自宅に匿って支えたのが二宮敬作だ。
長英と二宮はともにシーボルトの直弟子であり、同じ蘭学者にして医者だった。
二宮は、シーボルトの娘の楠本イネを一時宇和島に引き取って養育し、また蘭学、医学を教授した。
大村益次郎も宇和島藩に仕えていた時期、やはり二宮の厚恩を受けた。
二宮宅を訪問するうち、イネとも交流を深め、互いに特別な感情を育んだともいわれている。
この家が、高野長英の隠れ家として今でも卯之町に残っている。
私も学生の頃に訪ねたことがあるが、ユウタも立ち寄っただろう。
・かごめ唄は開明学校から?:
ここまではいわゆる史実といわれていることや、史・資料からの考察を中心にまとめてみた。
最後に、ゼミ生諸君がBBSで展開しているほどではないが、私も少し推理をしてみたい。
多くの蘭学者を育て、高野長英のような先覚者とも積極的に交わり、
大村益次郎も招聘したことなどからもわかるように、宇和島は開明の風を誇りとした土地だった。
ユウタが送ってきた音声ファイルの中で、
証言者は「(かごめ唄は)ここらの学校から広まっていった」という意味のことを話している。
私はこの学校というのが、宇和島に今も遺されている開明学校やその周辺の学校ではないかと推測している。
開明学校は宇和島藩の藩校をベースとする、江戸時代から続いた学問所だった。
児島惟謙もその藩校時代に通ったといわれているし、明治の初期に全国に小学校が作られる時には、
開明学校がモデル校の1つにされたという。
音声ファイルには、「“昔の人たち”は、かごめ唄にはこんな意味があると言っていた」というくだりもある。
前後の語りから、この“昔”とは、竜馬の謀殺以後で、「司法省の偉い人」を意味するくだりから、
児島の存命中、活躍期のあたりまでのことと推測できる。
これらの事柄から、天赦園こと児島はかごめ唄の歌詞を変え、地元の先進的な旧藩校であり、
全国の小学校のモデルになった開明学校などを経由して、全国に広めたのではないだろうか。
さらに大津事件の後、隠棲期にも新聞小説でそれを流布しようとした。こんな推理してみたが、どうだろうか。
・小説と音声ファイルの示唆:
音声ファイルでは、他にも、
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「籠の中の鳥は竜馬」
「竜馬を囲め」
「竜馬はいつ出遣るか」
「明治維新の夜明けの晩に(維新前夜という意味か?)」
「竜馬と中岡慎太郎があんな目に遭わされた(殺されたことを指すのだろう)」
さらに、
「竜馬の死には陰謀があり、後ろには黒幕がいた」
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という衝撃的な内容が続く。
新聞小説第三回のことわり書きを読むと、
かごめ唄の歌詞は天赦園の筆によるもので、解釈も作者に拠るものだと書かれている。
第二回の歌詞は、地方や時代によって少々違いがあるものの、西日本一帯で歌い継がれてきた歌詞に近い
(事実、私の祖父母や、四国、九州出身で一定以上の年齢の知人には、第二回に近い歌詞で歌う人がいる。
私を含め、それより若い世代は、第三回の歌詞しか馴染みがないが)。
これに加えて、多くのゼミ生が推理しているように「五人組から仲違いして退け者にされた一人は竜馬」だとして、
さらにことわり書きに従うならば、
第三回の歌詞の中でも、赤文字で書いた部分こそ、天赦園が改作した箇所だということになる。
第二回では西国の一般的な歌詞だったものが、「退け者が殺される第三回」で変えられているからだ。
天赦園は郷里の学校や新聞小説を使って、このことを伝えようとしたのではないか。
以上が私なりの推理なのだが、自分でもこれではまだ足りないと思っている。
有志のおかげで、文字起こしと読み下しはなされ、他の多くのゼミ生も共有できるものとなった。
私はここから先、さらに小説の“意訳”を進めるつもりだ。
kuontuiさんの「超藩的」、森の水さんの「一帯の長連中が諸大名?「同調」して倒幕勢力になった?」
といった考え方には、激しく心を動かされた。
あじのひらきさんの複数にわたる長文も、読み応えのあるものだった。
私も「【整理】小説をどう読むか」に挑戦したい。ゼミ生からもぜひ、様々な意見がほしい。
LIONさん、izouさん
力量不足で、教授ほど大胆な飛躍や仮説を構築するには至っていません。
私は意訳を進めてみようと思います。ぜひご意見をください。
最後になったが、土曜日の夜、遠くから見守る者への挑戦(?)に応えてくれたみんな、本当にありがとう!
教授について聞いても答えは得られなかったが、
大勢の力が結集されて、あんな見事な戦いに参加できたことに今も心が震えている。
(私もバックギャモンは少し嗜んでいるが、
ワイジローさん、あそこであのゾロ目を振れる自信はないよ。お見事でした!)
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最終更新日 : -0001-11-30