「屋根裏と安楽椅子とパイプ」にて記事「私的考察『土之絵多津夢物語』(1)」更新
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2009-06-22 01:58:13
http://ameblo.jp/y--katsuki/entry-10285162257.html
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ユウタから取材成果が届いて以来、この新聞小説のことをあれこれと考えていた。
それをきっかけに、ゼミのBBSで活発な意見や情報の交換がなされた。私を含めて多くの者が触発されたはずだ。
少し時間がかかってしまったが、新聞小説について、私なりに歴史的、史・資料的観点からの考察をしてみたい
(以下、特に名前を挙げている方以外の方々の尽力にも、大変感謝し、
参考にさせてもらっていることを始めに書いておきます)。
・小説の題名:
「土之絵多津=つちのえたつ=戊辰」という朝霧さんの推測に、異論のある者はいないだろう。私も同じ考えだ。
江戸や明治期の戯作者、小説家たちには万葉仮名遣いをもじって漢字をひらいたり、
文字をひねって洒落た題名をつける風潮があったようだ。
児島惟謙の事歴からすると、“戊辰”は鳥羽伏見の戦い以降の戊辰戦争を指しているというよりは、
明治維新の頃を意味すると考えたほうが通りが良さそうだ。
・作者:
作者についても、poly6さんの指摘に大きく頷かされた。
“天赦園五郎蔵”は、天赦園、五郎兵衛、謙蔵と、すべて児島惟謙の号や幼名、通称に使われている文字だ。
また、第三回のことわり書きと、児島の履歴や時期も符合する。
・高野長英の『戊戌夢物語』:
ワイジローさんのこの書き込みは非常に示唆に富んだものだったと思う。
長英が天保9年(1838)に著わしたこの書物は、幕府政治を批判する痛烈な内容で、瞬く間に写本が全国を駆け巡り、有為の士の間に広まった。竜馬や土方歳三といった、幕末のゴールデンエイジが生まれてから、数年後のことだ。
「夢の中の世界では、人々が自由に西洋の学問を学び、意見や論を交わしている」とし、
当時洋学を厳しく禁じていた幕府の政策に疑問を投げ、
「外国の船を武力で追い払っていては、日本は仁のない国になる」と、その対外方針を憂えた。
外国の船を追い払うとは、異国船打払令とモリソン号事件を受けてのことだが、ここでは割愛する。
長英は「夢の中の絵空事」とすることで、幕府からの追及を免れようと考えたが、
前述のように広く人々に愛読されたことから、この著作の存在を知られ、江戸で投獄される。
その後、獄舎が火事になった隙に脱獄した長英を匿ったのが、宇和島藩主の伊達宗城だった。
宗城は長英の知識と鋭い先見性を必要とし、幕府には秘密裡に長英を宇和島に招いて庇護した。
ここで児島惟謙との接点が出てくる。
・天赦園五郎蔵の『土之絵多津夢物語』:
この新聞小説と『戊戌夢物語』には重なり合う点が多い。
題名もそうだし、舞台の設定も「海の向ふの外つ国の事、絵空の事」とされている。
そして小説の作者が児島惟謙とするなら、やはり高野長英と符合する部分がある。
長英が書物で幕府政治を批判したように、児島惟謙も明治政府と一時、激しく対立し、
その姿勢を痛烈に批判した事実がある。
その最たるものが大津事件だ。
これも詳細は述べないが、発端は、訪日中のロシア皇太子が警護の日本人警官に襲われたという事件だった。
時の政府は“恐露病”と揶揄されたほどロシアを恐れていて、この事件が外交問題に発展する前に、
強引に犯人を死刑に処そうとした。これにストップをかけたのが、当時司法省の大陪審院長だった児島惟謙だ。
この肩書きは、現在で言うなら最高裁か高等裁判所の裁判長というべきものだろう。
児島は「いかなる罪人であろうと、法に則って正しく裁かれるべきだ」と司法の独立を訴え、
法を無視した政府の介入に抵抗した。
それが元で職を奪われ、在野での隠棲を余儀なくされた。新聞小説が書かれた時期は、児島の隠棲時期に重なる。
わずか三回で終わってしまっているが、作者が児島だとするなら、理非曲直を正すことを旨とする児島の性格からも、
小説の続きは明治政府の誤りを糾弾するような内容になったのではないだろうか。
そのため、小説の題名を夢物語とし、舞台設定も絵空事にし、政府からの追及をかわそうとした。
さらにいえば、郷里・宇和島にゆかりの深い先達の長英を想い、痛烈な批判精神を継承しようとした、
というのはうがった見方だろうか。
何人かのゼミ生が小説の文字起こしや、読み下しをしてくれたことは、非常に有意義だったと思う。
