【報告書】作成者:ましろ

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2012-03-30 (Fri) 03:01

BUBBLEGUM:置き手紙【Arthur D. Lindsey文書】

Arthur D. Lindsey文書(1)~(4)の全文。
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【記録(1)】※2012年2月24日(金)に復元された極秘情報「記録(1)」の全文。

2012年2月24日+2【+21a_mymemo_convert_20120330002902 2012年2月24日 2【正位置】21b_mymemo

2012年2月1日/記録(1)

 私はアーサー・D・リンゼイと言い、表向きはとある軍用航空機メーカーのマーケティング部に勤務している。若かりし頃に横須賀ベースに赴任した経験が、日本とアメリカの本社の戦略をつなぐ現在の仕事に役立っていることは確かだ。そして、そんな私に伝道師が声をかけてきたのは、まさに私がトラステッド・コンタクトとして活躍できると判断したからだろう。

 私が伝道師の友人になったのは2006年の5月、移民たちが法に抗議の声をあげ、誤魔化しを続けた役員がその罪を問われていた頃だ。それから2ヶ月後には、闇に閉ざされた者どもが漏らす怨嗟の言葉を掘り起こし、選りすぐったことで信頼すべき仲間として受け入れられたわけだから、やはり伝道師の仕事は私に向いていたのであろう。私自身、事ここに至るまでは、伝道師としての役割に何ひとつ疑問を持つこともなかった。

 この記録は、伝道師として私が知り得た幻夢のように掴み所のない組織と、その組織を作り上げたレイ・カシウという亡霊、そしてその組織を内部から腐らせようとする蝿の王に関するものになる。もっとも、どれだけの時間が私に残されているかはわからない。可能な限り、人混みの中に身を置くようにはしているが、私の前任者にあたるペーターも、私と同じく亡霊を追いかけていたハタモトも既に原因不明の死を迎えているのだ。


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【記録(2)】※2012年2月24日(金)に復元された極秘情報「記録(2)」の全文。

2012年2月24日+2【+22a_mymemo_convert_20120330003041 2012年2月24日 2【正位置】22b_mymemo

2012年2月3日/記録(2)

 私たちは多くの出来事の関連性を格段、意識することなく日々を過ごしている。なぜなら、私たちの脳は知らなくてもよい情報を自動的に遮断することで処理を速め、負荷を減らさなければならないからだ。だが、ある日、散在していた個々別々の出来事が結びつき、真実がその輪郭を浮かび上がらせるときがくる。

 私がその輪郭に気付いたのは、2011年8月14日に起きたある出来事と、そのおよそ1ヶ月前に亡くなったデベロピング・コンタクトが残したメモを読んだときであった。発端は2011年7月17日にデベロピング・コンタクトの1人であったタカシ・マキが死亡したことによる。マキはバブルガムが分裂をした1989年頃にデベロピング・コンタクトとなった、古参の協力者の1人であり、ナンバー6というコードネームで私たち伝道師の間でも知られた人物であった。

 マキは、当時、彼が潜伏していた世田谷のマンションで死んだ。私たちが入手した警察資料や目撃者情報によると、マキは死亡する数日前より、高熱や吐き気を訴えており、室内には血性嘔吐の跡があった。司法解剖を行った医師は、外傷が皆無であったこと、マキが慢性的に肝炎を患っていたことから、敗血症性ショックによる多臓器不全と診断した。私たち伝道師の間でも、この情報に疑念を持つ者はいなかった。だが、1ヵ月後に起きたある出来事の経緯を探るうちに、私はマキの死に対して強い疑念を抱くに至った。


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【記録(3)】※2012年2月26日(日)に復元された極秘情報「記録(3)」の全文。

2012年2月26日+1【+23a_mymemo_convert_20120330020735 2012年2月26日 1【正位置】23b_1_mymemo 2012年2月26日 1【正位置】23b_2_mymemo

2012年2月5日/記録(3)

 その出来事は2011年の8月14日に起きた。その日、バブルガムの中でも有数の規模を誇る大ヒル・ベルゼブブの本部を、目尻に深く皺の刻まれた、痩せぎすで、いかにも神経質そうな男が訪れた。男は慇懃に挨拶をすると、ディーン・P・リチャードソンと名乗った。だが、そんなことをしなくともベルゼブブの担当者は、男のことを知っていた。男は、前年まで、このベルゼブブの最高責任者で、今は、バブルガムに属する組織へ様々な情報を伝達する伝道師たちの統括者であった。

 私が調査をしたところによれば、リチャードソンは施設を一瞥すると即座に、ベルゼブブが入手していた『デベロピング・コンタクト殺し』に関する全記録を伝道師の管理下におくと宣言した。『デベロピング・コンタクト殺し』とはキャリアと呼ばれていた私たち伝道師の前身にあたる者たち8名が、1982年の7月15日に不可解な死を遂げた事件である。そして、昨年7月に死んだナンバー6、タカシ・マキは『デベロピング・コンタクト殺し』に関与した人物として、バブルガム本部から追われていた。

 だが、いずれにせよ、ここでのリチャードソンの行動は、私たち伝道師の役割を大きく逸脱していた。私たち伝道師は、収集した情報を整理、編集することはあっても、情報の流れを管理することはない。ヒルに対する外部干渉とも言えるリチャードソンの行動を知ってしまった私は、彼の周囲を調べると共に、事件の鍵を握る死者、マキの調査に没頭した。いまにして思えば、私は、この時点で気付くべきだったのだ。探求の先に深く暗い闇があることに。


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【記録(4)】※2012年2月26日(日)に復元された極秘情報「記録(4)」の全文。

2012年2月26日+1【+24a_mymemo_convert_20120330020821  2012年2月26日 1【正位置】24b_1_mymemo 2012年2月26日 1【正位置】24b_2_mymemo

2012年2月7日/記録(4)

 私が見たマキのメモは、彼が死んだ世田谷のマンションから、極秘裏に回収されたものであった。回収を指示したリチャードソンは、メモに関する一切を外部に漏らさぬよう、伝道師たちに厳命していた。だから、私がリチャードソンの行動に疑問を感じて、マキの調査を始めたとき、メモはまだ私たちの手元に保管されていた。その内容は、以下のようなものである。

 タカシ・マキは、バブルガムの情報伝達者-キャリア-でありながら、KGBの積極工作にも協力をするダブルエージェントであった。しかし、ダブルエージェントの積極工作を主導していたレフチェンコ少佐が、1979年にアメリカへ亡命すると、順調だったマキの活動に暗雲が立ちこめる。少佐の裏切りを許さないKGBが、マキを捕らえ、少佐が構築したネットワークについて詰問をしたのだ。

 命の危険を感じたマキは、キャリアの仲間をKGBのデベロピング・コンタクトに仕立て上げることで、その場を切り抜けた。そして3年が過ぎ、少佐が米下院の秘密聴聞会で対日工作活動について暴露することを知ったKGBは、デベロピング・コンタクトの殺害を決定した。マキは、自分が仲間をデベロピング・コンタクトに仕立て上げたことが露見するのをひどく怖れていた。このため、リチャードソンがベルゼブブに籍を置いていたときから、何年もデベロピング・コンタクト殺しについて調査をしていたことも把握しており、リチャードソンを異常なまでに警戒していた。

 同時にマキはその背景に1989年のバブルガム分裂騒動以前から、この奇怪な組織をまとめていた「ともし火」と呼ばれる者たちと、分裂を境に生まれた2つのヒルが、人知れず互いを貪り合い続ける醜悪な歴史があると言う。メモの中には、こんな走り書きもあった。
 『ホラ貝は失われた。蝿の王が全てを覆い尽くそうとする』


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最終更新日 : -0001-11-30

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