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2009-06-22 01:58:13
http://ameblo.jp/y--katsuki/entry-10285162257.html
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ユウタから取材成果が届いて以来、この新聞小説のことをあれこれと考えていた。
それをきっかけに、ゼミのBBSで活発な意見や情報の交換がなされた。私を含めて多くの者が触発されたはずだ。
少し時間がかかってしまったが、新聞小説について、私なりに歴史的、史・資料的観点からの考察をしてみたい
(以下、特に名前を挙げている方以外の方々の尽力にも、大変感謝し、
参考にさせてもらっていることを始めに書いておきます)。
・小説の題名:
「土之絵多津=つちのえたつ=戊辰」という朝霧さんの推測に、異論のある者はいないだろう。私も同じ考えだ。
江戸や明治期の戯作者、小説家たちには万葉仮名遣いをもじって漢字をひらいたり、
文字をひねって洒落た題名をつける風潮があったようだ。
児島惟謙の事歴からすると、“戊辰”は鳥羽伏見の戦い以降の戊辰戦争を指しているというよりは、
明治維新の頃を意味すると考えたほうが通りが良さそうだ。
・作者:
作者についても、poly6さんの指摘に大きく頷かされた。
“天赦園五郎蔵”は、天赦園、五郎兵衛、謙蔵と、すべて児島惟謙の号や幼名、通称に使われている文字だ。
また、第三回のことわり書きと、児島の履歴や時期も符合する。
・高野長英の『戊戌夢物語』:
ワイジローさんのこの書き込みは非常に示唆に富んだものだったと思う。
長英が天保9年(1838)に著わしたこの書物は、幕府政治を批判する痛烈な内容で、瞬く間に写本が全国を駆け巡り、有為の士の間に広まった。竜馬や土方歳三といった、幕末のゴールデンエイジが生まれてから、数年後のことだ。
「夢の中の世界では、人々が自由に西洋の学問を学び、意見や論を交わしている」とし、
当時洋学を厳しく禁じていた幕府の政策に疑問を投げ、
「外国の船を武力で追い払っていては、日本は仁のない国になる」と、その対外方針を憂えた。
外国の船を追い払うとは、異国船打払令とモリソン号事件を受けてのことだが、ここでは割愛する。
長英は「夢の中の絵空事」とすることで、幕府からの追及を免れようと考えたが、
前述のように広く人々に愛読されたことから、この著作の存在を知られ、江戸で投獄される。
その後、獄舎が火事になった隙に脱獄した長英を匿ったのが、宇和島藩主の伊達宗城だった。
宗城は長英の知識と鋭い先見性を必要とし、幕府には秘密裡に長英を宇和島に招いて庇護した。
ここで児島惟謙との接点が出てくる。
・天赦園五郎蔵の『土之絵多津夢物語』:
この新聞小説と『戊戌夢物語』には重なり合う点が多い。
題名もそうだし、舞台の設定も「海の向ふの外つ国の事、絵空の事」とされている。
そして小説の作者が児島惟謙とするなら、やはり高野長英と符合する部分がある。
長英が書物で幕府政治を批判したように、児島惟謙も明治政府と一時、激しく対立し、
その姿勢を痛烈に批判した事実がある。
その最たるものが大津事件だ。
これも詳細は述べないが、発端は、訪日中のロシア皇太子が警護の日本人警官に襲われたという事件だった。
時の政府は“恐露病”と揶揄されたほどロシアを恐れていて、この事件が外交問題に発展する前に、
強引に犯人を死刑に処そうとした。これにストップをかけたのが、当時司法省の大陪審院長だった児島惟謙だ。
この肩書きは、現在で言うなら最高裁か高等裁判所の裁判長というべきものだろう。
児島は「いかなる罪人であろうと、法に則って正しく裁かれるべきだ」と司法の独立を訴え、
法を無視した政府の介入に抵抗した。
それが元で職を奪われ、在野での隠棲を余儀なくされた。新聞小説が書かれた時期は、児島の隠棲時期に重なる。
わずか三回で終わってしまっているが、作者が児島だとするなら、理非曲直を正すことを旨とする児島の性格からも、
小説の続きは明治政府の誤りを糾弾するような内容になったのではないだろうか。
そのため、小説の題名を夢物語とし、舞台設定も絵空事にし、政府からの追及をかわそうとした。
さらにいえば、郷里・宇和島にゆかりの深い先達の長英を想い、痛烈な批判精神を継承しようとした、
というのはうがった見方だろうか。
何人かのゼミ生が小説の文字起こしや、読み下しをしてくれたことは、非常に有意義だったと思う。
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最終更新日 : -0001-11-30